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職場の妊婦の自分語りにモヤモヤ
15/06/29 11:17:37
>>19 《続き》 紀子さま いいえ。 むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。 秋篠宮さま 幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。 紀子さま 新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。 式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。 そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。 そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。 帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。 結婚の日と新居 秋篠宮さま さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。 もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。 紀子さま はい。 このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました。 大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。 そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。 各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。 さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。《続く》
15/06/29 11:26:37
>>20 《続き》 秋篠宮さま 少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。 というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。 当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。 しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。 たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。 玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか? 結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。 紀子さま 約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。 そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。 その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。 秋篠宮さま 今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。 彼女たちも気に入っていましたよね。 紀子さま はい。 今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。 日本国内・海外の訪問などに関連して 秋篠宮さま ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。 また各種の行事にも出席をしてきました。 訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか? 《続く》
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古トピの為、これ以上コメントできません
15/06/29 11:34:47
>>21 《続き》 紀子さま この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。 そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。 秋篠宮さま そうですね。 各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、うれしいしありがたいことです。 紀子さま また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から一人暮らしの高齢者まで地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。 心強い活動と感じています。 秋篠宮さま 私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。 公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。 あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。 そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。 そのようなことから、声をかけていただき、それらが適当と判断されたものについては、できるだけ応えるように心がけてはいます。 紀子さま 私もそのように努めてまいりました。 そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。 秋篠宮さま いっぽう、これは私的なことになりますが、国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。 なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。 ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。 もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。 紀子さま いつか見てみたいですね。《続く》
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.20 匿名
15/06/29 11:17:37
>>19 《続き》
紀子さま
いいえ。
むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。
秋篠宮さま
幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。
紀子さま
新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。
式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。
そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。
そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。
帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。
結婚の日と新居
秋篠宮さま
さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。
もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。
紀子さま
はい。
このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました。
大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。
そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。
各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。
さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。《続く》
No.21 匿名
15/06/29 11:26:37
>>20 《続き》
秋篠宮さま
少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。
というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。
当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。
しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。
たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。
玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?
結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。
紀子さま
約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。
そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。
その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。
秋篠宮さま
今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。
彼女たちも気に入っていましたよね。
紀子さま
はい。
今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。
日本国内・海外の訪問などに関連して
秋篠宮さま
ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。
また各種の行事にも出席をしてきました。
訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?
《続く》
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.22 匿名
15/06/29 11:34:47
>>21 《続き》
紀子さま
この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。
そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。
秋篠宮さま
そうですね。
各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、うれしいしありがたいことです。
紀子さま
また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から一人暮らしの高齢者まで地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。
心強い活動と感じています。
秋篠宮さま
私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。
公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。
あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。
そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。
そのようなことから、声をかけていただき、それらが適当と判断されたものについては、できるだけ応えるように心がけてはいます。
紀子さま
私もそのように努めてまいりました。
そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。
秋篠宮さま
いっぽう、これは私的なことになりますが、国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。
なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。
ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。
もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。
紀子さま
いつか見てみたいですね。《続く》