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職場の妊婦の自分語りにモヤモヤ
15/06/29 11:09:24
>>18 《続き》 結婚にむけた準備 秋篠宮さま 少し時計の針を進めましょう。 私が大学を卒業したのが1988年ですが、その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。 この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、しばしば日本に帰ることになりました。 日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。 そして、1989年の9月に公表するに至りました。 これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。 服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。 そして、私たちの結婚の時期についてです。 秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で、昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。 その間は2ヶ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。 そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。 紀子さま とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております。 秋篠宮さま 話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。 今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。
15/06/29 11:17:37
>>19 《続き》 紀子さま いいえ。 むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。 秋篠宮さま 幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。 紀子さま 新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。 式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。 そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。 そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。 帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。 結婚の日と新居 秋篠宮さま さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。 もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。 紀子さま はい。 このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました。 大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。 そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。 各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。 さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。《続く》
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古トピの為、これ以上コメントできません
15/06/29 11:26:37
>>20 《続き》 秋篠宮さま 少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。 というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。 当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。 しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。 たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。 玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか? 結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。 紀子さま 約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。 そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。 その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。 秋篠宮さま 今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。 彼女たちも気に入っていましたよね。 紀子さま はい。 今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。 日本国内・海外の訪問などに関連して 秋篠宮さま ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。 また各種の行事にも出席をしてきました。 訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか? 《続く》
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.19 匿名
15/06/29 11:09:24
>>18 《続き》
結婚にむけた準備
秋篠宮さま
少し時計の針を進めましょう。
私が大学を卒業したのが1988年ですが、その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。
この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、しばしば日本に帰ることになりました。
日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。
そして、1989年の9月に公表するに至りました。
これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。
服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
そして、私たちの結婚の時期についてです。
秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で、昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。
その間は2ヶ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。
そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。
紀子さま
とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております。
秋篠宮さま
話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。
今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。
No.20 匿名
15/06/29 11:17:37
>>19 《続き》
紀子さま
いいえ。
むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。
秋篠宮さま
幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。
紀子さま
新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。
式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。
そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。
そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。
帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。
結婚の日と新居
秋篠宮さま
さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。
もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。
紀子さま
はい。
このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました。
大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。
そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。
各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。
さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。《続く》
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.21 匿名
15/06/29 11:26:37
>>20 《続き》
秋篠宮さま
少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。
というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。
当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。
しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。
たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。
玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?
結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。
紀子さま
約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。
そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。
その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。
秋篠宮さま
今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。
彼女たちも気に入っていましたよね。
紀子さま
はい。
今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。
日本国内・海外の訪問などに関連して
秋篠宮さま
ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。
また各種の行事にも出席をしてきました。
訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?
《続く》