- なんでも
- 真愛
- KDDI-SA31
- 05/08/01 13:54:19
自分の話、友人の話、ネットで見掛けた話…なんでもいいので、泣ける話や感動する話を書いて行って下さい★
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私に二人目ができました。検査薬で陽性が出た瞬間から、毎日おなかに話しかけていました。『おはよう』から始まり『早く会いたいよぉ~』など。。名前はさっそく旦那と二人で考え、永遠(とわ)と名付けていつも呼んでいました。
病院へ初検診に行った日、赤ちゃんはエコーに写りませんでした。
私は、次に来た時には必ず写ると、何故か変な安心感がありました。
次の検診日、赤ちゃんは写りませんでした。その次も、いつまで経っても、赤ちゃんは写りませんでした。
子宮外妊娠でした。
おなかを少し切り、内視鏡で赤ちゃんを取り除く手術をすることになりました。それでも尚、私にはまだ『これは何かの間違いなんだ。』と変な安心感があり、特に感情はありませんでした。
手術台に寝かされ、麻酔で記憶がなくなりました。目が覚めると、旦那と上の子が隣にいました。私はまだ、状況をイマイチつかめずにいました。
その手術では、どこにいるのか解らない赤ちゃんは取り除けず、抗がん剤での治療をすることになりました。
抗がん剤の副作用はかなり辛く、吐気でほとんど食べられなくなりました。その時にやっと、私は理解できました。私は赤ちゃんを殺そうとしているということ。赤ちゃんはきっと、生きたいと思う気持ちを、この吐気で伝えているんだということを。
でも、子宮外妊娠では他に成す術もなく、治療は続けていきました。一週間程かけて、抗がん剤を投与していきました。毎日一人で泣きました。ごめんね、ごめんね、ごめんね…と何度も繰り返しながら、泣ていました。
治療は終わり、赤ちゃんは旅立ちました。2年前の夏でした。
産んであげられなくてごめんね。一度もダッコしてあげられなくてごめんね。一度もおっぱい、あげられなくてごめんね…
本当にごめんなさい。
私はあの頃、あなたがまた私のおなかに帰ってきてくれるということを信じていました。そう信じることで、自分を救っていました。
あれから2年経った今、二人目が産まれたよ。それがあなたなのか、そうではないのか…それは私には解らないけれど。でも私はあなたのことは忘れないから。ずっとずっと忘れないから。
あなたに名付けた『永遠』という名のように。あなたへの愛は永遠だから…。
永遠、あなたと過ごした二ヶ月間、私は本当に幸せでした。
ありがとう。
私のおなかに来てくれて、本当に本当に…
ありがとう。
永遠、大好きだよ!
泣いてしまった…(;_;)私は昔から死ぬ事がものすごく怖い。時々夜泣いてしまう事もある。…そういう風に死を受け入れる事がいつかできるかなぁ??トピずれスマソ。
友達M君の話し。
M君には2つ上のお姉さんがいて、お姉さんは元々病弱だったけれどそれに屈せずに勉強や部活を頑張っていました。
お姉さんが高校2年の時に急性白血病を患い、闘病生活が始まりました。お姉さんは退院したらまた学校に行きたい、みんなに会いたい!という気持ちで辛い闘病生活でも決して弱音は吐きませんでした。
でも、元が病弱な上に急性の病気は進行が早い。体が若ければ若いほど…
夏も後少しで終わると言う時期に、お姉さんはとうとう昏睡状態に陥ってしまいました。医者がこの状態が続くのなら安楽死を、と家族に勧めましたがM君もM君の両親もそれを拒否しました。ここまでお姉さんは頑張ったんだ、最期まで戦い抜いて欲しかったとの思いから…
真夜中になり状態はますます悪化していき、もうダメかと思ったらM君のお母さんがいきなり「そういえばこういう話しを聞いた事があるの。昔から夜中に死んだ人間は周りが暗くて道が見えないから冥土に行けないって言うんだって…N(お姉さん)もそうなっちゃうのかしらね…」
それを聞いたM君が、お姉さんの呼吸が途切れそうになるとお姉さんの手を握り「姉ちゃん!まだ寝るな!姉ちゃん!寝ちゃダメだぞ!」とお姉さんを励まし続けました。その度にお姉さんは思い出した様に呼吸を取り戻していたそうです。昏睡状態の中でもお姉さんにはM君の声が聞こえていたのでしょう…
医者は、お姉さんはこの夜を越えられないと言っていましたが、お姉さんは朝日が差して来る頃に静かに息を引き取りました。M君は泣きながらお姉さんに「姉ちゃん、よく頑張ったな。これで迷子になる事はないぞ!」と…
火葬の日にM君のお母さんはお姉さんの為にと貯金していた結婚資金で白無垢を購入し、棺の中に一緒に入れてあげたそうです。‘この子は死んだのではなく、二度と帰れない所にお嫁に出したと思っておくの。白無垢は娘にとって1番高くて1番最後親がしてあげられるプレゼントだから。の向こうで幸せになりなさいね’と…
人間の幸せは生きた年数でしょうか?短い人生は不幸なのでしょうか?
私はそうは思いません。自分の死に際に手を握ってくれる人がいた、泣いて別れを惜しんでくれた人がいた…それだけで充分幸せなのではないでしょうか?若くして亡くなったNさん、天国でどうかお幸せに…
あサンの話しを自分の親に置き換えて想像したら悲しくなった(π_π)
真愛さんのどっかで聞いた事ある。別のトピにも書いたかな?
前読んだ時も号泣でしたが今回もまた号泣した(;_;)
まだまだ聞きたいのであげ&#x{11:F99A};
他のみなさんのお話も泣ける…
まだまだお願いします!
妊娠してから、やたらばぁちゃんがうるさかった。
「腹巻してるのか?」
「重いもの持つな!」
「買い物はばぁちゃんするから家でまっとけ!」
「草むしりなんかするな!」「靴下はけ!」
「野菜くえ!ほらばぁちゃんの分もくえ!」
って本当にうんざりだった。
でも、新居が決まりばぁちゃん家から引っ越す前の晩、ばぁちゃんが昔流産した事を聞いた。
自分の娘(私の母や伯母)には言ってないらしい。
そんな辛い思いしてほしくないから、頼むから無理しないでほしいって言われた時、ばぁちゃんをうざいと思った自分に腹が立って涙がでた。
ばぁちゃん、ありがとう。
私も泣いちゃったよ
財布落とした。中身は⑩万入ってた…。マジ泣けてきた
・某サイトから・
『綺麗だろ?出会った時からずっと綺麗だと思ってた。本当に綺麗…』
棺に横たわる母の前で、父が私に言った言葉。
涙が・・・・
号泣だよ…
泣いちゃった…。
50才という若さでこの世を去った父。友人の借金の保証人になったばかりに多額の借金を押し付けられ、五年間苦しみ続けた後、自分で命を絶ちました。
当時私は15才。父と母はその借金が原因で離婚していて、父とは一緒に暮らしてはいませんでした。私は非行に走っていて、学校へもろくに通っていませんでした。そんな私のただのワガママさえも、俺のせいだと思い込み、悩んだまま父は…。
山で発見された父の財布には、50円しか入っていませんでした。亡くなるまで私はもちろん母も知らなかったんですが、そんな苦しい生活の中でも、私の学資保険だけは解約せずにずっと払い続けていてくれていました。
そして50円しか入っていない財布の中には、黒い綺麗な石ころが入っていました。私が幼い頃に宝物だと大切にしていた石ころでした。そんなもの、私ですら忘れていたのに、父はず~っと大切に持っていてくれたんです…。
そして、私の幼い頃に掲載された、新聞の私の写真も一枚入っていました。
50円しかない財布の中には、私との思い出ばかりが入っていました。
その時やっと、父の愛を感じたんです。今までだってたくさんくれていたはずなのに、父が亡くなった後にやっと…
でももう遅すぎました。私は幼い頃とかわらず、父がだいすきなのに…父は私に嫌われていると思ったまま…。
ごめんね。そんなに悩んでいたのに、気付いてあげられず、助けてあげられず、なにもしてあげられなくて…。
ごめんね。私が変な道に走ってしまった為に、追い詰めてしまってごめんなさい。
それなのにこんな私に、たくさんの愛を…
ありがとう
ありがとう
本当に
ごめんなさい…