- なんでも
- 真愛
- KDDI-SA31
- 05/08/01 13:54:19
自分の話、友人の話、ネットで見掛けた話…なんでもいいので、泣ける話や感動する話を書いて行って下さい★
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>>516方言が冷める
父は私が高校1年の冬に他界しました。
食道癌でした。
父は子供が大好きで、3人兄妹の末っ子の私には特に甘かったが、自分の子供だけでなく、地域活動、子供会、少年野球の監督、キックベースの監督、と子供と関わる活動に大忙しだった。
それだけ色々活動していると、勿論私の友達達も父の事を皆知っていた。
私はそれがもの凄く嫌だった。
地域でキャンプに出掛けるのも父が一緒。
キックの時も監督が父。
あまり良いようには思えなかった。
でも父は、兄が小学生になった時から、亡くなる直前まで18年間やり遂げた。
そんな父のお葬式には800人の参列者が来てくれた。
一緒に頑張って来た仲間。
監督をしてきた歴代の教え子。成人を迎えてる方から、小学生まで。
皆が泣きながら最後のお別れに来てくれた。
その時初めて父を尊敬した。
今まで嫌がってきた事を申し訳なく思った。
お父さん。ほんまにごめんな。
今思うとほんまにすごいよな。
でもまだガキやった私は、自分の好きな子とお父さんが仲良く話してたり、自分のおらんところで友達に何か変な事聞いてないかとか、そんなくだらんことばっかり気になっててん。
あほみたいやな。
お父さん死んだ時、お父さんはワイワイ皆で騒ぐのが好きやったからって、皆お父さんの棺桶の周りで朝まで飲んで騒いでやってくれてたで。
やっぱ凄いな!!
そんなけやってくれる仲間持ってほんまに幸せやったな。
私もな、決めてるねん。
監督やるって!!
お父さんがやり遂げれんかった三島大会での優勝。
絶対監督やって成し遂げるから!見ててな。
色んな大切なもの教えてくれてありがとう。
子供大好きなお父さんに孫見て欲かった。
めっちゃ可愛がってくれて、いっぱい遊んでくれたんやろな。
田舎で車通りも少ないとはいえ横断歩道のない道路を横切ってひかれたそうです。小さい頃一緒に歩いて買い物に行くといつも祖母はちょっと先の横断歩道をわたらず『車が止まってくれるから』と道路を横切ってしまうので、そのたびに私が横断歩道渡るように注意してしていたのに何で!その時は単純に祖母の不注意を責めました。
私は大好きな祖母の急な死が実感わかずただ、淡々と通夜、葬儀、納骨に参加しました。
四十九日法要の後、親から初めて事故の詳細を聞かされ、(あの日いつものように母は夕飯を作って仕事に出掛けたのに、わざわざ買い物に出たのは唐揚げ買うため)と。きっと唐揚げが大好きな私のため、朝靴の事で怒らせてしまったお詫びのつもりで買いに行ったんだ!!とわかった時、初めてたくさん涙が出てきました。昔から何かある度に大好きな唐揚げを買ってきてくれたおばあちゃん。きっとその日はゴメンねのつもりで買ってきてくれたんだ。。。私はスゴク自分を責めました。事故現場には祖母の大切な腕時計と唐揚げがたくさん転がっていたそうです。
今でも私はあの頃と同じ優しい祖母の夢を見ます。けど私は事故は自分のせいだと自分自身を責めてしまいます。
長文、文才なくてスミマセン…
中3の時、祖母が亡くなりました。交通事故でした。私はスゴクおばあちゃん子で共働きの両親に代わり祖母は私のそばにいてくれました。末っ子で我が儘な私を優しく時には厳しく受け止めてくれた大好きなおばあちゃん!中学に入り私も反抗期で、大好きだけど素直になれなくなった日々の中、私が飼っていたウサギが姉のお気に入りの靴をかじってしまいました。すごく怒られた私は、掃除も餌やりも祖母にやらせていたクセに、入り口に鍵をかけ忘れた祖母にキツく当たってしまいました。祖母はその日の夕方、交通事故に遭ったのです。
だめだぁ泣きすぎて全部読めない…あげー!
あげ。半分くらいしか読んでないけど号泣(:_;)明日目腫れるな…
ぴよぴよ
あげ
孫を可愛がってくれた、実父… でも突然、逝ってしまった
他界して半年くらい経った時、末っ子が泣き止まなかった夜、突然子供が天井に手を伸ばして…ジージーって泣き止んで笑いはじめた。
私が息詰まってたのを感じ、あやしに来てくれたんだろう…
同じ事が二回ほどあったな
ありがとう お父さん
げ
聞かせて
なんとなくあげ
もう五年も前、私が19の時。母が亡くなった
その日の夜中ずっと耳鳴りがしていて眠れなかったのを覚えてる
朝ばぁちゃんの叫び声で起きた。
階段を急いで降りると、母が人形みたいになっていた。
自殺だった。
愛犬のリードで。
なによりも大切なはずだった母がいなくなった。
まだ家族みんな自分をせめつづけてる
お金が無いのに私には色々買ってくれた
母が居なくなったら…
借金だらけだった
生活、苦しかったんだね気づけなかったよ。
孫を見せてあげたかった。
毎日思う、母ちゃんに会いたい会いたい会いたいって。
本当に亡くなって焼いてしまったらもう会えなくなるんだね
亡骸をよくみておきなさいって親戚は言った。
私は見れなかった。
さわれなかった。
今思うとあれが最後だったのに目を背けて後悔してる
母ちゃん、本当にもう会えないんだね
想わない日は無いよ
古いトピあげてゴメン。
どっかに吐き出したかったんだ。
初めて間近に見る次女に長女は可愛いねって言った。寝てるの?ミルクあげたいなぁって。
もう、どう説明すればいいか分からなかったよ。
お世話したいって駄々こねる長女を見てるだけで泣けた。泣いてる私を見て娘もさらに泣いてさ。
三歳の子に死を理解させるなんて難しくて、次女ちゃんは病気でいっぱい辛い思いしたから、今はお空の上でいっぱい遊んでるんだよって繰り返し説明してたと思う。
そんな説明でも長女なりに納得してくれて、「次女ちゃんはお空の上から見てくれてるんだよね」とか言うようになった。
泣いちゃうからあまり見ないんだけど、今日長女と次女のアルバム見てたら「次女ちゃんはね、お空の上でミルクいっぱい飲んで大きくなるんだよ。大きくなったら会いに来てくれるんだよ」って言われて、思わず号泣。
私の中では次女はずっと四ヶ月のまま成長が止まってたんだ。
長女の言葉に教えられた気がした。
次女ちゃん。お空の上でどれくらい大きくなった?
まだまだ先だけど、ママが会いに行くの待っててね。
整理しないで衝動で書いたから読みづらくってゴメン。終わる。
>>501
足りなくないよ。一卵性双子だから一人がダメだったから必然的に、もうひとりもだめだったって事じゃないかな
>>492
私も思った。双子のもう一人の方は?片方が生きてたのに次の日陣痛起こして出産したって事?
水差して本当すみません。涙流しながら読んでたけど疑問が残ってしまって…
こんなトピあったんだね…。
長文&自分の事でゴメン。
去年の夏出産した次女が、18トリソミーという障害を持ってた。病名を告げられた時、医師からは一歳まで生きられないだろうと言われたんだ。
次女を出産した大学病院では子供の面会がNGで、三歳の長女は遠いガラス越しでしか次女の姿を見られなかった。そんな長女の為にも、そして命に限りのある次女の為にも、退院して家族での時間を大切にしたいと思った。
心臓に穴があいてて、鼻に酸素チューブ付けて口にはミルクのチューブ付けてた次女。ミルクの度に酸素濃度が下がってドキドキしたけど、状態も安定して退院目前だった。
次女四ヶ月で泊まり込みで退院練習する予定の日、病院から状態が急変したと電話があった。心臓の状態が良くないので手術をした方がいいとの事。訳が分からないまま、手術が出来る病院に話を聞きに行き、急変してから三日後には手術してた。
変な話だけど、夫婦で次女は一歳までは絶対に生きるって思いこんでて、だから手術もあまり不安じゃなかった。数時間の手術の後、格段に顔色が良くなった次女を見て、もうすぐ家に帰れるよって思った。
でも手術から三日後に、次女は空に旅立っていった。手術は成功したのにな。
医師から解剖を勧められたけど、断った。
これ以上傷付けたくない。何より早く家に連れて帰りたかった。
>>492
上の子(長女)→死産された双子→下の子(長男)のはずだから、『お姉ちゃん・弟』で合ってる
あげ
アゲ
あげ
>>399
絶対嘘だ。おかしいよ。
なんか小説みたいな書き方だし嫌だわー
>>399
エコーは白黒だよ
亡くなっても黒くなるわけない
しかも一人生きてるなら普通は帝王切開じゃないの?
>>399
子供一人足りないけど…
>>399
死産後2ヶ月で妊娠にびっくりした
色んなお話聞きたい
オナラと同時にンコ漏らしてしまい、私が「漏らしてしまった~」とトイレに走ると子供もトイレに付いてきて「も~ママ臭いな~漏らしちゃダメでしょ」と説教された…
漏らしたパンツを片手にお風呂に行き洗ってたら子供が新しいパンツを持って来てくれた。
厳しいながら優しさを感じた!
>>484
全く泣けません
ついに読破しました。
(号泣)
>>448 がんばってね!!!
(T_T)
お腹下してトイレに駆け込もうとしたらトイトレ中の息子が笑顔で「ママ!オシッコ今出る♪」とフルチンでかけてきた時。
笑顔の息子に我慢させて自分を先にしてしまった腹の弱さに泣けた。
泣ける。あげ
母は毎日仕事と家事で忙しくイライラしていた。そのイライラを定年後でずっと家にいた父に当たっていた。でも父はいつも無口で我慢強く母がイライラしていても当たられてもうんうんと話を聞く優しい父だった。そんな父が心筋梗塞で倒れた。何度も心臓は止まりいつしぬか分からないのに医者が言った1%を信じた。母は仕事を休み私逹兄弟も毎日毎日お見舞いに行き眠ってる父に声をかけた。でも父はそのまま目を明ける事はなかった。火葬場で母は「私のせいで…私が悪いの!ごめんね!ごめんね」と棺を揺すった。私が「お父さんはいつもそばにいてくれるよ」と言ったけど母は「焼いてしまったらもういなくなる!もうどこにもいない!」と泣き叫んだ
今でも母は自分がイライラしていたから父が倒れたんだって責めてる。母にとって父が全てだったんだなって父がいなくなって気付いたよ。残された母を大切にしていきたいな
。゚(ノд`)゚。
あげ
これいい!
かなり泣けました・・健康で居ることに感謝し、回りの人を大切にしなきゃ、って思った。
あげ
涙止まらない。おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさん、みんなに会いたいよ…
悲しい
自分の話だけど…
私が小学5年のとき、父は肺がんで亡くなりました。父は45歳でした。
亡くなる前の父の記憶はあまりたくさんありません。
毎日遅くまで仕事をしていた事、帰ってきてから母と仲良く晩酌していたこと、何をするにも遅い私に頭をペチッと叩き叱ったこと、小学生の夏休みに学校にある花壇に水をくれに一緒に行ったこと。
思春期が訪れ、徐々にあまり父とは会話をしなくなりました。
あとは病院にいる姿しか思い出せません。
まだまだ働き盛り、単身不妊から体調がおかしいという理由で帰ってきた矢先のことでした。
レントゲンにうつった父の肺は真っ白でした。
当時の肺がん治療はとても辛く、息をするのも苦痛だったそうです。
肺から水を抜くのも、痰をチューブで出すのも、それはそれは辛く、死にたいと母にもらしていたそうです。
遂に癌は体のあちこちに転移して、内蔵は腐りはじめていました。
授業中に先生に呼び出され、病院に向かうよう言われました。
私は覚悟ができていたのか、それが現実の事として受け入れられないでいたためか、妙に冷静でした。
病院につくと、直に父は目をあけたまま瞬きもせず涙を流しました。
そうして脈はなくなりました。
私はただただそれを見ているだけでした。
それから大人になり、祖父母の死を体験し、やっと人の死を目の当たりにした気がしました。
私にとって当時の父の死は受け入れられていなかったんだと実感しました。
先日、父が夢に現れました。私ははじめて父に抱きつき想いのたけをぶつけることができました。
はじめて父に自分の感情を伝える事ができました。
泣ける話と言われれば微妙ですが。
普通の日常が幸せなんだな…
改めて思った
ちょっと感動したくて読み始めたら読破しちゃいました。
もう枕ビチョビチョ(T_T)
ないちゃった
泣いた。
寝れなくなった号泣
これかな