花
長文です。
とても情けない話なのですが、聞いて下さい。
現在、母親と何年も絶縁状態です。
絶縁になったのには私に原因がありますが、順番に書かせて下さい。
小さい頃から、親に対して不満を思っていました。
決して、親からの愛情を感じなかった訳ではなく、不器用ながら愛されていると感じることも多く、一生懸命育ててくれてはいました。
元々、真面目な母親ではありましたが、
その反面で気性が激しい、神経質、負けん気が強いと言う一面がありました。
物心付いた時から夫婦仲も悪く、連日両親が喧嘩して怒鳴り合っているのが当たり前でした。
自営業で共働きだったのですが、仕事絡みのトラブルに関しても自宅内でぶつかることが多く、本来であれば心が休まるはずの自宅であっても両親共に休まらず、
常に苦労や心労を抱えていました。
両親の苦労が分からなかった訳ではありませんが、イライラピリピリの矛先がこちらに向くことも多く、
また、母親も父親も手を上げるタイプの両親でしたので、時には殴る蹴るもよくありました。
要領よく振る舞えばよかったかも知れませんが、要領が悪く、顔に反抗心が露骨に表れてしまう性格でしたので、わざわざ刺激してしまうことがよくありました。
事あるごとに、誰のおかげで生活出来ている、誰が産んでやったと思っている、養って貰っている癖になどと言われました。
幼少の頃から私は体が弱かったのですが、母親が忙しい時に限って体調を崩すので怒られたり、
小学校高学年にもなれば反抗をすることもそれなりにあったのですが、
お前がどんなに家で生意気で親への感謝がない子どもか周囲に言ってやるなどと言われ、友人の親や担任に、如何に親不孝な子かと悪評を言いふらされ、先生やクラスメイトと気まずくなったこともあります。
また、母親が一度死産を経験したのですが、喧嘩をした際に、お前が代わりにし○ばよかったと言われたりしたこともあります。
(それは後に泣いて謝られましたが、当時は傷付きました)
ずっとそういった理由で、家が居心地が悪いと思っていて、とにかく早く家を出たいという気持ちを持って生きてきた為、中学卒業と同時に家を出ました。
高校の学費は親が出してくれましたが、親の知らない知人の持っていたアパートを借り、家賃や生活費はアルバイトをして稼いで生活、
高校を卒業するまでそんな生活をしていました。
ですが、そんな生活を続ける中で体を壊してしまいました。
続きます。
古トピの為、これ以上コメントできません
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