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嫌味ばかり言ってくる実母、どう返す?
12/08/29 18:42:52
>>311続き そればかりか、昨年8月、小泉首相の靖国神社参拝を巡って反日デモが最高潮に達していた時期、 この本の草稿を掲載したウェブサイトが、掲載から20日後、情報通信倫理委員会という検閲機関によって、何の通告もなしに閉鎖された。 この間、一日に数百人の韓国人から脅迫を受けた。 100年前の日本統治を肯定的に評価したというだけで、なぜ一介の物書きが身の危険を感じなければならないのか、慨嘆せずにはいられない。 ★植民地としてはまったく“魅力”のなかった朝鮮 では、私が、その本で展開した日本統治時代の真実とはどのようなものなのか。 その一つの、非常に大きな比較材料となるのが、台湾の存在である。 朝鮮と台湾は共に過去、近代化が始まる重要な時期に日本による支配を経験したという共通点をもっているが、日本に対する態度はちょうど正反対といってよいだろう。 台湾は政府であれ民間であれ日本に対して極めて友好的な態度を堅持してきた。 例えば、台湾の英字新聞『Taiwan News』(2001年3月12日付)において、淡江大学歴史学科・林呈蓉教授は 「日本の統治時代がなければ、今日の台湾と中国統治下の海南島の間には何ら異なることがなかった」と断言し その論拠を具体的に挙げ、同時に台湾総督府の民政局長として活躍した後藤新平を “近代台湾の父”と仰いで尊敬の意を表している。 台湾において、こうした論調は多くの人々が支持するところである。 朝鮮で後藤新平のような役割を果たした人物は伊藤博文だといえるが、韓国の教科書ではいまだに伊藤を亡国の敵だと教えている。 両国が同時代、同じ性格の日本統治を経験しながら、大きな相違が生まれた理由を問うと、たいてい 「台湾に対する日本統治は15年長かったから」、あるいは 「台湾には日本統治以前に独裁的な王朝が存在しなかったから」 という答えが返ってくる。 しかし、独立以降、日本統治時代にその統治に協力した勢力が政権の中心にいた韓国で、なぜこれほど反日感情が深刻なのか、その説明としては不十分だ。 続く
12/08/29 18:48:03
>>312続き 日本による支配の“恩恵”を、例えば土地を例に見てみると 朝鮮を統治した日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。 それまでは土地や国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。 すなわちこの調査事業により、朝鮮の自作農は自分の土地の主人となり、地主は余分な税金を納めることなく土地を所有できるようになったのである。 しかし当たり前のことだが、歴史を記す層にとっては、経済基盤を奪われた“略奪の歴史”にほかならない。 どの立場から歴史を眺めるかによってその内容は変わるが、朝鮮全体としてみれば、(日本が自己の利益のために進出したが自己の利益のために進出した点を考慮しても)それによって恵まれた部分もあったことは否定できない。 ところで、韓国人が自国の歴史解釈において錯覚していることがある。 中国大陸を統一した諸王朝が朝鮮を直接統治しなかったのは、わが民族に独立精神が強かったからだとしているが、そうではない。 気候がよいわけでも土地が肥沃なわけでもなく、資源が豊富でもなかったために、あえて占領する必要がなかったのだ。 19世紀末、ロシアが朝鮮を欲しがったのは軍事的目的として不凍港を必要としていたに過ぎず 日本にとっても朝鮮はロシアの脅威を防ぎ、大陸に進出するための橋頭堡であることの他には、特別魅力のある土地ではなかった。 帝国主義が植民地を獲得しようとした背景には、地下資源や砂糖、ゴムのような原料を獲得するという明確な目的があった。 しかし、資源、気候、文化で日本と似たり寄ったりの朝鮮は、植民地としては最悪の地域であった。 だからこそ日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大させ、「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」戦略で望まざるをえなかったのだ。 続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
12/08/29 18:53:09
>>313続き もとより朝鮮を統治下においた時点で、日本はすでに台湾を10年間統治していたので、何らかのメリットを得るために低開発状態の地域を育て上げることが容易でないことは十分に承知していたはずだ。 台湾の場合、統治の初年度である1896年だけで国家予算の11%という莫大な資金を台湾に注ぎ込まなければならなかった。 その後台湾に対する補助金は少しずつ減ったが、台湾経済は赤字が続き、1905年になって初めて台湾植民地政府は自立経済を達成できたほどだ。 朝鮮向けの投資はそれをさらに上回り、多いときには2000万円を超えたというが、これは日本の当時の国家予算の20%に相当する額だ。 安秉直氏は韓国では極めて稀な、日本統治を“客観的に”評価する学者だが、彼の研究によれば、朝鮮の植民地経済は1911年から38年まで年平均3.8%の成長を見せたが、当時これほど長く高成長が続いた例は稀だった。 1918年から44年までの産業構造の変化を見れば、農林水産業の生産比率が80%から43%に減少し、反対に工業生産の比率は18%から41%に増えた。 韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングス氏(シカゴ大学教授)によれば、日本の朝鮮経営は、植民地で産業化を逆行させ、農業社会に退行させた英国のインド経営と比較した場合、極めて対照的だったという。 1930年代から朝鮮半島に入った興南の窒素肥料工場、水豊の水力発電所、鎮南浦の工業団地などは当時の基準からみて世界的に最高水準の施設であった。 ★日本が朝鮮に遺した目にみえない貢献 これら一連の投資は、日本にとって朝鮮が “植民地”ではなく “日本の一部”とみなしていたことを表わしている。 他の列強と異なり、日本は特に教育に多くの投資をしたが、さまざまな報奨を提供し、本土で最も優秀な教師を大勢朝鮮に招聘(しょうへい)して各地の学校に送った。 続く
12/08/29 20:27:07
【「W杯で日韓友好」の嘘と偽善】より 作家・評論家 金完燮(キムワンソプ) >>309>>310>>311>>312>>313>>314>>315>>316
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上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.312 匿名
12/08/29 18:42:52
>>311続き
そればかりか、昨年8月、小泉首相の靖国神社参拝を巡って反日デモが最高潮に達していた時期、
この本の草稿を掲載したウェブサイトが、掲載から20日後、情報通信倫理委員会という検閲機関によって、何の通告もなしに閉鎖された。
この間、一日に数百人の韓国人から脅迫を受けた。
100年前の日本統治を肯定的に評価したというだけで、なぜ一介の物書きが身の危険を感じなければならないのか、慨嘆せずにはいられない。
★植民地としてはまったく“魅力”のなかった朝鮮
では、私が、その本で展開した日本統治時代の真実とはどのようなものなのか。
その一つの、非常に大きな比較材料となるのが、台湾の存在である。
朝鮮と台湾は共に過去、近代化が始まる重要な時期に日本による支配を経験したという共通点をもっているが、日本に対する態度はちょうど正反対といってよいだろう。
台湾は政府であれ民間であれ日本に対して極めて友好的な態度を堅持してきた。
例えば、台湾の英字新聞『Taiwan News』(2001年3月12日付)において、淡江大学歴史学科・林呈蓉教授は
「日本の統治時代がなければ、今日の台湾と中国統治下の海南島の間には何ら異なることがなかった」と断言し
その論拠を具体的に挙げ、同時に台湾総督府の民政局長として活躍した後藤新平を
“近代台湾の父”と仰いで尊敬の意を表している。
台湾において、こうした論調は多くの人々が支持するところである。
朝鮮で後藤新平のような役割を果たした人物は伊藤博文だといえるが、韓国の教科書ではいまだに伊藤を亡国の敵だと教えている。
両国が同時代、同じ性格の日本統治を経験しながら、大きな相違が生まれた理由を問うと、たいてい
「台湾に対する日本統治は15年長かったから」、あるいは
「台湾には日本統治以前に独裁的な王朝が存在しなかったから」
という答えが返ってくる。
しかし、独立以降、日本統治時代にその統治に協力した勢力が政権の中心にいた韓国で、なぜこれほど反日感情が深刻なのか、その説明としては不十分だ。
続く
No.313 匿名
12/08/29 18:48:03
>>312続き
日本による支配の“恩恵”を、例えば土地を例に見てみると
朝鮮を統治した日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。
それまでは土地や国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。
すなわちこの調査事業により、朝鮮の自作農は自分の土地の主人となり、地主は余分な税金を納めることなく土地を所有できるようになったのである。
しかし当たり前のことだが、歴史を記す層にとっては、経済基盤を奪われた“略奪の歴史”にほかならない。
どの立場から歴史を眺めるかによってその内容は変わるが、朝鮮全体としてみれば、(日本が自己の利益のために進出したが自己の利益のために進出した点を考慮しても)それによって恵まれた部分もあったことは否定できない。
ところで、韓国人が自国の歴史解釈において錯覚していることがある。
中国大陸を統一した諸王朝が朝鮮を直接統治しなかったのは、わが民族に独立精神が強かったからだとしているが、そうではない。
気候がよいわけでも土地が肥沃なわけでもなく、資源が豊富でもなかったために、あえて占領する必要がなかったのだ。
19世紀末、ロシアが朝鮮を欲しがったのは軍事的目的として不凍港を必要としていたに過ぎず
日本にとっても朝鮮はロシアの脅威を防ぎ、大陸に進出するための橋頭堡であることの他には、特別魅力のある土地ではなかった。
帝国主義が植民地を獲得しようとした背景には、地下資源や砂糖、ゴムのような原料を獲得するという明確な目的があった。
しかし、資源、気候、文化で日本と似たり寄ったりの朝鮮は、植民地としては最悪の地域であった。
だからこそ日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大させ、「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」戦略で望まざるをえなかったのだ。
続く
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No.314 匿名
12/08/29 18:53:09
>>313続き
もとより朝鮮を統治下においた時点で、日本はすでに台湾を10年間統治していたので、何らかのメリットを得るために低開発状態の地域を育て上げることが容易でないことは十分に承知していたはずだ。
台湾の場合、統治の初年度である1896年だけで国家予算の11%という莫大な資金を台湾に注ぎ込まなければならなかった。
その後台湾に対する補助金は少しずつ減ったが、台湾経済は赤字が続き、1905年になって初めて台湾植民地政府は自立経済を達成できたほどだ。
朝鮮向けの投資はそれをさらに上回り、多いときには2000万円を超えたというが、これは日本の当時の国家予算の20%に相当する額だ。
安秉直氏は韓国では極めて稀な、日本統治を“客観的に”評価する学者だが、彼の研究によれば、朝鮮の植民地経済は1911年から38年まで年平均3.8%の成長を見せたが、当時これほど長く高成長が続いた例は稀だった。
1918年から44年までの産業構造の変化を見れば、農林水産業の生産比率が80%から43%に減少し、反対に工業生産の比率は18%から41%に増えた。
韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングス氏(シカゴ大学教授)によれば、日本の朝鮮経営は、植民地で産業化を逆行させ、農業社会に退行させた英国のインド経営と比較した場合、極めて対照的だったという。
1930年代から朝鮮半島に入った興南の窒素肥料工場、水豊の水力発電所、鎮南浦の工業団地などは当時の基準からみて世界的に最高水準の施設であった。
★日本が朝鮮に遺した目にみえない貢献
これら一連の投資は、日本にとって朝鮮が
“植民地”ではなく
“日本の一部”とみなしていたことを表わしている。
他の列強と異なり、日本は特に教育に多くの投資をしたが、さまざまな報奨を提供し、本土で最も優秀な教師を大勢朝鮮に招聘(しょうへい)して各地の学校に送った。
続く
No.321 匿名
12/08/29 20:27:07
【「W杯で日韓友好」の嘘と偽善】より
作家・評論家 金完燮(キムワンソプ)
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