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12/08/29 18:48:03
>>312続き 日本による支配の“恩恵”を、例えば土地を例に見てみると 朝鮮を統治した日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。 それまでは土地や国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。 すなわちこの調査事業により、朝鮮の自作農は自分の土地の主人となり、地主は余分な税金を納めることなく土地を所有できるようになったのである。 しかし当たり前のことだが、歴史を記す層にとっては、経済基盤を奪われた“略奪の歴史”にほかならない。 どの立場から歴史を眺めるかによってその内容は変わるが、朝鮮全体としてみれば、(日本が自己の利益のために進出したが自己の利益のために進出した点を考慮しても)それによって恵まれた部分もあったことは否定できない。 ところで、韓国人が自国の歴史解釈において錯覚していることがある。 中国大陸を統一した諸王朝が朝鮮を直接統治しなかったのは、わが民族に独立精神が強かったからだとしているが、そうではない。 気候がよいわけでも土地が肥沃なわけでもなく、資源が豊富でもなかったために、あえて占領する必要がなかったのだ。 19世紀末、ロシアが朝鮮を欲しがったのは軍事的目的として不凍港を必要としていたに過ぎず 日本にとっても朝鮮はロシアの脅威を防ぎ、大陸に進出するための橋頭堡であることの他には、特別魅力のある土地ではなかった。 帝国主義が植民地を獲得しようとした背景には、地下資源や砂糖、ゴムのような原料を獲得するという明確な目的があった。 しかし、資源、気候、文化で日本と似たり寄ったりの朝鮮は、植民地としては最悪の地域であった。 だからこそ日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大させ、「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」戦略で望まざるをえなかったのだ。 続く
12/08/29 18:53:09
>>313続き もとより朝鮮を統治下においた時点で、日本はすでに台湾を10年間統治していたので、何らかのメリットを得るために低開発状態の地域を育て上げることが容易でないことは十分に承知していたはずだ。 台湾の場合、統治の初年度である1896年だけで国家予算の11%という莫大な資金を台湾に注ぎ込まなければならなかった。 その後台湾に対する補助金は少しずつ減ったが、台湾経済は赤字が続き、1905年になって初めて台湾植民地政府は自立経済を達成できたほどだ。 朝鮮向けの投資はそれをさらに上回り、多いときには2000万円を超えたというが、これは日本の当時の国家予算の20%に相当する額だ。 安秉直氏は韓国では極めて稀な、日本統治を“客観的に”評価する学者だが、彼の研究によれば、朝鮮の植民地経済は1911年から38年まで年平均3.8%の成長を見せたが、当時これほど長く高成長が続いた例は稀だった。 1918年から44年までの産業構造の変化を見れば、農林水産業の生産比率が80%から43%に減少し、反対に工業生産の比率は18%から41%に増えた。 韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングス氏(シカゴ大学教授)によれば、日本の朝鮮経営は、植民地で産業化を逆行させ、農業社会に退行させた英国のインド経営と比較した場合、極めて対照的だったという。 1930年代から朝鮮半島に入った興南の窒素肥料工場、水豊の水力発電所、鎮南浦の工業団地などは当時の基準からみて世界的に最高水準の施設であった。 ★日本が朝鮮に遺した目にみえない貢献 これら一連の投資は、日本にとって朝鮮が “植民地”ではなく “日本の一部”とみなしていたことを表わしている。 他の列強と異なり、日本は特に教育に多くの投資をしたが、さまざまな報奨を提供し、本土で最も優秀な教師を大勢朝鮮に招聘(しょうへい)して各地の学校に送った。 続く
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12/08/29 18:56:32
>>314続き 今でも韓国人に憎まれ続ける伊藤博文だが、彼こそ教育事業に多大な関心を寄せた指導者だった。 朝鮮では1895年の甲午改革によって近代教育制度が始まったが、伊藤が初代総監に就任した1906年まで11年経っても、全国の小学校は40にも満たないのが実状だった。 これを知った伊藤は着任早々、朝鮮人官僚を集めて 「あなたがたは一体何をしていたのか」 と叱責し、学校建設事業を最優先して改革をすすめた。 その結果、1940年代には全国に1000を超える各種学校ができていた。 残念ながら、日本時代に懸命に築き上げた朝鮮の経済基盤は、朝鮮戦争によって大半が破壊された。 しかし、社会の発展には目に見えない要素の方が重要だ。 教育制度、理念、慣習、法律、経験、技術のような無形の財産は戦争でも破壊されない。 第2次世界大戦後、焦土と化した上、莫大な賠償金を支払わなければならなかった日本とドイツの経済があれほど速やかに復活できたのは、神が奇跡を起こしたのではなく、彼らに先進工業国としての経験があったためだ。 高度な文明を作り上げそれを享受したことのある社会は、一時的な惨禍で物質的な基盤が壊滅してしまったとしてもすぐに立ち上がる能力を備えている。 われわれはこの無形の財産と経験を与えられたといってよい。 2001年夏、韓国放送公社では、2回にわたって放送した日本に関するドキュメンタリー番組で、私は日本が自虐史観に侵されていることを知った。 しかし、多くの文献から歴史的事実を学んだ私は、日本が明治維新以後、他のアジア諸国にはできなかった偉業を成し遂げ、日本のみならず人類の歴史にも多大な貢献をした国であることを知っている。 それだけに一度戦争に負けたことによって、自分たちの歴史にプライドをもてずにいることには、大きな悲しみともどかしさを感じている。 だからこそ近年日本で起きている 『新しい歴史教科書をつくる会』 などが提唱する、日本の歴史教科書の見直しには全面的に賛成である。 これは韓国で喧伝されているような右翼の蠢動(しゅんどう)などとは全く異なるもので、愛国者としての行動に他ならない。 続く
12/08/29 20:27:07
【「W杯で日韓友好」の嘘と偽善】より 作家・評論家 金完燮(キムワンソプ) >>309>>310>>311>>312>>313>>314>>315>>316
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No.313 匿名
12/08/29 18:48:03
>>312続き
日本による支配の“恩恵”を、例えば土地を例に見てみると
朝鮮を統治した日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。
それまでは土地や国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。
すなわちこの調査事業により、朝鮮の自作農は自分の土地の主人となり、地主は余分な税金を納めることなく土地を所有できるようになったのである。
しかし当たり前のことだが、歴史を記す層にとっては、経済基盤を奪われた“略奪の歴史”にほかならない。
どの立場から歴史を眺めるかによってその内容は変わるが、朝鮮全体としてみれば、(日本が自己の利益のために進出したが自己の利益のために進出した点を考慮しても)それによって恵まれた部分もあったことは否定できない。
ところで、韓国人が自国の歴史解釈において錯覚していることがある。
中国大陸を統一した諸王朝が朝鮮を直接統治しなかったのは、わが民族に独立精神が強かったからだとしているが、そうではない。
気候がよいわけでも土地が肥沃なわけでもなく、資源が豊富でもなかったために、あえて占領する必要がなかったのだ。
19世紀末、ロシアが朝鮮を欲しがったのは軍事的目的として不凍港を必要としていたに過ぎず
日本にとっても朝鮮はロシアの脅威を防ぎ、大陸に進出するための橋頭堡であることの他には、特別魅力のある土地ではなかった。
帝国主義が植民地を獲得しようとした背景には、地下資源や砂糖、ゴムのような原料を獲得するという明確な目的があった。
しかし、資源、気候、文化で日本と似たり寄ったりの朝鮮は、植民地としては最悪の地域であった。
だからこそ日本は朝鮮経済を速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大させ、「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」戦略で望まざるをえなかったのだ。
続く
No.314 匿名
12/08/29 18:53:09
>>313続き
もとより朝鮮を統治下においた時点で、日本はすでに台湾を10年間統治していたので、何らかのメリットを得るために低開発状態の地域を育て上げることが容易でないことは十分に承知していたはずだ。
台湾の場合、統治の初年度である1896年だけで国家予算の11%という莫大な資金を台湾に注ぎ込まなければならなかった。
その後台湾に対する補助金は少しずつ減ったが、台湾経済は赤字が続き、1905年になって初めて台湾植民地政府は自立経済を達成できたほどだ。
朝鮮向けの投資はそれをさらに上回り、多いときには2000万円を超えたというが、これは日本の当時の国家予算の20%に相当する額だ。
安秉直氏は韓国では極めて稀な、日本統治を“客観的に”評価する学者だが、彼の研究によれば、朝鮮の植民地経済は1911年から38年まで年平均3.8%の成長を見せたが、当時これほど長く高成長が続いた例は稀だった。
1918年から44年までの産業構造の変化を見れば、農林水産業の生産比率が80%から43%に減少し、反対に工業生産の比率は18%から41%に増えた。
韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングス氏(シカゴ大学教授)によれば、日本の朝鮮経営は、植民地で産業化を逆行させ、農業社会に退行させた英国のインド経営と比較した場合、極めて対照的だったという。
1930年代から朝鮮半島に入った興南の窒素肥料工場、水豊の水力発電所、鎮南浦の工業団地などは当時の基準からみて世界的に最高水準の施設であった。
★日本が朝鮮に遺した目にみえない貢献
これら一連の投資は、日本にとって朝鮮が
“植民地”ではなく
“日本の一部”とみなしていたことを表わしている。
他の列強と異なり、日本は特に教育に多くの投資をしたが、さまざまな報奨を提供し、本土で最も優秀な教師を大勢朝鮮に招聘(しょうへい)して各地の学校に送った。
続く
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No.315 匿名
12/08/29 18:56:32
>>314続き
今でも韓国人に憎まれ続ける伊藤博文だが、彼こそ教育事業に多大な関心を寄せた指導者だった。
朝鮮では1895年の甲午改革によって近代教育制度が始まったが、伊藤が初代総監に就任した1906年まで11年経っても、全国の小学校は40にも満たないのが実状だった。
これを知った伊藤は着任早々、朝鮮人官僚を集めて
「あなたがたは一体何をしていたのか」
と叱責し、学校建設事業を最優先して改革をすすめた。
その結果、1940年代には全国に1000を超える各種学校ができていた。
残念ながら、日本時代に懸命に築き上げた朝鮮の経済基盤は、朝鮮戦争によって大半が破壊された。
しかし、社会の発展には目に見えない要素の方が重要だ。
教育制度、理念、慣習、法律、経験、技術のような無形の財産は戦争でも破壊されない。
第2次世界大戦後、焦土と化した上、莫大な賠償金を支払わなければならなかった日本とドイツの経済があれほど速やかに復活できたのは、神が奇跡を起こしたのではなく、彼らに先進工業国としての経験があったためだ。
高度な文明を作り上げそれを享受したことのある社会は、一時的な惨禍で物質的な基盤が壊滅してしまったとしてもすぐに立ち上がる能力を備えている。
われわれはこの無形の財産と経験を与えられたといってよい。
2001年夏、韓国放送公社では、2回にわたって放送した日本に関するドキュメンタリー番組で、私は日本が自虐史観に侵されていることを知った。
しかし、多くの文献から歴史的事実を学んだ私は、日本が明治維新以後、他のアジア諸国にはできなかった偉業を成し遂げ、日本のみならず人類の歴史にも多大な貢献をした国であることを知っている。
それだけに一度戦争に負けたことによって、自分たちの歴史にプライドをもてずにいることには、大きな悲しみともどかしさを感じている。
だからこそ近年日本で起きている
『新しい歴史教科書をつくる会』
などが提唱する、日本の歴史教科書の見直しには全面的に賛成である。
これは韓国で喧伝されているような右翼の蠢動(しゅんどう)などとは全く異なるもので、愛国者としての行動に他ならない。
続く
No.321 匿名
12/08/29 20:27:07
【「W杯で日韓友好」の嘘と偽善】より
作家・評論家 金完燮(キムワンソプ)
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