全米が泣いた【コピペ】

匿名

匿名

11/06/17 10:34:16

泣けるversion

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古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.1

    11/06/17 10:34:42

    私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
    母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
    友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
    ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
    私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
    すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
    彩りも悪いし、とても食べられなかった。
    家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
    私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
    「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
    母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
    それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
    中を見ると弁当のことばかり書いていた。
    「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

  • No.5

    11/06/17 10:37:31

    6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、
    早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

    夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよ

    昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」
    と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
    朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
    早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
    「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
    夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
    「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
    動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を
    悲しく歪めて、それから声を押しころ すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
    私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って
    無理やり飲み込んで態勢を整えた。夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
    その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
    「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
    お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

  • No.9

    11/06/17 10:40:22

    しかし、なんだな
    母ちゃん死んで喪主として淡々と葬儀すまして
    涙なんて出ねえもんだなぁと思ってたが
    休み貰ってうたた寝してて
    夕方頃、家の近くでママチャリが止まる音を聞いてからずっと涙が止まんねえ、
    もう、すごい不意打ち

  • No.18

    11/06/17 10:46:36

    ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
    一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。
    2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は
    ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。
    「今日は雲一つない青空だ。」「桜の花がさいたよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。」
    そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
    ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
    ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
    「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」
    どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、
    自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見ごろしにした。
    窓側のベッドの男はそのまま死亡した。
    晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、
    打ちっ放しのコンクリートの壁だった。

  • No.26

    11/06/17 10:57:08

    先週、娘が家に来た。
    妻は娘を産んですぐに逝ってしまった。
    その頃私の仕事が忙しかった事と、義父母の説得もあり、娘は義父母に養子縁組してもらった。その時から娘にとって私は親戚の叔父さんになった。
    義父母には再婚してくれと言われたが、娘になるべく会いたいと思い近くに住まいを借りた。そのおかげで、娘もなついてくれ、成長も感じられ、生き甲斐だった。
    成長するにつれ、なついてくれなくなったが、娘はどんどん妻に似てきた。
    その娘が9月に結婚すると・・・
    途中、胸が一杯になり、涙ぐむと、娘が「おとうさん、ありがとう」と。
    結婚の話を義父母にした時に、事実を聞かされたらしい。
    その後、初めて2人で妻の墓参りに行った。
    妻にも娘の嫁ぐ姿を見せてやりたかった。そして、先月検査を受けた病院に結果を聞きにいった。残り1年。
    神様ありがとう。娘の結婚式に出席できるようにしてくれて。妻よありがとう。こんな私と結婚してくれて。
    そして、娘を産んでくれて。義父さん、義母さんありがとう。娘を立派に育ててくれて。
    そして、智則くん、娘を幸せにしてやってくれ。今、私は幸せでたまらない。

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  • No.35

    11/06/17 11:31:07

    「このぽっけすごいねんで!!(`・ω・´)三3ムフー!!」

    そう言って幼稚園の制服のポケットをパンパン叩いてた友達Aの息子
    ポケットにはハンカチ、ティッシュ、お菓子、小指の先サイズのドラえもん、母親とのプリクラ、
    それにムシキングカードなどなど…
    その子にとっての宝物が詰まってた
    「ぽっけ叩いたら欲しいもん何でも出てくんねん(`・ω・´)三3フンフン!!」
    ソレ聞いて少しイジワル言ってみた
    「じゃあミニカー出してみて」
    前から欲しがっていて 持っていない事は知っていた
    その子はムキになって
    「あるもん!!フン!フン!」とポケットをパンパン叩いて宝物を散らかしていった私はその子の隙を見て
    あらかじめ買っておいたミニカーを そっとポケットに忍ばせた

    「フン!…あっ!! …フフ~ン♪」

    得意気に出てきたミニカーを私に見せびらかしてたが、物陰で
    (´・ω・`)??
    みたいな顔してた
    かなり萌えた

  • No.36

    11/06/17 11:32:12

    ある日Aが死んだ脳溢血だった 職場で突然倒れそのまま逝ってしまった。友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
    私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、関係者への連絡などで忙殺されていた。その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を何度も何度も読んでいた
    通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた。私と手の空いた者が付近を探した
    しばらく探していると友達Bから着信
    小さな公園で見つけたとの事、急いで駆けつけるとBは公園の入口で、どういうワケかうずくまって泣いていた
    フッ…と公園の中を見ると彼が居た暗い街灯の下、 「…お母さん、お母さん…お母さん…」
    と泣きながら必死にポケットを叩いてた
    周りには宝物が散らばっていた。
    恥ずかしながら20代女、その子慰める前に しばらくの間 泣き崩れてしまいました
    声を殺して抱きしめる事しか出来なかった
    いつの間にか集まってたみんなも泣いていた
    あの日は全てが悲しくて仕方がなかった

    あれから二年
    もうポケットは叩く事は無くなった代わりに「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」

    が口癖になった
    最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか どうやらBが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしいその話を聞いた瞬間、また泣いてしまった
    子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです。 少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ
    君には5人のお母さんがついてるぞ
    その日までちゃんとAの分まで全力で見守ってるからね

  • No.42 ごめん。泣けないか~

    11/06/17 13:03:43

    蟹食ったよ( ゚д゚)ウッウー

    父:(;`・ω・´)‥‥(蟹の身をひたすら取り出し、溜めている)
    母:(゚д゚)お父さんったら、もう。嫌な食べ方してー。
    父:(;`・ω・´)‥‥(脚の取り出し作業終了。胴体へ移行)
    母:(*゚∀゚)あらすごい蟹味噌!
    父:(;`・ω・´)‥‥(蟹味噌の詰まった甲羅に取り出した身を苦心して盛り付けている)
    母:(*゚д゚)もう、お父さん!子供みたいな事しないでってば!
    父:(;´・ω・`)フゥ‥‥終った。

    父:(*´・ω・`)はい、お母さんどうぞ。
    母:(*゚д゚*)‥‥。

  • No.43

    11/06/17 13:04:59

    小学校6年くらいの時の事
    親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
    名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
    その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
    帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、公園のブランコに座って立てなくなった私に、
    親友はずっと付き添っていてくれ、
    「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、カバンからメロンのアイスの容器
    (メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
    一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんてメロンのカップ
    片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
    十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
    『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり
    忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
    「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
    『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
    そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
    机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、あなたがいてくれたからやってこれたんだと
    伝えたかったのに、
    ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしか
    できなかった。
    親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
    もちろんメロンのカップで。
    もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。

  • No.48

    11/06/17 13:09:15

    嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
    西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
    後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
    ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。

    わかんないはずなの。
    でも、嫁、振り返って

    手話で
    《わたしも》
    って言ってくれた。

    俺、明日もがんばれるわ。

  • No.50

    11/06/17 15:49:57

    昨年、突発性難聴と診断された妻。病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、
    とうとう先週「このままの聴力で安定して行くでしょう」と言われて帰って来た。
    きっとショック受けてんだろうなーと家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。
    「私、手話覚えるしかないかなー」なんて笑いながら話してた。
    (静かな場所であれば、響く様な感じだが聞き取れるし話せる程度)
    夜子供が寝た後に、これから必要になるかも…?と、二人でゴロゴロしながら筆談をしてみた。
    最初は他愛もない話だったんだが、いきなり妻が「ごめんね。辛くなったらいつでも言ってね?
    私こんなんになっちゃって、いつでも離婚しても良いと思ってるよ。」って書いた。

    つい大きな声で「お前離婚したいのか?!
    耳が聞こえない位で離婚するわけないだろ!バ カか!」って言ってしまった。
    妻はかぼそい声で「出来る事、一生懸命やるから、頑張るから捨てないでね…」って泣いた。
    妻がこの件で初めて泣いたのを見て、俺も泣いた。
    ずっと我慢してたんだって。不安だったろうな、辛かったろうな…。
    抱き合って泣いてる俺達にびっくりして起きてしまった2歳の娘が、
    「おか~しゃん おと~しゃん 泣かないの ヨチヨチ」ってしてくれた。
    この温かい家族をこれからも俺が守って行こうと思ったよ。

  • No.51

    11/06/17 15:54:46

    俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
    まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
    この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
    良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
    こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
    やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

    あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
    父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
    一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
    でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
    その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
    当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
    「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
    星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
    でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
    突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
    いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
    同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。 →→

  • No.52

    11/06/17 15:55:49

    それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
    高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
    「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

    そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
    結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
    でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
    良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
    心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

  • No.71 暇人でごめんね(´;ω;`)

    11/06/17 23:22:45

    大学が決まり一人暮らしの前日の日
    親父が時計をくれた。
    金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
    「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
    そういってた。
    二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
    ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
    紛れもない偽者であることが判明した。
    すぐに親父電話した。

    俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
    親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
       最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
    親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
    俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
    親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
    親父「がはははは!女にでもはまったか?このバ カ息子が!!ははは!!」

    正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
    今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
    そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
    また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
    親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
    オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

    俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
    二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
    親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。

  • No.72

    11/06/17 23:31:38

    私には、兄がいました。
    3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
    ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
    勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
    バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
    苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
    たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
    とても、強かったので、大苦戦してました。

    ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
    「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
    私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
    なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
    そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

    葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
    お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
    でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
    だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

    私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
    ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
    そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
    兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
    それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
    その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
    お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

    今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。

  • No.74

    11/06/17 23:50:02

    昨日、恋人がし んじゃったんです。病気で。
    そしたらなんか通夜が終わって病院に置いて来た荷物とか改めて取りに行ったら
    その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
    で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」とか書いてあるんです。 もうね、ア.ホかと。
    お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボ.ケが。し んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
    なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死で書いてたのか。おめでてーな。
    よーし〇〇君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
    お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
    愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
    初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、
    言おうか言わざるべきか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんな事言い出すやつは、すっこんでろ。
    で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に「わたしの事は忘れて他の人と幸せになって欲しい」
    とか書いてあるんです。 そこでまたぶち切れですよ。
    あのな、俺はお前がホントにし んだなんて信じらんねーんだよ。得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
    お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
    お前、これは全部タチの悪い夢でホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
    独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対してできる供養はやっぱり、 お前の事を忘れないこと、これだね。
    たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
    お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。 で、それにお前の事をずっと想い続ける。これ最強。
    まあお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっちに行くまで待ってなさいってこった。

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