• No.23 飛石

    25/10/21 18:25:50

    子が家を出てゆくというのは、家の空気がひとつの季節を終えることに似ている。
    息子が社宅へ移るという知らせを聞いたとき、胸の奥にわずかな風が通り抜けた。
    それは悲しみというよりも、静かな諦めのようなものだった。
    「実家にいるとWi-Fiがラグくてイラつくから」――
    なんと現代的で、なんと若々しい理由だろう。
    だがその言葉の奥に、私はひとつの生命の流れを感じた。
    人はやがて、自分の波を立てる場所を求めて海へ出てゆく。
    その出発のきっかけがどんなものであれ、
    風が吹き、波があるかぎり、若者は岸を離れるのだ。

    思えば、長女も一年ほど前、友人とシェアハウスを始めると言って家を出た。
    そのときも、私は台所の流しの音を聞きながら、
    心のどこかでひとつの灯が遠ざかっていくのを感じていた。
    朝食の席にふたり分の湯気しか立たなくなったとき、
    家というものの広さが、これほど冷たく響くものかと思った。
    廊下に残る娘の香り、部屋の隅に置き忘れられた小さな鏡――
    それらはまだ、微かに人のぬくもりを保ちながら、
    時の中で静かに色あせていく。

    いずれこの家は、夫婦ふたりだけの世界になるのだろう。
    食卓には、音の少ない夕餉。
    テレビの光が壁に淡く揺れ、
    風の通う音と時計の針の音が、
    まるで会話の代わりをしているように思えるかもしれない。
    それでも、私はその静寂を恐れようとは思わない。
    人はいつか、無に似た静けさの中に還ってゆく。
    その予行のような時間が、
    こうして夫婦ふたりで迎える暮らしなのだろう。

    子らが巣立ったあとに訪れる「無」と「静寂」は、
    決して空虚ではない。
    それは、あらゆる喧噪を経てたどり着く
    ひとつの透明な場所であり、
    そこには若き日の思い出が、
    風のように、光のように、静かにたゆたっている。

  • No.26 化石

    25/10/21 18:42:12

    >>23

    みんなのおっさんかと思いきやポエム婆さん。

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