連続テレビ小説【らんまん】ネタバレ書き込み禁止専用

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      23/09/04 20:06:50

    らんまんのモデルに関する記事です。
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    朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎。小学校中退に浮気...破天荒な人生の真相を明らかに!(4)

    妻と10人を超える子どもたちにかけ続けた苦労

    浮気こそなかったとしても、富太郎が植物学の研究に没頭するあまり経済面で壽衛や子どもたちに苦労をかけたのは紛れもない事実。家計が苦しい中でも富太郎が研究を続けられたのは、壽衛の献身的な努力のおかげでした。

    「経済的な困窮の中で彼女は『まるで道楽息子を一人抱えているようだ』と冗談を言いつつも、ある時には渋谷の荒木山(現在の円山町)で『待合』を経営して、自分でも収入を得て家計を助けようとします」

    しかし、当時は富太郎が東京帝国大学講師であったため、世間の厳しい目を気にして待合の店をたたむことになってしまいます。このように、苦境を抜け出そうと壽衛は努力を重ねますが、その人生は苦労の連続でした。

    「10人を超える当時でもたくさんの子どもたちを抱えて、借金取りに言い訳やお詫びをしたり、ついにはたびたび転居という名の『夜逃げ』をせざるをえなかった壽衛。彼女の苦労は、察してあまりあります」

    最期を迎えようとする妻に示した愛情表現とは?

    彼女の苦労が少しだけ報われたのは、関東大震災後の1926年。富太郎が東京府北豊島郡大泉村に自宅(現在の牧野記念庭園)を建設し、一家はようやく長年の借家生活から解放されます。しかし、2年後の1928年に壽衛は病気でこの世を去ってしまいました。それまでの間、富太郎は病床の壽衛に対して彼なりの謝意と愛情を示します。

    「病院での治療費が支払えずに、ベッドから追い出されそうになっている重体の妻に対して、仙台で発見した新種の笹に『スエコザサ』と命名したうえ、『ササ・スエコヤナ』という学名を付けて発表することで、せめてもの罪滅ぼしをしようと考えたのでしょうか。壽衛が亡くなった時、富太郎は壽衛の亡骸に深々と頭を下げ、感謝の意を示しました」

    出典:mi-mollet

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