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胃腸炎の子を置いて出かけるママ友
23/07/31 11:26:41
>>4886 見にくくなってるから書き込むのもゲンナリして諦める事あるよ。
23/08/29 09:04:58
>>4890 朝ドラ「らんまん」 藤丸のモデルは市川(田中)延次郎? ”狸の巣”に通った牧野富太郎博士の友達たち 高知新聞社 高知県出身の植物学者、牧野富太郎博士を主人公のモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。第16週「コオロギラン」では、槙野万太郎(神木隆之介)とともに東京大学植物学教室で学ぶ藤丸次郎(前原瑞樹)が、思い悩んでいる様子が描かれています。 藤丸は新種を先に発見し、学名の名付け親となることを競う植物学研究の世界に疲れてしまった様子。大学を辞めたいという藤丸に万太郎は「藤丸は人の痛みがよう分かる。その分、競い合いは性に合わん。それが藤丸次郎の特性ながじゃ」と語りかけ、少し休んで自分に合った道を見つけるよう助言をします。美しい友情ですね。 藤丸のモデルは、史実の牧野博士が出入りしていた東大植物学教室の学生、市川延次郎(後に田中と改姓)だと考えられます。牧野博士の自叙伝から引用します。 「私の下宿によく遊びにきた友人に、市川延次郎と染谷徳五郎という二人の男がいた。共に東京大学の植物学教室の選科の学生だった。(中略)市川延次郎の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに出かけて、一緒に好物のスキヤキをつついたものだ。ある時、市川、染谷、私の三人で相談の結果、植物の雑誌を刊行しようということになった」 延次郎と牧野博士は、お互いの家を行き来する関係だったようです。ドラマの中でも、藤丸は実家が千住の南にある酒問屋だと話していましたね。また藤丸は、万太郎と波多野泰久(前原滉)と協力して刊行した植物学雑誌に、史実の延次郎と同じ「すつぽんたけノ生長」という論文を寄せています。 ちなみに史実の徳五郎は植物学雑誌に、ドラマの波多野と同じ「花ト蝶トノ関係」という論文を書いています。ただ、波多野はドラマの中で「(目で)見えないものをやりたい」と述べており、研究分野的には史実の牧野博士と植物学教室で出会い生涯親しく、植物の細胞学や遺伝学を研究した池野成一郎(1866-1943)がモデルなのかも知れません。 藤丸と波多野はドラマの中でたびたび、十徳長屋の万太郎の部屋に集まります。その部屋は植物標本や本であふれかえり、長屋の差配人である江口りん(安藤玉恵)らに「狸(たぬき)の巣穴」と言われてしまいますが、これも史実だったようです。 牧野博士は自叙伝で「下宿の私の部屋は、採集した植物や、新聞紙や、泥などが一面に散らかっていたので、『牧野の部屋はまるで狸の巣のようだ』とよくいわれたものである」と語っています。万太郎と同じく、研究に集中し過ぎて片付けは苦手だったようです。 散らかった小さな部屋で夢を語り合う、らんまんの植物学教室のメンバーたち。牧野博士も、友人たちとそんな青春時代を過ごしたのかも知れませんね。(楠瀬健太) 出典:高知新聞社
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25/12/21 15:10:27
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No.4890 生い立ちのムービー
23/07/31 11:26:41
>>4886
見にくくなってるから書き込むのもゲンナリして諦める事あるよ。
No.5691 ハネムーン
23/08/29 09:04:58
>>4890
朝ドラ「らんまん」 藤丸のモデルは市川(田中)延次郎? ”狸の巣”に通った牧野富太郎博士の友達たち
高知新聞社
高知県出身の植物学者、牧野富太郎博士を主人公のモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。第16週「コオロギラン」では、槙野万太郎(神木隆之介)とともに東京大学植物学教室で学ぶ藤丸次郎(前原瑞樹)が、思い悩んでいる様子が描かれています。
藤丸は新種を先に発見し、学名の名付け親となることを競う植物学研究の世界に疲れてしまった様子。大学を辞めたいという藤丸に万太郎は「藤丸は人の痛みがよう分かる。その分、競い合いは性に合わん。それが藤丸次郎の特性ながじゃ」と語りかけ、少し休んで自分に合った道を見つけるよう助言をします。美しい友情ですね。
藤丸のモデルは、史実の牧野博士が出入りしていた東大植物学教室の学生、市川延次郎(後に田中と改姓)だと考えられます。牧野博士の自叙伝から引用します。
「私の下宿によく遊びにきた友人に、市川延次郎と染谷徳五郎という二人の男がいた。共に東京大学の植物学教室の選科の学生だった。(中略)市川延次郎の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに出かけて、一緒に好物のスキヤキをつついたものだ。ある時、市川、染谷、私の三人で相談の結果、植物の雑誌を刊行しようということになった」
延次郎と牧野博士は、お互いの家を行き来する関係だったようです。ドラマの中でも、藤丸は実家が千住の南にある酒問屋だと話していましたね。また藤丸は、万太郎と波多野泰久(前原滉)と協力して刊行した植物学雑誌に、史実の延次郎と同じ「すつぽんたけノ生長」という論文を寄せています。
ちなみに史実の徳五郎は植物学雑誌に、ドラマの波多野と同じ「花ト蝶トノ関係」という論文を書いています。ただ、波多野はドラマの中で「(目で)見えないものをやりたい」と述べており、研究分野的には史実の牧野博士と植物学教室で出会い生涯親しく、植物の細胞学や遺伝学を研究した池野成一郎(1866-1943)がモデルなのかも知れません。
藤丸と波多野はドラマの中でたびたび、十徳長屋の万太郎の部屋に集まります。その部屋は植物標本や本であふれかえり、長屋の差配人である江口りん(安藤玉恵)らに「狸(たぬき)の巣穴」と言われてしまいますが、これも史実だったようです。
牧野博士は自叙伝で「下宿の私の部屋は、採集した植物や、新聞紙や、泥などが一面に散らかっていたので、『牧野の部屋はまるで狸の巣のようだ』とよくいわれたものである」と語っています。万太郎と同じく、研究に集中し過ぎて片付けは苦手だったようです。
散らかった小さな部屋で夢を語り合う、らんまんの植物学教室のメンバーたち。牧野博士も、友人たちとそんな青春時代を過ごしたのかも知れませんね。(楠瀬健太)
出典:高知新聞社
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