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<黒歴史>娘の涙袋メイクをやめさせたい!
23/07/06 17:23:44
>>4013 言っても無駄よ、ここそいつの嫌がらせコメントだらけのトピなんだから
23/07/09 14:43:00
>>4049 朝ドラ「らんまん」好調の秘密 万太郎に今後訪れるであろう“悲劇”とは (2) 1話15分に見せ場と笑いが用意されている 広く観られている理由はまだある。1話につき15分しかないにもかかわらず、見せ場と笑える場面、あるいは微笑む場面が用意されている。つなぎに過ぎないような中身の薄い1話がない。だから満足度が高い。 長田氏は故・井上ひさし氏の晩年の弟子で、演劇畑の人。この脚本にも演劇と似たところがある。1話を1幕と捉えているのではないか。演劇は1幕だけ観ても一定の満足が得られる作品が多い。 第68話もそうだった。万太郎は田邊から自分専属の「プラントハンター」になることを望まれた。つまり、田邊のために植物を探し歩く下働きである。だが、万太郎は毅然と断る。見せ場だった。 「(自分で見つけた植物が)大好きですき、誰にも渡せません。寿恵子さんを誰にも渡しとうないのと一緒です」(万太郎、第68話) 長田氏のセリフづくりのうまさも表れていた。こう言われたら、田邊だって面と向かっては怒れない。 同話には笑いもしっかりと盛り込まれていた。田邊と別れた後、万太郎は気落ちしていた。上司に逆らったことになるのだから、当たり前である。しかし、寿恵子に励まされ、笑顔を取り戻す。 そして路上で寿恵子を抱擁しながら「(家に)帰ろう、一刻も早く」と、ささやいた。こうなると、寿恵子が期待することは夫婦の営みしかない。 帰宅後の寿恵子はすぐに布団を敷き、夫婦枕を整え、準備万端。ところが万太郎は机にかじりついていた。 「スエちゃんのお陰で今はやる気に満ちあふれちゅう。ワシ、頑張るき。ありがとう!」(万太郎、同話) 寿恵子は引きつった笑顔を浮かべながら壁を叩いた。 万太郎に今後訪れる悲しみ ほかにも広く観られているわけがある。長田氏は物語の構成もうまい。特に省略の仕方だ。万太郎は明治期になる6年前の1862年に生まれた。富太郎博士と一緒だ。しかし、幕末の混乱をほとんど描かなかった。 万太郎が5歳の時に出会い、教えを受けた坂本龍馬(ディーン・フジオカ、42)もいつの間にか消えた。幕末を描くとテーマがぼやけてしまうと、長田氏は考えたのだろう。 その後、万太郎が12歳だった1874(明治7)年から18歳の1880年(明治13)年まで物語が飛んだ。これも正しい判断だと思う。小学校を中退し、生活の場が「峰屋」しかなかった10代半ばの万太郎はエピソードがつくりにくい。 その代わり、自由民権運動は厚く描いた。1881(明治14)年だった第22話、運動に関わったとして、万太郎は集会条例違反で逮捕される。自由民権運動がしっかり描かれたのは、「自由」という作品の大テーマに関わるからだ。 竹雄は身分差や偏見から自由になる。綾と結婚したからではない。竹雄は「峰屋」の当主になっても身を粉にして働くに違いないから、分家もきっと認める。死を間近に控えたタキの懇願もある。「これよりは本家、分家と上下の別なく、商いに励んで欲しい」(タキ、第65話)。 出典:YAHOOニュース(デイリー新潮)
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.4049 ドレスのファスナーがしまらない
23/07/06 17:23:44
>>4013
言っても無駄よ、ここそいつの嫌がらせコメントだらけのトピなんだから
No.4133 スルーに負けず頑張れ!
23/07/09 14:43:00
>>4049
朝ドラ「らんまん」好調の秘密 万太郎に今後訪れるであろう“悲劇”とは
(2)
1話15分に見せ場と笑いが用意されている
広く観られている理由はまだある。1話につき15分しかないにもかかわらず、見せ場と笑える場面、あるいは微笑む場面が用意されている。つなぎに過ぎないような中身の薄い1話がない。だから満足度が高い。
長田氏は故・井上ひさし氏の晩年の弟子で、演劇畑の人。この脚本にも演劇と似たところがある。1話を1幕と捉えているのではないか。演劇は1幕だけ観ても一定の満足が得られる作品が多い。
第68話もそうだった。万太郎は田邊から自分専属の「プラントハンター」になることを望まれた。つまり、田邊のために植物を探し歩く下働きである。だが、万太郎は毅然と断る。見せ場だった。
「(自分で見つけた植物が)大好きですき、誰にも渡せません。寿恵子さんを誰にも渡しとうないのと一緒です」(万太郎、第68話)
長田氏のセリフづくりのうまさも表れていた。こう言われたら、田邊だって面と向かっては怒れない。
同話には笑いもしっかりと盛り込まれていた。田邊と別れた後、万太郎は気落ちしていた。上司に逆らったことになるのだから、当たり前である。しかし、寿恵子に励まされ、笑顔を取り戻す。
そして路上で寿恵子を抱擁しながら「(家に)帰ろう、一刻も早く」と、ささやいた。こうなると、寿恵子が期待することは夫婦の営みしかない。
帰宅後の寿恵子はすぐに布団を敷き、夫婦枕を整え、準備万端。ところが万太郎は机にかじりついていた。
「スエちゃんのお陰で今はやる気に満ちあふれちゅう。ワシ、頑張るき。ありがとう!」(万太郎、同話)
寿恵子は引きつった笑顔を浮かべながら壁を叩いた。
万太郎に今後訪れる悲しみ
ほかにも広く観られているわけがある。長田氏は物語の構成もうまい。特に省略の仕方だ。万太郎は明治期になる6年前の1862年に生まれた。富太郎博士と一緒だ。しかし、幕末の混乱をほとんど描かなかった。
万太郎が5歳の時に出会い、教えを受けた坂本龍馬(ディーン・フジオカ、42)もいつの間にか消えた。幕末を描くとテーマがぼやけてしまうと、長田氏は考えたのだろう。
その後、万太郎が12歳だった1874(明治7)年から18歳の1880年(明治13)年まで物語が飛んだ。これも正しい判断だと思う。小学校を中退し、生活の場が「峰屋」しかなかった10代半ばの万太郎はエピソードがつくりにくい。
その代わり、自由民権運動は厚く描いた。1881(明治14)年だった第22話、運動に関わったとして、万太郎は集会条例違反で逮捕される。自由民権運動がしっかり描かれたのは、「自由」という作品の大テーマに関わるからだ。
竹雄は身分差や偏見から自由になる。綾と結婚したからではない。竹雄は「峰屋」の当主になっても身を粉にして働くに違いないから、分家もきっと認める。死を間近に控えたタキの懇願もある。「これよりは本家、分家と上下の別なく、商いに励んで欲しい」(タキ、第65話)。
出典:YAHOOニュース(デイリー新潮)
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