「コロナは茶番」侮る人の大量発生を防げない訳

  • なんでも
  • 今川義元
  • 20/12/27 14:53:16

2020年12月27日 12時0分
東洋経済オンライン

コロナ否認の深層心理を探る(写真:nito100/iStock)

日本の社会が先行きの見えない不安に覆われている。驚くような事件や事象が次々と巻き起こる一方で、確かなものはますますわからなくなりつつある。わたしたちは間違いなく心休まらない「不安の時代」に生きている。しかもそれは、いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を抱えている。そんな混迷の時代の深層に迫る連載第3回。

コロナ否認主義の影響力が大きくなっている
コロナ禍になってから新型ウイルスの存在を頭ごなしに否定する言説をさまざまなところで目にするようになった。この現象は世界的なもので、ソーシャルメディアの影響力もさることながら、反自粛デモなどの先鋭化につながっている。さきごろ日本でも「コロナはただの風邪」と主張し、日本医師会館に居座った政治団体の党首が、建造物侵入容疑で逮捕されたばかりだ。


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欧米では、このような考え方をすでにコロナ否認主義(COVID-19 denialism)と呼び、似非科学や陰謀論などを盲信して公衆衛生上の危機を助長するとみて警戒を強めている。ツイッターやフェイスブックが、コロナワクチンの安全性などに関する誤った情報を削除する方針を示したのは、その影響力が無視できないほど大きなものになっているからにほかならない。

筆者は、コロナ否認を以下の3つに類型化している。

・マッチョ型コロナ否認
 コロナはただの風邪。免疫力を上げれば問題ない。高齢者や身体が弱い者が死ぬのは寿命であり、自然の摂理。

・不安逃避型コロナ否認
 コロナはフェイク。新型ウイルスは現実には存在しない。仕組まれた騒動の裏で国際的な悪事が行なれている。

・スピリチュアル型コロナ否認
 コロナの出現は神や宇宙の意志によるもの。心の持ちようでウイルスは無害化できる。霊的進化の可能性も示唆。

順番にその特徴と背景を解説していくが、これらは明確に区分けできる場合もあれば、複数の型が絡み合っている場合もある。いずれにせよ一足飛びに否認主義へと傾いてしまいがちになるのは、無症状または軽症者の多さや、身近に感染者がいないという直接情報の不足に加えて、社会・経済活動の抑制が限界に達し、「普段通りの生活」への欲求が高まっていることや、(現代人にとって)過去に例のない感染症のパンデミック(世界的な大流行)であり、心理的に安心できる物語を切実に求めていることなどが主な動機として考えられる。

マッチョ型コロナ否認は、「コロナはただの風邪」というフレーズの通り、国家やマスコミが不必要に恐怖をあおっているだけで、従来の風邪と同じく自粛もマスクもしなくて良いとする潮流だ。免疫力を上げれば問題ないと捉えるので、医療へのアクセスは軽視されがちで、反対に民間療法には好意的である。高齢者や基礎疾患を持つ者が死ぬのは、極言すればその人の寿命であり、自然の摂理とみなす。

そもそも否認とは、防衛機制の一種である。恐ろしい出来事や不安な事実をありのままに受け入れることが困難であるがゆえの心の働きだ。「コロナはただの風邪」と言い切ってしまえば何も心配することがなく、コロナ禍がすべて茶番として処理できてしまう。世界は依然として自分にとって制御可能な安全な場所だという信念を強化することができる。とりわけ保守的な価値観を持つ人にとっては馴染みがある作法といえる。
 

続く

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    • 今川義元
    • 20/12/27 14:54:00


    かつて自然界の舞台裏に神々や妖精、トロール(小鬼)などの「主体」を幻視することがアニミズム的感受性であったとすれば、自然がコミュニケーション不可能な物理的対象となった結果として、昔ながらの思考の癖や構え自体は残存してしまうことから、わたしたちはその慣れ親しんだ感受性にならって社会の内部、あるいは世界の外側に「主体」を幻視しているだけかもしれない。つまり、古代において神々や妖精の仕業としていたものを、現代では秘密結社や宇宙意志の仕業へとアップデートしただけともいえる。

    確かにどこかに首謀者がいて、その目的を知ることができることは、わたしたちの滅入った気分を落ち着かせるのに役立つだろう(ウイルスとコミュニケーションが取れるという立場はその最先端である)。刺激的な物語とネットコミュニティーは、その信念に特別な意味を与えてくれる。しかし、実態としてエイズ否認主義の結末と同様に、コロナ禍に対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒を担いでしまう。

    コロナは存在しないと信じていたインスタグラマーの死
    100万人超のフォロワーを抱えていた人気インスタグラマーの死はあまりにも象徴的だ。コロナによる合併症で亡くなったその30代の男性は、感染が判明するまでコロナは存在しないという陰謀論を信じていたことを悔いていた。

    わたしたちが犯人探しに興じやすいのは決して奇妙な傾向ではない。進化の過程を辿ればまったく正常な反応ともいえる。けれども、それは今や自然災害などといった偶然の産物には不向きだ。概して極端な方向へと舵を切りやすい。それは結局のところ、感染症対策を徹底しつつ経済活動を行うという綱渡りに石を投げる行為を招く。

    行動変容に従わない者の厳罰化といった規制強化を要求し自粛警察を買って出る極端さ、特定のワクチンの欠陥からあらゆるワクチンの有効性を否定する反ワクチンへと傾倒する極端さ、その両極からできるだけ距離を置いたほどほどのリアリズムこそが重要である。わたしたちが避けなければならないのは、清涼剤に似た極端さへの誘惑なのだ。

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    • 今川義元
    • 20/12/27 14:53:49

    スウェーデンの心理学者であるキルスティ・ユルハの「気候変動否認」に関する研究が参考になる。政治的に保守的な人々の間で気候変動の否定が一般的な傾向であるというこれまでの研究を踏まえ、ユルハは政治的イデオロギーなどとの関連を詳しく調べた。

    その結果、気候変動否定は、政治的志向、権威主義的態度、現状維持の支持と相関があることが明確になった。また、タフマインドな性格(共感性が低く、優位性が高い)、閉ざされた心(経験に対する開放性が低い)、男性の性別とも相関があることがわかった(The psychology behind climate change denial/Uppsala University)。

    大局的な変化を過小評価して自尊感情を守る
    このような否認の特性からは、端的にウイルスに怖じ気づく臆病者は誤っており、脅威に動じない勇敢な者が正しいといったステレオタイプの思考が読み取れる。大局的な変化を過小評価することで自尊感情を守るのである。

    マッチョ型コロナ否認は、不安逃避型コロナ否認と親和性が高い。マッチョ型にとって、実のところただの風邪とするか、フェイクとするかはさほど重要な問題ではない。起点にあるのは「大したことは起こっていない」という正常性バイアスであり、最終的には人類史という時間軸で被害を相対化しようとするからだ。そういう意味で日本においては欧米に比べてかなり低い人口当たりの死者割合や、その有力な因子を指すファクターXはむしろ裏目に出ている。

    不安逃避型コロナ否認は、コロナは真っ赤なうそであり、新型ウイルス自体が捏造されたもので、現実には存在しないと力説する。コロナワクチンはマイクロチップを埋め込む方便で、人々を監視し奴隷化しようとしている、5G(第5世代移動通信システム)の電波がすべての原因である云々。陰謀論とは、いわば正常性バイアスを豪華に飾り立てる魅力的な物語なのである。「大したことが起こっていない」が真であれば、危機は作り出されたものと考えるのが合理的だ。数十億人もの人々がまんまと騙されているというわけである。

    そもそも病原体に対する否認主義は、新型コロナウイルスが初めてではない。かつては「エイズ(HIV感染症)は存在しない」と声高に唱えたグループがいたからだ。社会心理学者のセス・C・カリッチマンは、『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(野中香方子訳、化学同人)で、いかに多くの人々が誤った知識の犠牲になったかを歴史的に追及しているが、他方で「宗教が世界に意味を持たせるように、陰謀説は説明しにくいことを説明する」とその魔力を見抜いた。名指しできる〝主犯〟が明らかになれば、不愉快な複雑性と向き合わずに済む。

    不安逃避型コロナ否認にとって、主犯は世界政府や秘密結社などだが、スピリチュアル型コロナ否認にとっての主犯は神や宇宙である。どちらもコロナ禍は何者かが意図的に作り出したものと捉える。とはいえ、スピリチュアル型は災い転じて福となす系統であり、自己愛を満たすための聖なるお告げに変身を遂げる。

    人類を霊的進化に導く「宇宙の計画」とする声も専門家やメディアが発信する情報でパニックに陥っているとコロナは人に牙を剥き、逆に愛と真心で迎え入れると無害化されると論じるインフルエンサーがいる。しかも、次元上昇や霊的進化といった精神の成長をほのめかしているのが特徴だ。例えばチャネラーで有名なウィリアム・レーネンは、コロナは人類を霊的進化に導くための「宇宙の計画」だと断言している(ウィリアム・レーネン『アフターコロナと宇宙の計画』伊藤仁彦訳、ヒカルランド)。
    これらは、あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そうとする進化心理学の理論をなぞるものだ。
    認知科学者のダニエル・C・デネットは、それを「志向的な構え」と名付けている。

    デネットは、「志向的な構えとは、(人間、動物、人工物を問わず)ある対象の行動について、その実体を、『信念』や『欲求』を『考慮』して、主体的に『活動』を『選択』する合理的な活動主体と見なして解釈するという方策である」と説明する。つまり「志向的な構えとは、わたしたち人間がおたがいに対して持っている態度や観点であり、したがって、これを人間以外の他のものに当てはめるということ」なのだ(ダニエル・C・デネット『心はどこにあるのか』土屋俊訳、ちくま学芸文庫)。

    わたしたちは長い進化の過程で、他者の心に対する関心を強め、内省的思考を身に付けた結果として、自然の事物に心や魂があるとするアニミズムへと発展した。これが現在も、わたしたちが世界を認識する際にも無意識に用いているというわけである。

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