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- 貞和
- 20/06/24 03:32:21
◆評価を下し、価値観を押し付ける母
私には母がいる。好きではない母が。よりによってなぜ私にはこの女性が母として割り当てられたのだろう。子が親を選んで生まれてくるなら、私はよほど「今世で人を嫌悪しながらも他人になれない」そんな勉強がしたかったのだろうか。と考えたりもした。
私の母は、いい大学を出て、教師になって、若くて、綺麗で、字も美しかった。
母は私を褒めなかった。
「お母さん、ピアノの発表会で『エリーゼのために』弾けることになったよ」
「その曲、えりちゃんは去年弾けとったね」
「そうだね」
「えりちゃんと同じくらいにピアノ始めたのにね。発表会頑張りなさい」
母はなにかにつけ、評価を下した。
「さやか、この前の発言は80点だったね」
「なにかいけなかった?」
「よその家で、パパとママがケンカした、と言ったでしょう? みっともない」
母は私に価値観を押し付けた
「今日は雨だから嫌だね」
「あの人は大学出てないからいい仕事につけないんだね」
「あのおうちは離婚してるから、子どもがかわいそうだね」
私は母に従ってきたし、母を絶対だと思っていた。
そんな母は、私が高校生の時に離婚することになり、私は母がいうところの「かわいそうなうちの子」になり、「これまで、この人、何を私に教えてきたの?」となった。母への尊敬がガラガラと崩れだし、そうなると止まらなくなり、母でなく教師じゃないか、母ではなく女じゃないか、汚らわしい。となるのに時間はかからなかった。「私も母が嫌いなの」という友人が現れても、私のほうが絶対嫌い!と自慢できるほどだった。
だけど、こんなにキライでも、他人になることは私にはできなくて、埋まらない何かをオトコで埋めようとしてはダメで、次のオトコとなるがダメで。心のどこかで、本当はわかっていた。誰と付き合ったって、ダメって。それなのに、次のオトコに期待した。
◆仲直り大作戦、開始
母が間もなく死ぬとなり、心がザワザワした。どうしたい? 私、どうなりたい?
その時NPO活動を通して知り合った50代のファンキーなおじさん武司さんに言われた
「親と仲良くしたほうがいい、自分がラクになれるよ」「そうかも知れないけど難しいんですよ。頭で理解できても心と体がついていかないんですよね~」「大丈夫、できるから」「できる気しないな~」「親と仲良くするって考えてすることじゃないじゃないから、普通のことだから」「きっと、そうなんですよねえ」
そんな会話に後押しされて仲直り大作戦が始まった。
毎週、母がいるホスピスを訪ねるため、愛知県へ通った。自動車を運転し、用賀インターから三好インターまで。1人きりの5時間弱の車内は気合いを入れる私の大切な個室で、大好きなマイケルジャクソンを大音量でかけるが、ほとんど耳に入ってこなかった。その道のりは過去を背負っているようで重たかった。
ホスピスの舗装されていない砂利の駐車場につくと、「帰りたい~」がおそってきそうになるのを、「ここまで来といてなに言ってんのよ~」と1人で声に出してみたりして。えいや! とホスピスに入り、えいや! と2階へ上がり、ナースセンターにお土産を渡して一番奥の母の部屋へいく。
母は私をみると
「遅かったねえ、心配したがね」と言った。
卓上カレンダーの今日のところに○がつけてあって、「さやか14時」と書いてある。今は15時をまわっていた。
「遠くから大変でしょう、もう来なくていいわ」と言いながら母は喜んでいた。私は、この人、私が憎くて、価値観を押し付けたんじゃなかったのか、と心で理解ができた。だんだんと弱っていく母の手をさすると、母は嬉しそうにした。
私はある時「今までごめんね」と言ってみた。それは半分ウソだった。母は「何言っとるの、さやかはいい子だったでしょう」と言った。それもウソだと思ったけど、私たちはいい別れ方をしたい、と思い合っているのだと思った。
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