青木さやか「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」

匿名

貞和

20/06/24 03:32:21

青木さやかさんの連載「47歳、おんな、今日のところは「◯◯」として」が本日から配信されます。3月、弊誌掲載のインタビュー記事「娘に触れる母に抱いた嫌悪感。最期にわだかまりを解消しようとして」が話題になった青木さん。47歳の今だからこそ、綴れることはーー。第1回は、「47歳、おんな、今日のところは「娘」として」です。

◆評価を下し、価値観を押し付ける母

私には母がいる。好きではない母が。よりによってなぜ私にはこの女性が母として割り当てられたのだろう。子が親を選んで生まれてくるなら、私はよほど「今世で人を嫌悪しながらも他人になれない」そんな勉強がしたかったのだろうか。と考えたりもした。

私の母は、いい大学を出て、教師になって、若くて、綺麗で、字も美しかった。

母は私を褒めなかった。

「お母さん、ピアノの発表会で『エリーゼのために』弾けることになったよ」
「その曲、えりちゃんは去年弾けとったね」
「そうだね」
「えりちゃんと同じくらいにピアノ始めたのにね。発表会頑張りなさい」

母はなにかにつけ、評価を下した。

「さやか、この前の発言は80点だったね」
「なにかいけなかった?」
「よその家で、パパとママがケンカした、と言ったでしょう? みっともない」

母は私に価値観を押し付けた

「今日は雨だから嫌だね」
「あの人は大学出てないからいい仕事につけないんだね」
「あのおうちは離婚してるから、子どもがかわいそうだね」

私は母に従ってきたし、母を絶対だと思っていた。

そんな母は、私が高校生の時に離婚することになり、私は母がいうところの「かわいそうなうちの子」になり、「これまで、この人、何を私に教えてきたの?」となった。母への尊敬がガラガラと崩れだし、そうなると止まらなくなり、母でなく教師じゃないか、母ではなく女じゃないか、汚らわしい。となるのに時間はかからなかった。「私も母が嫌いなの」という友人が現れても、私のほうが絶対嫌い!と自慢できるほどだった。

だけど、こんなにキライでも、他人になることは私にはできなくて、埋まらない何かをオトコで埋めようとしてはダメで、次のオトコとなるがダメで。心のどこかで、本当はわかっていた。誰と付き合ったって、ダメって。それなのに、次のオトコに期待した。

◆仲直り大作戦、開始

母が間もなく死ぬとなり、心がザワザワした。どうしたい? 私、どうなりたい?

その時NPO活動を通して知り合った50代のファンキーなおじさん武司さんに言われた

「親と仲良くしたほうがいい、自分がラクになれるよ」「そうかも知れないけど難しいんですよ。頭で理解できても心と体がついていかないんですよね~」「大丈夫、できるから」「できる気しないな~」「親と仲良くするって考えてすることじゃないじゃないから、普通のことだから」「きっと、そうなんですよねえ」

そんな会話に後押しされて仲直り大作戦が始まった。

毎週、母がいるホスピスを訪ねるため、愛知県へ通った。自動車を運転し、用賀インターから三好インターまで。1人きりの5時間弱の車内は気合いを入れる私の大切な個室で、大好きなマイケルジャクソンを大音量でかけるが、ほとんど耳に入ってこなかった。その道のりは過去を背負っているようで重たかった。

ホスピスの舗装されていない砂利の駐車場につくと、「帰りたい~」がおそってきそうになるのを、「ここまで来といてなに言ってんのよ~」と1人で声に出してみたりして。えいや! とホスピスに入り、えいや! と2階へ上がり、ナースセンターにお土産を渡して一番奥の母の部屋へいく。

母は私をみると

「遅かったねえ、心配したがね」と言った。

卓上カレンダーの今日のところに○がつけてあって、「さやか14時」と書いてある。今は15時をまわっていた。

「遠くから大変でしょう、もう来なくていいわ」と言いながら母は喜んでいた。私は、この人、私が憎くて、価値観を押し付けたんじゃなかったのか、と心で理解ができた。だんだんと弱っていく母の手をさすると、母は嬉しそうにした。

私はある時「今までごめんね」と言ってみた。それは半分ウソだった。母は「何言っとるの、さやかはいい子だったでしょう」と言った。それもウソだと思ったけど、私たちはいい別れ方をしたい、と思い合っているのだと思った。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.1 貞和

    20/06/24 03:32:42

    そんなふうに最期に思わせてあげたい、という母の気持ちに、油断すると感情が崩壊しそうになって、それが子に対する母の気持ちだというものだとしたら、私は子が母を思う気持ちを、行くたびに渡そうと、それはそれは全力を傾けてみた。これが私の大作戦。47年の人生で今のところ一番頑張った出来事だと思う。

    ◆死んでもできる親孝行とは

    母は私に手紙を遺した。

    「これはお姉ちゃんにだって、お母さんが」
    と弟が渡してくれた。

    この手紙はまだ読まずにいる。いろいろ考えた。なぜ私は読めないのか。

    もしかしたら、生前何度か母からもらった「評価」の書いてある通知表のような手紙だったら、過去のトラウマが蘇るかなぁと思ったりした。

    少し経つと、通知表だったとしてもトラウマにならない自信がついた。時間が経つにつれ、母への過去の憎しみが消えていくからだ。

    ならば読めるか? というと――。

    もし中身が私が想像する以上の母の愛情が詰まっていたら、私は反省と後悔でしばらく立ち上がれないのではないかと思って、やはり読めない。

    少し経つと、「母の愛情が溢れていたとしても、私もだいぶ母への愛情が湧いてきたから平気だ」と思えるようになった。

    ならば読もうか、と思ったとき。これが、最新なのだが――。

    もし中身が母からの私に対する後悔と謝罪だった場合、私は母の傷をもらって、私も傷つくだろうと思う。それでも良いのだが、あの世で、もしかしたら、渡さなきゃよかった、と母が思っているのではなかろうか、と思うと、この手紙は読まずにお焚き上げでもしてもらったほうがいいんじゃなかろうか、と考える令和2年の6月の夜。

    手紙なんてものは、早々に読まないと、こじらせるんだなぁと実感。

    振り返れば30年以上、母を憎んできた。長かった。悪かった。なにしろ疲れた。

    「死んでもできる親孝行」実行中。

    一番の親孝行は、子どもが愛されて楽しく生きることだと教わった。今日も自分を大切にしてみよう。ずいぶん自分を傷つけてきた。47歳。これからです。

    青木さやか

1件~1件 ( 全1件)

*コメント欄のパトロールでYahoo!ニュースのAIを使用しています

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。