- なんでも
- 正元
- 20/02/29 00:30:23
新型コロナで今大変ですが、当時の大変さはこんなものじゃ無かったですよね?
物は無いし、放射能怖いし、計画停電とかもあったし。どうやって乗りきりましたか?
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新型コロナで今大変ですが、当時の大変さはこんなものじゃ無かったですよね?
物は無いし、放射能怖いし、計画停電とかもあったし。どうやって乗りきりましたか?
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当時は転勤で地方に住んでいたんだけれど、パルシステムの宅配を頼んでいたのもあってあまり買いだめせず子供も小かったから家から出なかった。
計画停電も、家事やお風呂も前倒しで早寝早起きで乗り切ってた。
今は子供も大きくなって電車通学してるし、震災の時は気晴らしに関西方面に旅行にいけたりもしたけど、今回はどこに行ってもウイルスで逃げ場が無いからそこがキツい。
震度6地域
二人目臨月で、計画停電の時間の時に出血して、トイレで血を懐中電灯で照らして、どれくらい出たか確認した。
震災から1週間後、予定より長女早く産まれた。
水は飲めないし、新生児用オムツなくて、大変だったね。
子供の少ない地域から送ってもらったよ。
今回の卒業生は急に今日でお休みです!って言われて可哀想と思ったけど3.11の時は急にみんなに会えなくなって再会できるまで時間もかかって一生会えなくなってしまった友達もいるんだ…って思うと切ない。
東京寄り千葉県。当時子供が生後3ヶ月。
震災の次の日、オムツとミルク買いにマツキヨへ行った。その時は危機感もなかったし、計画停電もまさかあるなんて思わず…
オムツとミルク、乾電池は関西の親戚に送ってもらった。
計画停電はマジで地獄。ウチが停電してる中、バルコニーから西、江戸川区。北、山パンの工場があるから。南、水道水施設あるから。どこも停電非対象地域。マジで不公平すぎて、こころ病みました。
3.11程の震災時には周りと協力しようって気持ちが芽生えるけど、コロナは周りと接触を避けようって方針だから、まず比べようがない
仙台住んでた。あの頃こども一人だったから
乗り切れたな。ライフラインすべてとまって
余震の恐怖とガソリンいれるのに一晩並んだな。やっぱり今は三食食べれて暖かい部屋にいれてお風呂に入れるからまだいいよ
今の方が面倒。
>>85
少ないけど気を付けることは同じだと思う。
検査してるかしてないかも問題視されてるし。
ライフラインが普通に使えるだけありがたいよ。
>>33東北は今回コロナの感染率すごい少ないよね?
>>42
全国的に同じじゃない?
休校など感染拡大の防止、マスクの品薄、消毒。
もはや地域に感染者がいるいないは関係ないよ。
主は比べるものが間違っているのになぜ気付かない?
東北です。
しばらく停電してたし、水もガスも使えなかった。
余震は頻発するし、とにかく怖かったです。
食べ物も充実していなかったけど、それに比べれば今回はたいした事ないと思ってしまう。
東京、園児2人の子育てしてた
急いで幼稚園に向かったなぁ…
停電はたった数時間だから、家にいる分には何も困らないよ
だけど信号がつかなくなるから、園バスが出せないってことで幼稚園はお休みになってそのまま春休みになった
やっぱりお米とかトイレットペーパーが品薄になったような?
電池は今のマスクみたいな
とにかくテレビが怖くて仕方なかったよ
東京だけど、あの日上の子がまだ9ヶ月で昼寝してる時に地震が来たんだよね
とにかく次の日から京都に避難
新幹線の切符を買うための列が凄かった
東京に帰ってきてからも放射能と余震でずっとずっと怖かったし、不安だった
でも、あの時も、今も、とにかく子供を守るために出来る事やって頑張る
それしかない
日本列島が北海道から沖縄まで津波警報で赤く点滅してるのをテレビで見た時の恐怖は忘れられない
放射能は年齢や免疫力関係ないから怖かったな。
コロナは、かかる人、かかりやすい人もいれば、無症状の場合もあるし、タイプはちがうが、3.11で日本は既に終わったからなんとも思わない。
311の時、息子はインフルエンザになるわ、水はないわで大変だった。世間も自粛ムードだったけど、今より前向きだった気がする。今や誰かの責任にしたい人ばかり。自分のできる事をするしかないよ。
>>54
思い出した!ヘリで水!
あれ当時の総理大臣
民主党の菅直人が命令したんだよね
ヘリの人気の毒すぎるわ
大火事に子供のバケツの水かけたようなもんで恥さらしもいいとこだった
しかも原発全停止しなかった?
その後電気の値上げラッシュがきた
>>70
埼玉めっちゃ計画停電してたよ
だから電気きてるうちに家事してた
地方はもっとだっような記憶がある
野菜は買うの怖かった
子育てしてたけど、計画停電もなぜかならなくて
物も困らなかったから今がつらい。
物がない放射能怖い程度の人と被災地で街も人も全部飲まれてしまった人たちでは全然違うし、比べるようなことではないよ。
あの時、住んでるところはそんなに被害あったわけでもないからな。
大変さでいえば、一昨年の地震でブラックアウトになった時の方が…だなぁ…
でもそれだって1週間ちょっとくらい物がないなぁ…ってくらいだったし…耐えられないなんてことはなかった。
今回のはいつ終わるか分からないし、命までかかってるから、なんともいえないよ。
みんな大変さの種類が違うだけで、困難なことには変わらないからね。
あれからカセットコンロ新しく買い揃えて サバイバルバッグ用意して ウォーターサーバー申し込んで
何より常日頃から ある程度の 食品や日用品は備蓄しておくことも大事なんだって覚えた
計画停電も断水も確かなかったはず。ちなみに都内。
水とかミルクおむつは当時実母がスーパー勤務だったから確保出来た。
人生で初めて小額だけど募金したなぁ。それしか出来なかったから。
ぴよぴよ
>>59わかる。あのぽぽぽぽーん見たり思い出したりすると心がズーンと沈む感覚になる。
毎年3月は特に沈む。
>>58
それは違う。
確かにミルクは、粉 お湯が必要だから不便かもしれないけど母乳じゃなくていいんだよ。
震災の時、完母だったのに急に母乳が出なくなるお母さんも居た。いきなり母乳が止まることだってある。平和な日常だから言えることじゃないよ。
緊急の時だからこそ、母乳じゃなくて大丈夫だよって周りの人が支えるの大事だって私は思う。
入園前の時だった。ガソリン入れるのに2時間並んで1000円分しか入れられなかったのを今でも覚えてる。途中でトイレ行きたくなったけど私だけだったから焦ったなぁ。
水もない、なんもない、すっからかんなスーパー。
幸運なことに輪番停電は除外地域だった。
西に疎開して逃げました。
3.11後の数年は鬱っぽくなる人多かったと思う。
店自体空いてない。
ガソリンない、灯油もない、電気もつかない、水も出ない。ガスだけはついた。外は不気味な暗い真っ暗。1歳だった子供も不安がわかるのかよく泣くし、親兄弟みんな実家にある食材持ち寄って集まって乗り切ったなぁ。
>>49
それはマウントじゃない
娘が生まれて1ヶ月の時だったからよく覚えてるけど、計画停電長かったよね?夏も地域毎に数時間ずつとか。大阪に住んでたけど、大阪もそうなってた。長い間影響出てたよね。
あの当時の絶望感や危機感に比べたら正直コロナはたいしたことないと思ってしまうくらいあの時全てが変わったんだよ。
ポポポポーン
トラウマです
今もまさに。ミルクの人は、災害とかの時に大変なんだよ。
環境によって、お湯がいつもあるとも限らない。哺乳類の消毒液も。
よく芸能人とか「ミルクでも赤ちゃんは育つから、母乳がいいのは親のエゴ」とかいう人いるんだけど、それは何もない平和の日常な時の話。
たいして大変でもなかった
当時は幼稚園児二人いた。
お米が手に入らなくなり親に貰った。
放射能は怖かったし計画停電の為に色々用意した。
外に出るのも怖かったけど余震も怖かった。
仕事はずっと、休んだ。
常に子ども達は守れるように物が倒れない場所で寝させてた。
冷蔵庫などは倒れないように突っ張り棒した。
結局は解決したのは時間だったかな。あの時は心配で不安で少しの揺れにも敏感になってた。
それに比べたら今は落ち着いてる。
>>49
そんなのマウントっていうの?
ただ単に本当に大変じゃん
水は出ないガスは使えない
自分の乳首吸わせときゃミルクがあふれてくる母乳ババアと違うんだから(笑)
>>41爆発の後のヘリの下に水ぶら下げてかけようとしてる映像を見たときの絶望感よ。
当時は水道水も飲めなく、新生児を育ててた身としてはかなり大変でした。
外は放射能に汚染され、食べ物も汚染されて…
だから私は家族で沖縄に半年間逃げました。
でもコロナは逃げ場がないですよね。
世界中で感染してるから。自分の免疫力を高めることしか出来ません。
米がないのが困った。
物がない、ガソリンがない、計画停電に備える、世の中がピリピリしてた。
>>49
マウント?そう思うなんてストレスと疲れだね…
>>32
しかも余震が何度も何度もきて、電信柱も折れそうなくらい左右にすごい揺れ方する位で本当に怖かった
放射能が降り注いでるって言われてて水道水も使うの怖くて水もない高速道路も全線使えなかった
余震がきたら子供たちの上に覆いかぶさって震えながら守った記憶が辛い
子供もすごく怖がってた
ミルク育児は大変だね~とかいう母乳ママさんからのマウントあったな
>>45
肉親の安否が数日間分からない人、たくさんいたよね。今は少なくとも、そういうのではないよね、
>>44
ACのCMそんなこともあったね。緊急地震速報にもすごく敏感になってた
育児はまだしてなかったけど、5月予定日でお腹に命が入ってた。ちょうど震災当日、里帰りで東北道上にいて被災。とは言え揺れが収まるまで路肩で待機し、なんとか最寄りのインター降りて実家に辿り着くことはできた。里帰り先の実家は揺れはあったものの一番ひどい被害があった場所ではなく、当時住んでいたのは思い切り被災したところ。里帰り先が田舎で、そこで育児用品の調達は大変だと前もってオムツから何からほぼ買い込んで車に積んで運んできたんで、生まれた後も困ることはあまりなかった。里帰りを選ばず自宅にいたら…と考えると今でもゾッとする。自宅のアパートは震災後半壊判定受けてる。
当時は地震直後から電話も繋がらなくなって、子供が無事かどうかも分からないし、とにかく精神的に辛かったな。