- なんでも
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>>128
私は長期出張で秋から単身で名取に来て同じ地域で被災しました。本当に辛かったですよね。
確か、前日の深夜?に大きな揺れがあったことを覚えています。
自分だけは大丈夫だと思っていましたが、その後落ち着いた頃にPTSDで悩まされました。
私の場合は職場の人が私の様子がおかしい事に気がついて、提携先の精神科にかかりました。全ての思考回路がとまってしまい、涙が溢れて止まらず。何も考えられない日々が続きました。
私がいたところは地面が低く、水が溜まっていたため、数日間は外には出られない状況でした。うちの方には自衛隊の方は来てくれなくて。
1週間ほど経って、警察の機動隊の車が来たと思います。ただ、空港でご遺体を探すために来たようでした。
同じくらいの時期に塩釜の部署から同僚がトラックで助けに来てくれたのですが。
私の職場はもう全滅してると覚悟して来たとのちに話していました。
職場で被災したので、水が引いたあとは歩いて帰れる人は、被害が小さかった方が持たせてくれたおにぎりをもって徒歩で帰りました。と言っても遠い人は仙台市内とかなので数時間は歩いたとおもいます。
私も、上司がなんとか手に入れてくださった仙台発の新潟行きの高速バスの切符を1枚だけ握りしめて、靴も当時履いていた安全靴のまま着の身着のまま横浜の自宅に帰りました。
私の姿を見て夫が取り乱して泣いている姿を見たのはあれが初めてでした。
亡くなったと思っていたようです。
3ヶ月ほど療養し、7月くらいにまた職場の復旧で名取に戻ったのですが、閖上の中心部は被災直後のまま時が止まっているようでした。
もう何年も経ったのに、まだ思い出すと涙が出てきます。- 16
18/10/18 21:32:02