コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.18 滝里ダム

    18/07/02 17:11:12

    >>16
    小室は「あるがままに」じゃダメだろ
    精一杯努力したとしても眞子さまには釣り合わないくらいだろ

  • No.17 富士山

    18/07/02 17:10:21

    眞子さま可哀想
    絢子さま時期をもう少し待てなかったのかな

  • No.16 有峰ダム

    18/07/02 17:09:19

    庶民の家庭でも敬遠されそうなスペックの小室さんの座右の銘が「Let It Be(あるがままに)」

    ハイスペックエリートの守谷さんの座右の銘が「日進月歩。常に少しでも進歩していきたい」

    なんかねえ…

  • No.15 糠平ダム

    18/07/02 17:04:04

    >>11
    月と太陽

    日進月歩

    も。なんだかなあ。

  • No.14 ブルーハワイ

    18/07/02 16:54:38

    おめでたい話だしもちろん誰も悪くないんだけど、名前がかぶってるだけにどうしても小室と比較されがちで眞子さまが可哀相。早くこの件に関する報道が終わって欲しい。

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  • No.13 一ツ瀬ダム

    18/07/02 16:54:30

    久子さまは旧家のお嬢様だったから、上流階級のお付き合いや人脈の広げ方や、結婚がどんなものなのかを理解していたんだと思う
    だから娘にもふさわしい出会いをつくるために心を砕いて、典子さまと絢子さまにいい男性を紹介出来たんだと思う

    紀子さまは、普通の一般家庭の出身で、教員用の団地に住んでたくらいだもんね
    だからそういうのわからなかったんだと思う

  • No.12 奥三面ダム

    18/07/02 16:45:33

    >>8
    正直なとこ、内親王だった黒田清子さんの結婚相手よりもかなりいいお相手だよね

  • No.11 下久保ダム

    18/07/02 16:42:13

    たまたま名前が一緒でこの時期に婚約って比べられるよね笑

  • No.10 湯田ダム

    18/07/02 16:41:11

    >>2>>3の絢子さまの写真、なんか自然で可愛いね

  • No.9 川辺川ダム

    18/07/02 16:40:40

    同じけいでもこうも違うとは。
    眞子さま負け組じゃん!

  • No.8 滝里ダム

    18/07/02 16:40:05

    >幼少期はパリで過ごされ、慶応大学文学部在学中にはオックスフォード大学に短期留学されたこともある国際派。父親は通産省(当時)の元職員で、母親はNPO法人『国境なき子どもたち』の専務理事を務められていました。守谷さんは2015年に母親を亡くされた後、その遺志を継いで、日本郵船に勤務しながら理事の職を引き継いでいます

    すごい経歴だね
    こんな人、ドラマや漫画でもなかなかお目にかかれないんじゃない?

  • No.7 黒部ダム

    18/07/02 16:38:49

    母親の心配りの違いでこうも差がつくもんなのね

  • No.6 御母衣ダム

    18/07/02 16:37:26

    けい違い。
    素晴らしいけいさんの方だね。

  • No.5 黒部ダム

    18/07/02 16:33:25

    興味ある人なんているの?

  • No.4 宮ヶ瀬ダム

    18/07/02 16:33:18

    [画像:報道陣に会釈する守谷慧さん]

  • No.3 宮ヶ瀬ダム

    18/07/02 16:32:04

    [画像:体育会サッカー部では、マネージャーをつとめられた]

  • No.2 宮ヶ瀬ダム

    18/07/02 16:31:08

    [画像:2009年4月、城西国際大の入学式での絢子さま]

  • No.1 宮ヶ瀬ダム

    18/07/02 16:29:53

    ◇母・久子さま主導の“お見合い”

     母の久子さまは、かねてより「娘を無事にお嫁に出したい」と周囲に語られていた。

    「2002年に高円宮さまが47歳の若さで急逝されてから、久子さまは高円宮さまにかわって、公務の多くを引き継ぎ、『娘を嫁に出す』責任も果たしたいと思われていました。皇族としての責任と、親としての責任の二つを、高円宮さまの分まで背負われたんです」(高円宮家の知人)

    [画像:ベルギーのフィリップ国王ご夫妻主催のコンサート。左から久子さま、承子さま、絢子さま]

     三姉妹が成年になられてからは、宮邸で催すパーティ等の社交の場に積極的に参加させていたという。

    「特にここ数年は絢子さまの“お見合い”の意味合いが強くなり、天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。

     そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。絢子さまも、久子さまが良いと思う方ならば『間違いない』と思われていたのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)という。

     守谷さんとの出会いのきっかけをつくられたのも久子さまだった。

    「久子さまが、昨年11月、『国境なき子供たち』の設立20周年の祝賀会で守谷さんに会い、その人柄に好感を持たれていたようです。その後、宮邸で久子さまと、 守谷さんの父・治さんと慧さんの3人でお会いする機会があった。 その時、久子さまが機転を利かせて『その話は娘が詳しいので、次は娘も呼びましょう』と再び会うきっかけをつくられたのです。

     お二人は出会ってから半年ですが、久子さまと慧さんの父・治さんとは40年ほど前からの知り合いで、母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあった。久子さまがお相手の家族をよく知っていたからこそ安心して自ら“紹介”されたのでしょう」(前出・皇室担当記者)

    [画像:報道陣に会釈する守谷慧さん]

     次第に慧さんが絢子さまに心を寄せられるようになり、絢子さまもそれに応える形で愛を育まれたという。

    〈気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ〉

     今年の歌会始ではこのように詠まれていた絢子さま。“理想の未来”が近づいている。

    文春オンライン
    http://bunshun.jp/articles/-/7959

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