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宮ヶ瀬ダム
2018/07/02
〈子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております〉
(2010年9月15日・絢子さまが成年皇族になるにあたっての文書回答)
高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)がこのように「将来」について述べられたのは20歳の頃だった。それから7年。日本郵船に勤務する守谷慧(けい)さん(32)に出会い、ようやくその“夢”を叶えられようとしている。
[画像:絢子さま]
「守谷さんは物腰が柔らかく、周囲への気配りのある方。170cmで細めの体形は“絢子さまのタイプ”だったそうです。幼少期はパリで過ごされ、慶応大学文学部在学中にはオックスフォード大学に短期留学されたこともある国際派。父親は通産省(当時)の元職員で、母親はNPO法人『国境なき子どもたち』の専務理事を務められていました。守谷さんは2015年に母親を亡くされた後、その遺志を継いで、日本郵船に勤務しながら理事の職を引き継いでいます」(皇室担当記者)
絢子さまは、城西国際大学・大学院で子どもや高齢者の福祉を学び、2017年6月から同大学の福祉総合学部研究員として勤務していた。子ども好きで、福祉に関心があるという守谷さんと共通項がある。また、守谷さんが趣味に挙げていたスキーは、絢子さまも幼いころから親しまれてきた。
[画像:2009年4月、城西国際大の入学式での絢子さま]
絢子さまの人柄を知る学習院関係者が語る。
「絢子さまは、ハメを外した友達の誘いにも『私は宮さまという立場があるからさ』とやんわり断ることができる“しっかり者”でした。親しみやすく女の子らしい一面もあり、いきものがかりの『コイスルオトメ』を聞き、歌詞にある『大好きだよ いつまでもいっしょ』という一節のように、女性の恋心をいつまでも大切にしたいと仰っていました。結婚したいというお気持ちは三姉妹でも一番強かったのではないでしょうか」
絢子さまに結婚への「強い憧れ」があったのは、2015年11月、ご友人とともに「縁結び」で知られる出雲大社の「縁結大祭」を訪れたことからもうかがえる。
「絢子さまは白い装束に身を包み、最前列で御祈祷をしてもらっていました。その日は、八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まる日とされ、大勢の女性たちが良縁を求めて出雲大社に押し掛ける。絢子さまがご友人とともに御祈祷を受けている様子を、周りにいた女性たちはじっと見つめていたそうです」(前出・皇室担当記者)
[画像:体育会サッカー部では、マネージャーをつとめられた]
出雲大社の祭祀は、絢子さまの姉・典子さまが嫁いだ千家家(せんげけ)が、代々「宮司」を務めている。
「絢子さまは、典子さまに会って団欒するひとときを楽しまれながら、お姉さまのような“良縁”を願われていたのではないでしょうか。守谷さんに出会われるころ、偶然絢子さまがその時に求めたお守りを手にする機会があったとか。このたび守谷さんとの御縁に恵まれたのも、この時の御祈祷の効果があったのではないかと思われているそうです」(別の皇室担当記者)
NEXT >>1 母・久子さま主導の“お見合い”
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No.1 主 宮ヶ瀬ダム
18/07/02 16:29:53
◇母・久子さま主導の“お見合い”
母の久子さまは、かねてより「娘を無事にお嫁に出したい」と周囲に語られていた。
「2002年に高円宮さまが47歳の若さで急逝されてから、久子さまは高円宮さまにかわって、公務の多くを引き継ぎ、『娘を嫁に出す』責任も果たしたいと思われていました。皇族としての責任と、親としての責任の二つを、高円宮さまの分まで背負われたんです」(高円宮家の知人)
[画像:ベルギーのフィリップ国王ご夫妻主催のコンサート。左から久子さま、承子さま、絢子さま]
三姉妹が成年になられてからは、宮邸で催すパーティ等の社交の場に積極的に参加させていたという。
「特にここ数年は絢子さまの“お見合い”の意味合いが強くなり、天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。
そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。絢子さまも、久子さまが良いと思う方ならば『間違いない』と思われていたのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)という。
守谷さんとの出会いのきっかけをつくられたのも久子さまだった。
「久子さまが、昨年11月、『国境なき子供たち』の設立20周年の祝賀会で守谷さんに会い、その人柄に好感を持たれていたようです。その後、宮邸で久子さまと、 守谷さんの父・治さんと慧さんの3人でお会いする機会があった。 その時、久子さまが機転を利かせて『その話は娘が詳しいので、次は娘も呼びましょう』と再び会うきっかけをつくられたのです。
お二人は出会ってから半年ですが、久子さまと慧さんの父・治さんとは40年ほど前からの知り合いで、母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあった。久子さまがお相手の家族をよく知っていたからこそ安心して自ら“紹介”されたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
[画像:報道陣に会釈する守谷慧さん]
次第に慧さんが絢子さまに心を寄せられるようになり、絢子さまもそれに応える形で愛を育まれたという。
〈気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ〉
今年の歌会始ではこのように詠まれていた絢子さま。“理想の未来”が近づいている。
文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/7959
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No.2 主 宮ヶ瀬ダム
18/07/02 16:31:08
[画像:2009年4月、城西国際大の入学式での絢子さま]
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No.3 主 宮ヶ瀬ダム
18/07/02 16:32:04
[画像:体育会サッカー部では、マネージャーをつとめられた]
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No.4 主 宮ヶ瀬ダム
18/07/02 16:33:18
[画像:報道陣に会釈する守谷慧さん]
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