A :まず、財産分与ですけど、ございませんでした。財産分与はなしです。
そして、今、私の自宅ですけれども、土地については私がその当時、現金で購入しております。
建物については、船越さんが5分の1、私が5分の4という所有権でございます。
今回の2回目の家裁で、私が船越さんの持ち分を好意で買い取らせていただくという形で決まりました。
Q :謝罪については?
A :謝罪という言葉は、この場に及ぶと、どう言ったらいいんでしょうか。
身近な人という感じがするんですけど、私にとって(船越は)別の世界の人、別の星の人というような気持ちなんです。
私とはまったく関係ない、真っ赤な赤の他人と思っていますので。
謝罪、そういうものは私の中で必要なくなりました。私の中で一番守らなければいけないものはただ一つでした。
A :名誉毀損であれば、たとえば認められたならば、私は対処しないといけませんよね。
でも、お話をしていますように、お金のやり取りについては、
向こうが持っていらっしゃる5分の1を私の方で買い取ったというのが
お金のやり取りということですから、それはなかったということですね。
Q :名誉毀損の損害賠償請求はどうなったか。
A :これはまだ終わっていません。まだそこは続いていきますので、まだ戦いは続きます。
でも私の中で一番大きな核であるこの戦い、家裁での戦いが12月13日に終わったと。終われたと。
私が願っている形で終われたということです。
Q :いつ離婚してもいいと思ったんですか?
A :早く、すっごく早くしたいと思っていました。
Q :大っ嫌いになったということですが、心変わりはいつ?
A :結婚した時に相手のご両親に反対をされて結婚したのがスタートでした。でも、船越さんは受け入れてくださいましたので、妻として意地を出しました。とにかく、日本を代表するような俳優さんになっていただきたい。そのために命を賭けて私の中で、妻として毎日過ごしていたと思います。そして悔いがないので、私の中で。十分に妻として、その願いに向かって行動したと思っています。また、その夢も叶ったと思います。それはサスペンスの帝王と呼んでいただけるところまでまいりましたので、本当に嬉しいことだったなと思います。
Q:12日に勝負を賭けると決めたとのことですが、具体的には?
A :13日で家裁で離婚が成立できるか、もしくは不調に終わらせて裁判をウチの方から持ち込むか。分かれ道でした。私は覚悟を決めていましたので、そのつもりで真っ赤な赤い服を着て、家裁に向かったわけです。
Q :条件の成立までにどんな戦略を。
A :どれくらいの時間を私が信頼申し上げる先生方と、私は弁護士軍団と呼んでいるんですが、
その先生方とお話をしてきたか、協議してきたかわかりません。
さっきも申し上げましたように、13日は一睡も寝ずに家裁に向かいました。
13日の朝3時から 先生方と最終のすりあわせを行って、それで家裁に挑んだんです。
No.8207 匿名
19/01/25 10:47:03
>>8206
以下 記者らとの質疑応答
Q :松居さんの要求が通ったということですか?
A :とにかく、離婚はみなさんご存じかどうかわかりませんけど、財産分与というものがあります。
でも私は、それがあっても
今回の家裁が不調に終わったならば、裁判に持ち込む覚悟で13日は挑んだわけです。
それで証人の方達もずいぶん用意しておりました。
Q:船越さんからの謝罪を求めていたが
A :私のなかで何を一番守るべきか。何が一番大事なのか ということを考えましたなかで、それは答えは一つでした。
それを守るためには、どうすればいいんだろうということを 私の先生方と協議をしてまいりました。
その私の願い、夢がかなったわけです。
Q :どんな夢ですか? 財産ですか?
A :そうです。
Q :財産分与をしてほしいという話はありましたか。
A :お答えするのに制限がかけられているんです。でも私は夢が叶ったんです。
本当に夢が叶って、こうして年内に人生の大掃除をすることもできたわけです。
Q:もともとは松居さんは離婚をしたくなかったんですよね。
A :いえ。いろいろ報道されていますけれども、いま私がお話していることがすべて正しいというか、正しいことなんです。
だから、17年結婚をしておりました。一文字で表すならば、今年は「 戦 」でした。
もちろんです。去年は「 泣 」でした。おととしも「 泣 」でした。
私は、命を絶とうとも思いました。もう一生分の涙を流したぐらい立ち上がれませんでした。もう地獄に落ちたようでした。
しかし、立ち上がって戦うファイティングポーズをとったんです。
そして、この家裁に挑みまして、そしておかげさまで13日に決着がつきました。
それも、私の一番願っている形でした。
Q :もうちょっと言える範囲のなかで、財産分与があるのかないのか。
家の一部を松居さんが買い取るというのは本当なのか。
A :まず、財産分与ですけど、ございませんでした。財産分与はなしです。
そして、今、私の自宅ですけれども、土地については私がその当時、現金で購入しております。
建物については、船越さんが5分の1、私が5分の4という所有権でございます。
今回の2回目の家裁で、私が船越さんの持ち分を好意で買い取らせていただくという形で決まりました。
Q :謝罪については?
A :謝罪という言葉は、この場に及ぶと、どう言ったらいいんでしょうか。
身近な人という感じがするんですけど、私にとって(船越は)別の世界の人、別の星の人というような気持ちなんです。
私とはまったく関係ない、真っ赤な赤の他人と思っていますので。
謝罪、そういうものは私の中で必要なくなりました。私の中で一番守らなければいけないものはただ一つでした。
No.8208 匿名
19/01/25 10:55:06
>>8207
Q :それは何でしょうか。
A :おわかりになられませんか?「 財産分与 」です。
Q:船越さんへの気持ちは。
A:まったく何もありません。まったく私とは無関係な人、私とは関係のない方と。それでいっぱいです。
Q:結婚生活を過ごして、こういう形になりましたけど、かける言葉は。
A:かける言葉?何一つありません。大っ嫌いです。大っ嫌いな人にかける言葉はないでしょう。
私は大っ嫌いなんです。
Q:再婚のご予定は?
A:結婚には財産分与というものがつきまとっていきますので、
未来のことは決定はできませんけれども、まったく考えていません。
Q:13日の離婚調停で船越さんとはどんな話を?
A:大っ嫌いですから、お目にもかかっていません。
Q:船越さんが松居さんの要求をすべて飲み込んだんでしょうか。
A:ここで言えるところと言えないことがあります。いま、お話したことがすべてです。
Q:動画を投稿した時の自分をどう思いますか。
A:あれはあれで 私の大事な人生だったと思います。
あのときは私の人生、39年間の芸能生活をなげうって行動しましたので、あれはあれで私の大事な思い出です。
Q :後悔はしていないのですか?
A :必要だったと思います。
Q:いちばん大切なことは?
A:人間というのは、怒りというのは形が変わってきます。私は自分の未来しか向かっていないんです。
過去を振り返ってもいませんし、とにかくクヨクヨもしていません。
とにかく前に向かって、私の新しい人生を始めますよという気持ちですので、今はその気持ちでいっぱいです。
Q:約束を破られたとおっしゃってましたが。
A : 12月16日まで公開してはいけないということになっていた。今日が12月15日ですよね。
昨日、書面がホリプロさんから流れたのが12月14日でした。
これは厳粛な約束だったわけです。約束は守るために行われると。だから私は両親にも電話していないんです。どなたにも電話していません。
次の裁判にこちらから持ち込もうと思っていましたので、承認として立ってくださる方、数名の方、その方にも私は電話をしないで、
約束を交わしたわけですから 守って 今日まで来ましたけれども、
昨日、ホリプロさんの書面が出まして、ウチの先生方とご相談申し上げて、
ここは仕方がないだろうということで、皆様にお集まりいただいた次第です。
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.8209 匿名
19/01/25 10:59:06
>>8208
Q :動画の内容が 船越さんへの名誉毀損にあたるという話がありましたが。
A :名誉毀損であれば、たとえば認められたならば、私は対処しないといけませんよね。
でも、お話をしていますように、お金のやり取りについては、
向こうが持っていらっしゃる5分の1を私の方で買い取ったというのが
お金のやり取りということですから、それはなかったということですね。
Q :名誉毀損の損害賠償請求はどうなったか。
A :これはまだ終わっていません。まだそこは続いていきますので、まだ戦いは続きます。
でも私の中で一番大きな核であるこの戦い、家裁での戦いが12月13日に終わったと。終われたと。
私が願っている形で終われたということです。
Q :いつ離婚してもいいと思ったんですか?
A :早く、すっごく早くしたいと思っていました。
Q :大っ嫌いになったということですが、心変わりはいつ?
A :結婚した時に相手のご両親に反対をされて結婚したのがスタートでした。でも、船越さんは受け入れてくださいましたので、妻として意地を出しました。とにかく、日本を代表するような俳優さんになっていただきたい。そのために命を賭けて私の中で、妻として毎日過ごしていたと思います。そして悔いがないので、私の中で。十分に妻として、その願いに向かって行動したと思っています。また、その夢も叶ったと思います。それはサスペンスの帝王と呼んでいただけるところまでまいりましたので、本当に嬉しいことだったなと思います。
Q:12日に勝負を賭けると決めたとのことですが、具体的には?
A :13日で家裁で離婚が成立できるか、もしくは不調に終わらせて裁判をウチの方から持ち込むか。分かれ道でした。私は覚悟を決めていましたので、そのつもりで真っ赤な赤い服を着て、家裁に向かったわけです。
Q :条件の成立までにどんな戦略を。
A :どれくらいの時間を私が信頼申し上げる先生方と、私は弁護士軍団と呼んでいるんですが、
その先生方とお話をしてきたか、協議してきたかわかりません。
さっきも申し上げましたように、13日は一睡も寝ずに家裁に向かいました。
13日の朝3時から 先生方と最終のすりあわせを行って、それで家裁に挑んだんです。
Q :いちばん大事なのは財産分与だったのですか?
A :さっきから何度もお話していますけど、私の中で考えますと、私が守るべきものは一つでした。