千葉の一家殺害事件て酷いね

匿名

汁はちくわで吸う

17/12/21 00:59:22

男ってこういうの多いよね?
なんなんだろ?
生き残った女性は一生被害者のままだよね。


関 光彦(せき てるひこ、1973年1月30日 -2017年12月19日 )は、市川一家4人殺人事件の犯人である。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 市川一家4人殺人事件
3 裁判
4 関連
5 関連書籍
生い立ち[編集]
関光彦は1973年1月30日に生まれた。
祖父は戦後、一代で鰻屋チェーン店「関昇商店」のオーナーとなった成功者であったが、その愛娘と駆け落ち同然に結婚した男は、絵に書いたようなろくでなしであった。光彦が生まれたため祖父も二人の仲を許さざるを得なかったのだが、飲む・打つ・買うの悪癖を備えた男の所業のせいで結婚生活はじきに破綻した。
光彦は幼い頃から、父に殴られ、蹴られる母の姿をみて育った。父は光彦をもしばしば折檻した。折檻された光彦は家を飛び出し、そのたび祖父のもとへ逃げ込んだ。祖父は光彦には甘かったのである。彼が9歳になったとき、家庭は決定的に崩壊した。父の借金が億を超えたのだった。この返済のため、祖父は血の滲むような思いをして一代で築き上げた資産のほとんどすべてを失わなければならなかった。祖父もさすがにもう彼ら一家の面倒はみきれず、縁を切ると言い渡した。両親は離婚し、頼みの祖父にも絶縁を宣告された光彦は、すべてに見放されたような気がしたという。
一転して極貧生活へ落ちた光彦は、転校先でもいじめられ、次第に鬱屈していった。だが中学へ上がる頃には祖父の態度も軟化しており、ふたたび母親と祖父は親子関係を修復した。光彦は所属した少年野球のチームではエースの4番となり、恵まれた体格と腕力で他を圧倒した。しかし、一度ねじれた性質はもうもとへは戻らなかった。父親の性格を強く引き継いでいた、とも言えるだろう。学校では真面目な生徒を演じていたが、放課後ともなれば窃盗と飲酒にふけり、母親と弟を殴った。高校へは進学したものの、2年生の5月で自主退学。
しばらくは祖父の鰻屋で働くが、暴力癖はおさまらずむしろ悪化していく一方であった。結局、鰻屋は「きついばかりでちっとも面白くない」と言って半年足らずでやめ、その後は夜の街でのバイトを転々として暮らすようになる。しかし遊ぶ金はいくらあっても足りない。祖父の店へ侵入し、売上金の120万を盗み、その1ヶ月後、また6万円を盗んだ。これを咎められ、光彦は祖父の顔面を蹴った。足の親指が左目に突き刺さり、眼球破裂で祖父は片目を失明した。

>>1に続きます。

コメント

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  • No.36 焼きちくわ

    17/12/21 15:09:47

    目隠してるけど、いかにも…な感じだね。

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