聖徳太子が「厩戸王」になりかけた、歴史教科書の不思議な改定基準

  • なんでも
  • レバー
  • 17/03/26 14:48:29

2017.3.24

◆「聖徳太子」「鎖国」危機一髪? 中学校学習指導要領改定案の波紋

 歴史教科書に出てくる「聖徳太子」の表記を「厩戸王(うまやどのおう)」へ変更しようという動きが出ていると報道され、驚いた人は少なくないだろう。この議論は結局ストップされ、表記は元通りの「聖徳太子」に落ち着いたようだ。同様になくなる予定だった「鎖国」という表記も、幕末の「開国」の意味がわかりにくくなることから、今後も使われることになった。これらの議論は、今月末に決定する中学校の次期学習指導要領改定案においてなされたものだ。

 歴史の研究においては、新しい史料が発見されることによって定説が覆ることは少なくない。だから歴史教科書も内容が変化するのだが、我々おじさん世代から見ると、今の歴史教科書には「えっ」と驚くくらい表記が変わっているところがある。

 私はテレビのクイズ番組に出演させていただき、教科書クイズに答える機会が多いが、そんな自分でもたまに驚くことがある。今回は、昔と今とで歴史教科書の内容がどう変わっているのか、典型的な例をご紹介しよう。


(1)大化の改新は646年である

「大化の改新、虫殺し(645年)」、今振り返ってみると物騒な年号の覚え方だが、私の世代は小学生当時、こうやって大化の改新の年号を覚えたものだ。大化の改新は古代史の転換点となる中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデター事件だが、現在ではこの年に起きた出来事は「乙巳の変(いっしのへん)」だと教えられている。

 そのクーデターによって立場が強固になった孝徳天皇が改新の詔を出した年が646年で、こちらの出来事のことを現在では「大化の改新」と呼ぶのである。

 うーん。一般人としては「学者がそう呼びたいのはわかるけど」という感想を口にしたくなる微妙な裁定にも見える。それまでは「クーデターが起きて政権が代わって新しい政策が打ち出された」という一連の事件を「大化の改新」と教えていたが、より正確に暗殺によるクーデターは「乙巳の変」で新政策は「大化の改新」と教えることになったというわけか。


(2)鎌倉幕府ができたのは1185年である

 これもゴロ合わせの年号の覚え方が、「いいくにつくろう」から「いいはこつくろう」に変わったというケースである。1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年なのだが、鎌倉幕府が実質的に権力を握って、軍事や行政を担う守護や徴税を行う地頭を任命するようになったのは、それよりも早い1185年だということがはっきりしたので、今ではその実質に合わせて1185年が鎌倉幕府が開かれた年だとされているのだという。


◆まだまだある!おじさんが知らない教科書の新常識


(3)世界最大級の古墳は「仁徳天皇陵」とは呼ばない

 大阪府堺市にある巨大な前方後円墳は「仁徳天皇陵」だと我々の世代は教科書で習った。現在ではこの古墳は「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」だと教えられている。

 なぜ変更になったかというと、そもそも古代の古墳が誰の墓なのかは発掘してみない限り学者には判定できないからだ。史料によると歴代の仁徳天皇、反正天皇、履中天皇の3人の天皇の墳墓がこの土地に築造されたため、そのどれかである可能性は高いのだが、この地に3つある天皇陵のうち在位が古い天皇が建造時期の古い墳墓に埋葬されているとすれば、「大仙陵古墳」が「仁徳天皇陵」だと考えるのは矛盾するらしい。

 そのような理由から、「世界3大墳墓の1つ」とよばれるこの古墳は、今は「誰の墓かはわからない」と教えられているのだ。ちなみに残る2つはクフ王のピラミッドと始皇帝の墓だが、クフ王のピラミッドも「クフ王の墓ではない」という説があるくらいだから、これは仕方のない話かもしれない。

>>1に続く

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    • 17/03/26 14:50:52

    聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を

    産経ニュース-2017/03/14

    http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html

    • 0
    • 17/03/26 14:48:42

    (4)鎖国は江戸幕府の政策ではなかった

     ここから先は、現在の教科書の話ではなく、今回新しい教科書に盛り込まれる一歩手前で撤回された話について解説しよう。

     江戸幕府が行った政策として常識のように語られてきた鎖国だが、学問の世界では様々な点で疑問が投げかけられてきたという。そもそも実際の政策として、幕府が意図的に鎖国をしてきたという証拠はないらしいのだ。むしろ長崎を拠点としたオランダや中国との貿易以外に、松前藩はロシアと、薩摩藩は琉球国を通じて南方と貿易を行ってきた。この時代の貿易体制としては、日本は結構広い世界と開かれた貿易を行っていたのだ。外交においても秀吉の侵略で断交された朝鮮とは、江戸時代に再び国交が開かれ、朝鮮通信使が再開されている。

     そもそもこの時代、世界でも自由貿易は常識的ではなかった。イギリスもアジアとの貿易は東インド会社が独占していたわけだから、オランダ貿易を長崎が独占していたことを鎖国というのであれば、イギリスだってアジアに対しては鎖国じゃないかという論理も成り立たないわけではない。


     とはいえ教育現場の意見としては、「鎖国」をなかったことにした場合、幕末の歴史として「開国」を教えると中学生が混乱する、というもっともな意見が通り、今回の教科書の新学習指導要領に「鎖国」は残されることに決まったようだ。


    (5)「聖徳太子」ではなく「厩戸王(うまやどのおう)」である

     今回一番議論を呼んだのは、我々が慣れ親しんだ聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変更して教えようという部分である。

     根拠としては、聖徳太子という呼び名は彼の死後に与えられた呼称だからというものだ。「うーん、それは正しいのだけれど、でも……」という純粋な疑問を私は感じてしまう。「それを言い出したらおしまいよ」という感じがするのだ。

     なぜなら歴代の天皇の呼称は、死後に与えられた呼称なのだ。聖徳太子の呼称を変更して、生前呼ばれていた名前で呼ぼうというルールを定着させてしまうと、論理的には歴代天皇もすべて「大王(おおきみ)」などの呼称で呼ばなければならなくなる。まあそうなれば、歴史の試験で書く場合に「大王」でも「天皇」でも全部正解になるという意味では便利な教え方かもしれないが、あまり現実的な教え方ではないのではないかと、私は思ってしまうのだ。


    ◆教科書の改定を分析すると世の中の仕組みがわかる

     さて、クイズ番組で正解を答えるという観点からは、教科書の改定に対してやや批判的に読める記事を書いてしまったが、「生きていく知恵」という観点から見れば、おじさんになってから昔の教科書と今の教科書がどう違うのかを比較してみることは、結構意義のある作業だということも付け加えておこう。

     理由は、世の中の仕組みがわかるからだ。たとえば大化の改新や鎌倉幕府の例からは、「先に実質的な権力が生まれて、後から制度や肩書きがついてくる」という世の中の原則を読み取ることができる。鎖国の例からも「建前と本当の仕組みはかなり違う」という学びが得られる。

     このように考えれば、「せっかく勉強して得た知識が変更になっておじゃんになった」と嘆くよりは、「なぜ変わったのかを調べることで、生きていく上で役立つ何かがそこで発見できる」と考え、変更箇所を探して楽しむほうが、実利のある姿勢なのではないかと、私も改めて感じたのである。

    (百年コンサルティング代表 鈴木貴博)

    http://diamond.jp/articles/-/122340

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