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子供同士のトラブル、親の介入はどこから?
16/02/04 22:57:27
被害者の父「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」 川崎中1殺害 カナロコ by 神奈川新聞 2月4日(木)16時55分配信 川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、市立中学1年の男子生徒=当時(13)=が殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われたリーダー格の無職少年A(19)の裁判員裁判。 4日に開かれた横浜地裁(近藤宏子裁判長)の第3回公判で男子生徒の父親が意見陳述し、「もう、どんなに願っても、祈っても、一生、愛する人と会えない悲しみが分かっているのか」と訴えた。 〈意見陳述-被害者の父〉 息子(男子生徒)が亡くなってから1年が経とうとしています。 失った悲しみは、何一つ癒やされることはありません。 たぶんこれからもないと思います。 私は一生この悲しみと苦しみを負って生きていかなければなりません。 また、命を奪った犯人たちを一生恨み、憎み、許すことはないでしょう。 私はいま、息子が短い人生の半分以上を過ごした島で暮らしています。 とても小さな島です。 どこに行っても息子の思い出ばかりです。 いつも釣りをした岸壁。 真っ黒に日焼けして泳いでいた海水浴場。 玄関から入ればいいのに、なぜかいつもリビングの窓から必ず「お父さん」と言いながら入ってきた私の家。 どこにいても息子の姿を思い出してしまいます。 毎日、毎日、その思い出とともに生きています。 息子が生きていれば、楽しい思い出だったのですが、今ではつらい思い出になってしまいました。 息子と最後に会ったのは去年の1月2日でした。 その日は、午後の飛行機で帰らなければならず、午前中に待ち合わせをして、一緒に昼食を食べました。 食べたのはいつも行く回転寿司でした。 その4日前に会ったときにも行った店です。 あの子はいつも…マグロとサーモンばかり食べていました。 少し照れたような笑顔で、おいしそうに食べている息子がまだ目に焼き付いています。 食事のあと、京急川崎駅での別れ際に「お父さん、今度の夏休みに島に行きたいんだけど」と言ってきたのが最後になってしまいました。 島では夏に帰ってくると喜んでいた友達がたくさんいました。 私も楽しみにしていました。 しかし、息子が島に帰ってくることはもうないのです。 つづく
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16/02/04 23:02:20
>>412 2月21日に川崎警察署の方から連絡がありました。 私はそのときはまだ海の上で仕事中でしたが、急いで港へ戻り川崎へ向かいました。 本土に向かうフェリーのテレビでは事件のことが流れていました。 そのとき初めて発見された遺体が息子だと発表されていました。 しかしまだ心のどこかで間違いであってほしいと思っていました。 翌朝、警察署に行きました。 息子は寒い部屋で、顔に白い布をかけ眠っていました。 ここまで来ても間違いであってほしいと思っていました。 白い布をとると、息子でした。 切り傷やあざはありましたが、本当にただ眠っているだけのようでした。 しかし何度呼び掛けても目を開けてくれることはありませんでした。 その日から私は警察署での調書をとる以外は、川崎駅前を歩き回りました。 もしかしたら犯人を見つけられるかもしれないと思い、一日中歩きました。 あの河川敷から息子の服が燃やされた公園までも行きました。 犯人の家の前までも行きました。 買ったばかりの靴がぼろぼろになるくらい歩きました。 あの時から私の犯人に対する怒りは変わりません。 むしろ大きくなっています。 犯人は、13歳の子どもに対して複数で一方的な暴力行為を行いました。 息子はとても気の弱い子でした。 年上に囲まれて、抵抗なんてできるはずがありません。 でも我慢すれば許してもらえると思っていたかもしれません。 真冬の川で泳がされても、カッターナイフで切られても、コンクリートに頭を打ち付けられても、生きるために我慢していたのでしょう。 しかし、犯人は無慈悲に、そんな息子の命を奪いました。 息子がこれから得るはずであった喜びをすべて奪いました。 私たちが息子の成長とともに得るはずであった喜びを奪いました。 そのときの息子のことを考えると胸が握りつぶされるような思いです。 どんなに怖かったか、どんなに痛かったか、どんなに寒かったか、考えるだけで気が狂いそうです。 息子は13歳の子どもでした。 しかし、犯人はそんな子どもに対して残酷なことをしました。 傷ついた息子を見て、どうしてやめようと思わないのか、犯人には社会に暮らす人間として、持っているはずの気持ちがあるとは思えません。私は絶対許せません。 犯人にも、息子と同じ恐怖、苦しみを味わわせてやりたいです。 つづく
16/02/04 23:09:41
>>412>>414>>416〈意見陳述-被害者の父〉
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No.412 あ
16/02/04 22:57:27
被害者の父「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」 川崎中1殺害
カナロコ by 神奈川新聞 2月4日(木)16時55分配信
川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、市立中学1年の男子生徒=当時(13)=が殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われたリーダー格の無職少年A(19)の裁判員裁判。
4日に開かれた横浜地裁(近藤宏子裁判長)の第3回公判で男子生徒の父親が意見陳述し、「もう、どんなに願っても、祈っても、一生、愛する人と会えない悲しみが分かっているのか」と訴えた。
〈意見陳述-被害者の父〉
息子(男子生徒)が亡くなってから1年が経とうとしています。
失った悲しみは、何一つ癒やされることはありません。
たぶんこれからもないと思います。
私は一生この悲しみと苦しみを負って生きていかなければなりません。
また、命を奪った犯人たちを一生恨み、憎み、許すことはないでしょう。
私はいま、息子が短い人生の半分以上を過ごした島で暮らしています。
とても小さな島です。
どこに行っても息子の思い出ばかりです。
いつも釣りをした岸壁。
真っ黒に日焼けして泳いでいた海水浴場。
玄関から入ればいいのに、なぜかいつもリビングの窓から必ず「お父さん」と言いながら入ってきた私の家。
どこにいても息子の姿を思い出してしまいます。
毎日、毎日、その思い出とともに生きています。
息子が生きていれば、楽しい思い出だったのですが、今ではつらい思い出になってしまいました。
息子と最後に会ったのは去年の1月2日でした。
その日は、午後の飛行機で帰らなければならず、午前中に待ち合わせをして、一緒に昼食を食べました。
食べたのはいつも行く回転寿司でした。
その4日前に会ったときにも行った店です。
あの子はいつも…マグロとサーモンばかり食べていました。
少し照れたような笑顔で、おいしそうに食べている息子がまだ目に焼き付いています。
食事のあと、京急川崎駅での別れ際に「お父さん、今度の夏休みに島に行きたいんだけど」と言ってきたのが最後になってしまいました。
島では夏に帰ってくると喜んでいた友達がたくさんいました。
私も楽しみにしていました。
しかし、息子が島に帰ってくることはもうないのです。
つづく
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No.414 つづき
16/02/04 23:02:20
>>412
2月21日に川崎警察署の方から連絡がありました。
私はそのときはまだ海の上で仕事中でしたが、急いで港へ戻り川崎へ向かいました。
本土に向かうフェリーのテレビでは事件のことが流れていました。
そのとき初めて発見された遺体が息子だと発表されていました。
しかしまだ心のどこかで間違いであってほしいと思っていました。
翌朝、警察署に行きました。
息子は寒い部屋で、顔に白い布をかけ眠っていました。
ここまで来ても間違いであってほしいと思っていました。
白い布をとると、息子でした。
切り傷やあざはありましたが、本当にただ眠っているだけのようでした。
しかし何度呼び掛けても目を開けてくれることはありませんでした。
その日から私は警察署での調書をとる以外は、川崎駅前を歩き回りました。
もしかしたら犯人を見つけられるかもしれないと思い、一日中歩きました。
あの河川敷から息子の服が燃やされた公園までも行きました。
犯人の家の前までも行きました。
買ったばかりの靴がぼろぼろになるくらい歩きました。
あの時から私の犯人に対する怒りは変わりません。
むしろ大きくなっています。
犯人は、13歳の子どもに対して複数で一方的な暴力行為を行いました。
息子はとても気の弱い子でした。
年上に囲まれて、抵抗なんてできるはずがありません。
でも我慢すれば許してもらえると思っていたかもしれません。
真冬の川で泳がされても、カッターナイフで切られても、コンクリートに頭を打ち付けられても、生きるために我慢していたのでしょう。
しかし、犯人は無慈悲に、そんな息子の命を奪いました。
息子がこれから得るはずであった喜びをすべて奪いました。
私たちが息子の成長とともに得るはずであった喜びを奪いました。
そのときの息子のことを考えると胸が握りつぶされるような思いです。
どんなに怖かったか、どんなに痛かったか、どんなに寒かったか、考えるだけで気が狂いそうです。
息子は13歳の子どもでした。
しかし、犯人はそんな子どもに対して残酷なことをしました。
傷ついた息子を見て、どうしてやめようと思わないのか、犯人には社会に暮らす人間として、持っているはずの気持ちがあるとは思えません。私は絶対許せません。
犯人にも、息子と同じ恐怖、苦しみを味わわせてやりたいです。
つづく
No.418 あ
16/02/04 23:09:41
>>412>>414>>416〈意見陳述-被害者の父〉