• No.1 匿名

    15/08/23 13:41:50

    古い話にはなりますが、1980年の神奈川金属バット両親撲殺事件では、東大出身の父親が、予備校生の息子を叱責する言葉が(息子に原因があったにせよ)、異常に厳しいものでした。

    いずれも子供を思う親心から発しています。しかし、それが子どもに伝わるどころか、子どもを犯行に追いやるほど追いつめたのでは、元も子もありません。親の接し方と子供の受け止め方には、往々にして大きな隔たりがあることが多いことを痛感させられます

    上で述べた子供にとっての「安心感」の欠如に加え、子供の異変に気づかない親が、少年犯罪の暴走を助長している側面も否定できません。

    彼に厳しかった母親ですが、彼女はまた自分の息子が小学6年で万引き事件を起こすまでは、彼は優しいだけの子だとずっと信じていました。

    以降のAは、女子生徒の靴を燃やしたり、腕時計を手に巻いて、友だちの顔を血が出るほど殴ったりする執拗な行動を皮切りに、盗みも非行もエスカレートしていきました。母親は何度も学校から呼び出されています。

    母親は、学校の先生には自分の息子の良い面が全然見えてないという不満があります。「Aと遊ぶな」と他の生徒に言った教師には謝罪を要求し〈実現せず〉、他に首謀者がいても全部罪は自分にかぶせられているとA がウソをつけば、それを信じます。盗んだ斧やナイフを家でみつけても、Aが友だちから預かったといえば信じました。

    さらには、Aが猫の舌を塩漬けにして瓶詰にしていることをAが友に言い、彩花ちゃんたちの殺傷事件の犯行も自ら匂わせ、噂として広まっているのに(それ以前に確信していた教師もいた)、母親の耳に入れる人はなく、気づいてもいません。

    確かに灯台元暗しですが、そんな噂を耳に入れてくれる人間関係を、母親は構築していませんでした。結果的に、数えきれないほどの明らかなAの暴走のサインを見逃してしまったのです。

    異変に気づかない親は善管注意義務違反

    Aの親は、驚くほどに子供の異変に鈍感でした。普段使わない衣装ケースからナイフを発見し、それを取り上げたあともまた別のナイフを発見しているのに、ナイフを使った児童殺傷事件の犯人として息子を疑うことはありません。もっともA はいつも無表情で平然とウソをつくので、疑うのは難しいことなのですが、この時点でどうにかしていたら、淳君の事件は防げました。

    淳君をタンク山へ連れて行って殺めて隠した翌日、山で淳君を更に冒涜した帰りには、Aは友だちと遊ぶ約束場所に直行しています。髪から衣服まで全身濡れて汚れて、友たちから見ても異様な姿だったそうです。

    >>2に続く。

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