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- 匿名
- 15/08/23 13:40:42
東洋経済オンライン 2015年06月27日 21時25分
今回のコラムも特別編です。前回の記事で議論した「絶歌」に加え、事件の2年後に出版された”元少年A”(以下A)の両親の手記である「『少年A』この子を生んで・・・・・・」を再読した感想を元にして、凶悪少年犯罪が生じる家庭環境について一緒に考えたいと思います。
Aとその両親の手記双方を突き合わせて読むことで見えることは、子供に安心感を与えることの大切さ、愛情が子供に誤解されるリスクの大きさ、また子供を過信せず、異変のサインを見逃さない距離で子供を見守ることの大切さです。
Aの両親の言い分では「しつけは厳しくなかった」
Aの家庭は一見、平凡な家庭であり、ご両親はAをきちんとしつけ、愛情を注いだと思っているようです。
「死んでお詫びする勇気もない自分たちをお許し下さい」と手記に書かれていますが、行間からは「もし死を選ぶとしても、Aと自分たちが(許されなくとも)直接遺族に謝ってからにしよう、下の二人の息子たちを育てたあとにしよう」と考えているように推察できました。
Aの家庭は一見、平凡などこにでもある家庭に思えます。父親は、「うちは金持ちやないけど、貧乏でもない。ほんま、平凡やなあ」が口癖の、無口で子煩悩な人です。Aとの会話はスムーズではありませんが、思春期はそんなものだろうと受け止め、節目節目には息子にキチンと助言や話しかけをし、育児のすべてを妻に丸投げした人ではありません。
母親は最初の男の子にあたるAの誕生を親戚ともども大喜びし、離乳食もすべて手製で、丁寧に子育てをしました。ただとても几帳面な性格で、物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプです。幼児期より食後の食器の下げ方や敬語の使い方など、早期からかなり厳格に教育した人でした。
4年で3人の息子を授かった彼女は、3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、“パニックを起こした”といいますが、それでも上二人に体罰を加えるというよりは、「お尻をパーンを叩いてたしなめた記憶があります」という程度です。
両親と食い違う「A」の言い分
一方でAの精神鑑定やその他の調査結果によりますと、長男であるAと両親の認識は隔たりがあります。母親は彼が1才になり次男が誕生した頃から、彼を突き放すようにして育てました。さらに三男が生まれてからは、睡眠不足もあって母親は「いつもいらついて」いました。特にAには躾けに口やかましく、厳しく育てました。
Aは物心ついたときから、母親は甘えさせてくれる存在ではありませんでした。Aの欲求不満のはけ口は最初弟に向かったようです。兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いてもAは手加減せず暴力を止めなかったそうです。母親は相当Aに体罰を加えたといいます。Aは母親を恐れるようになっていました。
同居する祖母と母親は、「Aに厳しすぎる」「子どもの育児に口出しするな」というケンカを、よくしました。本来子どもの安全基地は母親か両親のはずですが、Aにとっては、祖母が「安全基地」でした。「祖母の背中が唯一の温かみを感じる場所」で、その祖母の死がナメクジから蛙、ネコ、人を殺める切っ掛けになったのです。
Aは幼児期より母親をひたすら恐れ、成長するにつれて平気で母親にウソをつくようになりました。14才で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続け、やっと面会しても母親に、「ブタ野郎!カエレッ」と罵しりました。母親はAにとって、安心を与えてくれる「安全基地」ではありませんでした。
どのような家庭環境でも凶悪な少年犯罪が起こりうるものですが、共通するのは親の想いや傍から見た家庭環境と、子供の育ち方に大きな隔たりがあることです。
1989年の女子高生コンクリート詰め事件では、犯人グループのそれぞれの家庭環境が、どこにでもある平均的な家庭だったことでも話題になりました。
直近の今年6月の第4週でニュースになっている相模原市の女性死体遺棄事件では、犯人の男女は(未成年ではありませんが)二人ともお城のような豪邸に住んでおり、生活も王子と姫のような者たちです。
逆に、母親の厳しい躾けや過干渉が子どもを追い詰め、凶悪な事件に繋がるケースが意外と多いことにも気づかされます。秋葉原通り魔事件の加藤智大は、母親からスパルタ教育を受けました。
テレビ番組は「マンガ日本昔話」など2本だけ。友達との往来は禁止。作文指導では母親が横に座って検閲し、質問は母親がカウントダウンし、10秒以内に応えないとビンタが飛んだそうです。
>>1に続く。
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