• No.2 続き

    12/12/25 12:03:24

    >>1
    ■ヤクザが変わった年に

     今年1年は、特に九州を中心に暴力団の様相が一変した。

    全国で出そろった暴排条例を盾に、組織の兵糧攻めを目指した警察当局に対し、福岡のヤクザはひるむどころか攻勢を強めた。

    武装も派手だった。

    手榴(しゅりゅう)弾が大量にみつかり、使用目的や所持の実態はわかっていないもののロケットランチャーといった戦争兵器までが見つかるほどだった。

     ヤクザ側は対立抗争相手だけでなく、標的を警察OB、そして暴排をうたった企業、飲食店など一般市民にまで据えてきた。

    暗黙の了解だった「カタギには手を出さない」という一線を越えた。

     12月に入り、山口組の前組長、渡辺芳則五代目組長(71)の死亡が伝えられた。
    東京や大阪では、ヤクザの上前をはねるような「半グレ集団」の台頭も明るみに出た。

     ヤクザそのものも、取り巻く状況も刻々と変化した今年、堀江さんが亡くなった。

    堀江さんは平成15年、北九州市で暴力団員が手榴弾をクラブに投げ込んだ事件の直後、同市で行われた暴追集会に参加した。

     「ほかの場所とは違ったねぇ。その筋の連中の威圧感というのか、私たちへの敵対心というのか。異様だったよ」

     北九州を訪れたときのことをこう話し、暴力団被害者の会会長として北九州の情勢を常に気にかけていた。

    その北九州で今年4月19日、暴力団捜査に携わっていた福岡県警の元警部が銃撃された。
    この日は同月15日に亡くなった堀江さんの葬儀の翌日だった。

    ■「それはいい表情だった」

     静岡での堀江さんの告別式には、兵庫県警OB、静岡県警の現役幹部ら警察や司法関係者、堀江さんの支援を受けた被害者遺族らが参列した。

     暴力団被害者の会を堀江さんと二人三脚で支えてきた矢島正孝弁護士は「亡くなる前にも会ったけど、いつもの憎まれ口で『なにしに来たんや』ってね…」

    今後の同会の運営や、九州での暴追運動の取り組みの難しさなど、困難な問題が山積する現状を前に、堀江さんを失った重みをかめしているという。

    つづく

  • No.3 続き

    12/12/25 12:06:02

    >>2
     堀江さんがかつて損害賠償訴訟を起こそうとしたとき、引き受けてくれる弁護士はなかなかいなかった。

    「ヤクザと裁判しても勝てませんよ。第一あいつらは金を持ってませんから」と断られ続けた。

    自暴自棄になりかけていたときに出会ったのが、垣添誠雄(もとお)弁護士だった。

    垣添弁護士は、この裁判を手がけたのをきっかけに犯罪被害者支援の第一人者となる。

     垣添弁護士は堀江さんの亡きがらを「いい表情をしていた。物事をやり遂げたというような、それはいい表情だった」と語る。

    そして「暴追運動の表舞台に立ち、まるでジャンヌダルクのように活躍した。堀江さんのように表に出て暴追運動に尽くす人はなかなか出てこないだろう」と振り返った。

     国松孝次元警察庁長官が「あの人はほんとに木戸御免(きどごめん)だから」と表現した堀江さん。

    歯にきぬ着せぬ物言いと行動力を武器にヤクザと正面から対峙した。

    そんな堀江さんだが、かつて一人娘を失ってからの人生をこう言っていた。 

    「今でもなんでこんなに悲しいのって思うよ。でもね、私は最悪の事件の被害者だけど、最高の人たちに出会えた。これも娘のおかげ。死ぬまでこの悲しさと悔しさに追いかけられるけど、泣いてばかりはいられないよ」

     堀江さんの遺骨は、実家のある神奈川県茅ヶ崎市の寺に埋葬された。

    娘のまやさんもここに眠る。

    ヤクザのいない世界で最愛のまやさんと再会できたのだろう。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

広告

返信コメント

  • まだコメントがありません

投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。