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- 12/12/25 11:55:20
暴力団に立ち向かったお母さんが逝った ヤクザが変質したこの年に
配信元:産経新聞 イザ!
2012/12/24 12:44
【関西の議論】
「あいつらは組織、組織って言うやないか。だったら組長が責任を取れっていうんだよ」
被害者支援という言葉も、暴力団排除条例もなかった時代、たった一人で暴力団に立ち向かった「お母さん」が今年、亡くなった。77歳だった。
27年前の昭和60年、兵庫県尼崎市で暴力団抗争の流れ弾で19歳だった一人娘を奪われて以来、暴力団追放運動に人生を捧げた。
今年、抗争が激化した福岡では、暴排条例の徹底が市民を直接暴力団と対峙(たいじ)させてしまうという局面を迎えた。
元福岡県警警部までが銃撃され、抗争の境界線も崩れた。
この銃撃事件は、暴追運動の象徴でもあったお母さんの葬儀の翌日に起きていた。
■ヤクザに怯えて暮らすのはおかしい
お母さんとは、「暴力団被害者の会」会長だった堀江ひとみさんのことだ。
今年4月15日、尼崎から移り住んでいた静岡県河津町の自宅で息を引き取った。心不全だった。
昭和60年9月、まな娘のまやさんを抗争事件の巻き添えで失った。
平成4年、組長の使用者責任を追及する損害賠償請求訴訟を起こし、7年に和解による実質的な“勝訴”を勝ち取った。
4000万円の和解金の一部で設立した「まや基金」は、後に「暴力団被害者の会」「暴力団被害救済基金」へとつながった。
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