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12/07/28 10:55:41
ロンドン五輪 64年前の思い 「センターポールに日の丸を」 産経新聞 7月28日(土)7時55分配信 3度目の開催を迎えたロンドン五輪。 4年に1度のスポーツの祭典を3回行った都市はロンドンだけだ。 戦争などの影響もあり、日本がロンドン五輪に参加するのは初めて。 “幻の五輪代表”だった先輩らは、日本代表の活躍を祈っている。 ◆1948年幻の代表 橋爪四郎さん 「競泳ニッポン」が強化合宿を行っていた4月中旬、代表メンバーの前に立った橋爪(はしづめ)四郎さん(83)は力を込めて後輩たちにエールを送った。 「日の丸を背負って頑張ってきてほしい」 1952年ヘルシンキ五輪競泳男子1500メートル自由形銀メダリスト。 言葉には自らは出場できなかった48年ロンドン五輪への思いがにじんだ。 64年前。 第二次世界大戦によって中断を余儀なくされ、12年ぶりに再開された戦後初めての五輪。 48年大会に日本とドイツの姿はなかった。 その大会に出場していれば、平成21(2009)年に80歳で亡くなった古橋広之進(ひろのしん)さんと橋爪さんの金、銀メダルは確実だっただろう。 しかし、ロンドンから届いたのは 「プリンス・オブ・ウェールズのことは忘れない」との電報。 英国は日本軍に沈められた戦艦の名を挙げ参加を認めなかった。 続く
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12/07/28 10:58:28
>>276つづき 日本水連は五輪の日程に合わせて日本選手権を開催した。 1948年8月6日、東京の神宮プール(現フットサル場) 1500メートル自由形決勝で古橋さんは世界記録を21秒8も短縮する18分37秒0という驚異的な記録で優勝。 2位の橋爪さんも0秒8差で続いた。 ロンドン五輪優勝タイムは19分18秒5。 圧勝だった。 「(古橋さんと)2人で外国の選手に勝ちたい一心で必死に練習した」と橋爪さん。 開幕を迎えた3度目のロンドン五輪で、自らが果たせなかった64年前の思いを後輩たちに託した。 「センターポールに日の丸を掲げてほしい」(青山綾里) ■「ロンドンで戦いたかった」 “幻の選手”は他にもいる。 霜鳥武雄(しもとり・たけお)さん(83)は戦時中、人間魚雷・回天の搭乗員を志願。 復員後にレスリングを始め、1948年の全日本選手権で初優勝した。 同年のロンドン五輪に参加できず、52年のヘルシンキ五輪で6位入賞を果たした。 「街に闇市が並び、サツマイモを食べて技を磨いた。ロンドンとヘルシンキは世界へ挑戦する2回きりの機会だった。片方を逃したのは無念だ」。 当時は実業団がなく、競技を続けられるのは旧制の大学の6年間だけだった。 「64年前、敗戦で打ちひしがれた故郷の復興を願い、ロンドンで戦いたかった。孫の世代の選手たちが震災後の日本を勇気づけようとする姿に胸が熱くなる」 霜鳥さんはそう語る。 4回の五輪で日本人最多となる計13個ものメダルを獲得し「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれた元体操選手、小野喬(おの・たかし)さん(81) 48年のロンドン五輪当時は、旧制中学4年だった。 「平和な時代に生きる今の選手たちは幸せだ。精いっぱい戦ってほしい」 と気持ちを込めた。
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No.276 匿名
12/07/28 10:55:41
ロンドン五輪 64年前の思い 「センターポールに日の丸を」
産経新聞 7月28日(土)7時55分配信
3度目の開催を迎えたロンドン五輪。
4年に1度のスポーツの祭典を3回行った都市はロンドンだけだ。
戦争などの影響もあり、日本がロンドン五輪に参加するのは初めて。
“幻の五輪代表”だった先輩らは、日本代表の活躍を祈っている。
◆1948年幻の代表 橋爪四郎さん
「競泳ニッポン」が強化合宿を行っていた4月中旬、代表メンバーの前に立った橋爪(はしづめ)四郎さん(83)は力を込めて後輩たちにエールを送った。
「日の丸を背負って頑張ってきてほしい」
1952年ヘルシンキ五輪競泳男子1500メートル自由形銀メダリスト。
言葉には自らは出場できなかった48年ロンドン五輪への思いがにじんだ。
64年前。
第二次世界大戦によって中断を余儀なくされ、12年ぶりに再開された戦後初めての五輪。
48年大会に日本とドイツの姿はなかった。
その大会に出場していれば、平成21(2009)年に80歳で亡くなった古橋広之進(ひろのしん)さんと橋爪さんの金、銀メダルは確実だっただろう。
しかし、ロンドンから届いたのは
「プリンス・オブ・ウェールズのことは忘れない」との電報。
英国は日本軍に沈められた戦艦の名を挙げ参加を認めなかった。
続く
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古トピの為、これ以上コメントできません
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No.277 匿名
12/07/28 10:58:28
>>276つづき
日本水連は五輪の日程に合わせて日本選手権を開催した。
1948年8月6日、東京の神宮プール(現フットサル場)
1500メートル自由形決勝で古橋さんは世界記録を21秒8も短縮する18分37秒0という驚異的な記録で優勝。
2位の橋爪さんも0秒8差で続いた。
ロンドン五輪優勝タイムは19分18秒5。
圧勝だった。
「(古橋さんと)2人で外国の選手に勝ちたい一心で必死に練習した」と橋爪さん。
開幕を迎えた3度目のロンドン五輪で、自らが果たせなかった64年前の思いを後輩たちに託した。
「センターポールに日の丸を掲げてほしい」(青山綾里)
■「ロンドンで戦いたかった」
“幻の選手”は他にもいる。
霜鳥武雄(しもとり・たけお)さん(83)は戦時中、人間魚雷・回天の搭乗員を志願。
復員後にレスリングを始め、1948年の全日本選手権で初優勝した。
同年のロンドン五輪に参加できず、52年のヘルシンキ五輪で6位入賞を果たした。
「街に闇市が並び、サツマイモを食べて技を磨いた。ロンドンとヘルシンキは世界へ挑戦する2回きりの機会だった。片方を逃したのは無念だ」。
当時は実業団がなく、競技を続けられるのは旧制の大学の6年間だけだった。
「64年前、敗戦で打ちひしがれた故郷の復興を願い、ロンドンで戦いたかった。孫の世代の選手たちが震災後の日本を勇気づけようとする姿に胸が熱くなる」
霜鳥さんはそう語る。
4回の五輪で日本人最多となる計13個ものメダルを獲得し「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれた元体操選手、小野喬(おの・たかし)さん(81)
48年のロンドン五輪当時は、旧制中学4年だった。
「平和な時代に生きる今の選手たちは幸せだ。精いっぱい戦ってほしい」
と気持ちを込めた。