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自転車の車道走行ルールで思うこと
古トピの為、これ以上コメントできません
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10/12/01 08:32:44
>>92 細木数子…(笑)
返信
10/12/01 08:32:22
養父や母親の彼氏による性的虐待は母親が男作らないだけで予防できるから簡単な話だけど、実父は難しいね。 自分の夫は大丈夫と信じたいけど、ここ見てたら怖いわ~。
10/12/01 08:18:12
全部読みました。胸が苦しくなりました…。許せない。中絶5回出産5回の末に避妊手術なんて常に妊娠させられてたんですね。どう考えても気持ちが理解できない。子供は性欲を満たす物じゃない。どうか被害が少しでも減りますように。私達母親が子供に目を向け防ぎましょう。守れるのは母親だけです。
10/12/01 08:06:04
>>157 娘が自分から実父の布団に入るようになったと言う記事なら、数年前に見たことあるよ。
10/12/01 08:03:58
>>106 新生児の見た時に、「凄い…!」と手を口にあてて言っていたのを忘れていました。娘が将来、何で離婚したか聞いてきたらどうしよう。
1件
10/12/01 08:03:27
>>142 見ず知らずの人にされたレイプでさえ人に言えずに悩んでる人がいっぱいいるのに養父なら言えたって事はないと思う。性的な事はなかなか言えないよ。
10/12/01 07:38:27
>>84 同意
10/12/01 07:34:31
>>106 きもすぎる… あなたは偉いね! 実父とかきもいけどありえるんだね
10/12/01 07:12:43
>>157 早くこの時間が終わるのをただされるがまま待つだけ。「早く終わって」「いつかコロシタイ」と想いながら。
10/12/01 07:09:39
>>153 あなた男?
10/12/01 07:01:23
やはり、長年されてると喘いだりしちゃうのかな?
2件
10/12/01 06:52:32
>>148 他の『私もされてた』には可哀想だと思うがこの人には思えない 少し前の『実父だから言えなかった』に対抗した嘘っぽい
10/12/01 02:15:52
>>148 辛かったですね…。 あなたも、この10代の女児も、他にも沢山の被害者も… みんなの心の傷が少しでも癒えますように。 私、祈るよ。
10/12/01 01:28:29
青木あざみもこの類だよね?(金もらうための嘘、売名という説もあるけど) 男って本当キモい。この娘さん、沢山きづついただろうね…
10/12/01 01:27:44
結局、実父だろうが、養父だろうが男には変わりなく、男は下半身で物事を考えてしまう生き物なのですよ。 母親が息子のチンを心配したりするように、父親も娘のマンを心配したり母親以上に気になってしまう生き物なんですよ。 なので、それに抵抗がある母親は父親に娘のお風呂を任せない方が良いですよ。 赤ちゃんならば何をしても、見たり触ったりしても何も言えないですし、理解できませんからね。
10/12/01 01:23:55
>>148 悲劇の主人公ぶってるの?
10/12/01 01:22:04
>>148 あっそう……………………
10/12/01 01:03:23
>>130 谷原章介も頑張ってるよ!
10/12/01 00:50:17
>>142養父でも同じみたいですね
10/11/30 23:08:54
このトピ見て久しぶりに思い出して泣いてたら何故か旦那が来てしまい問い質されて小6~高1まで悪戯されてた事を話しちゃった… 大丈夫だよ。何も変わらないって言ってくれた。 養父だけど母が悲しむ姿、妹から父を取り上げる事になると思うと言えなかった。そんな過去を知ってるのは従姉妹のお姉ちゃんだけだったのに。 幸せで忘れてたのを思い出しちゃったよ。この先もずっと思い出す度に泣くんだろうな。辛い。
8件
10/11/30 22:55:28
>>142 言えなくて我慢してる子達が沢山いそう。 言えないよね…。
10/11/30 22:54:02
ちなみに、宮城県です。知人も宮城県で、実父にされ続けて三回出産している子がいました。男は誰も信用出来ませんね。
10/11/30 22:52:35
>>88 ラッキー?逆でしょ。
10/11/30 22:49:02
実際警察に言っても傷つくのは被害者だけ 検察は当たり前にあなたがそそのかしたんじゃないのとか聞いてくるから。 この子もこれから大変だろうに。
10/11/30 22:44:32
数年前からってことは小学生のときからか…。 かわいそうだ。
10/11/30 22:29:53
>>138 考えたらどうだろう? 被害者の30%以上が実父と養父だよ。 そして私もだけど言えなかった。実父だから我慢し続けた。養父なら警察に行って犯罪者にしただろう。 だから明るみに出やすいのは養父で実父なら我慢し続けてしまうと思うな。 統計ですべてはわからないよね
3件
10/11/30 22:24:45
>>39信じられない…。 辛かったね。
10/11/30 22:21:40
本当にありえない!誰も信じられなくなるよね…もし私が同じ立場なら結婚して女の子が生まれたら旦那でさえ信じられなくなりそう
10/11/30 22:21:31
>>136 再婚は…って決め付けるのが良くないよ 性的虐待はレスにもあるように実父と養父、大差ないね それだけ多くの子の実父が加害者になってる そこを受けとめなきゃダメなのに。
10/11/30 22:15:32
統計は実父養父まとめて何%ずつじゃなくて、実父家庭で何%養父家庭で何%で出さないと正確な数字は出ないよ。 圧倒的に実父家庭が多いんだから。
10/11/30 21:48:31
>>135同感 神経疑う
10/11/30 21:40:36
>>135 その前に決めつけるようなコメントがあったからでは? 誰でも決めつけられるのって嫌じゃない。 決めつけたい人もいるだろうけど、同じように意見を言いたい人もいるのさ。
10/11/30 21:37:31
>>132 いるいる。私は子連れ再婚でも幸せって性的虐待された子供のトピで言える神経がすごいよね。
10/11/30 21:36:05
>>132 で?っていう
10/11/30 21:33:41
というか性的に変な趣向がある人って問題ありだよね。 性犯罪とかも再犯率が高いっていうし、性的な欲求ってとめられないだろうから。 だから、そういう人を選ばないように、きちんと見極める事が大切。 性欲が強い人も注意だよね。
10/11/30 21:31:08
>>128虐待系のトピには必ず1人は幸せアピールする人いるよ。血がつながってなくても大切に育てられたってね
10/11/30 21:28:23
>>130 連れ子が男の子と女の子では全然違う
10/11/30 21:25:41
船越英一郎みたいな人がいいと思う。自分の子じゃないのにしっかり育てて。
10/11/30 21:24:28
実の父親だと母親とかにも言えずにいる人が多いと思う。 私がそうだった。 血が繋がっていない父親なら言えただろうけど、ヤッパリ父親だから母親にも言えなくて。 母親に助けて欲しかった。気づいて欲しかった。
10/11/30 21:24:11
なにこのトピきもちわるい。自分の親が子連れ再婚で幸せとか誰も聞いてないし、どうでもいいよ。実父の性的虐待の事件とか関係ないし。
10/11/30 21:20:16
最低すぎる 極刑にしてほしい
10/11/30 21:20:04
>>118 良い養父がいるのも事実。 こんな事件のような養父がいるのも事実。 けど私達女がいなきゃこんな事件は成り立たないんだから、そうならないように私達が意識しながら今まで通り子供達を守りながら笑って生きてけばいいじゃん。1人1人が意識することしか事件は防げないと思う。きりがないよ。こんな話に乗っかって討論してること自体が負の連鎖。
10/11/30 21:18:49
>>83 実父と養父で3%しか違わないのにビックリ!
10/11/30 21:18:02
>>111算数がわからない人が多いよね~ 何人か指摘してる人いるのにね
10/11/30 21:14:44
>>94 よくあるよね。うちの子に限ってって… 父親と風呂なんてほとんど入った事ないかし性的虐待なんて受けた事ないから考えた事も想像もつかないけど、気持ち悪すぎ。本当怖い。
10/11/30 21:12:57
私の周りにも>>87>>116さんと同じ状況の方を2組知ってるよ。血の繋がってない娘と孫を本当に可愛がって今まで育ててくれて、感謝と尊敬してるって言ってるよ。すごい仲良し家族で素敵でした。
10/11/30 21:11:48
>>119 1967年(昭和42年)8月、チヨは不妊手術を受けた。 3人の子どもたちは幼稚園から小学校へと進むようになるが、奇妙なのは3人の子どもの戸籍で、民法上、文雄の重婚は認められないし、仮に文雄が香代と離婚したとしても、実の父と娘の婚姻は認められない。だから、子どもの籍はすべて「私生児」扱いになる。父親の欄に文雄と記されているのは、父親が子として認知したことを示している。 1968年(昭和43年)春、29歳になったチヨは印刷会社に就職し、ここで初めて恋をした。相手は7歳も年下の工員の山岸昭男(仮名/当時22歳)だった。 チヨはのちに次のように供述している。 「勤めに出て、普通の女の生活は、こんなに明るく楽しいものか、と思いました。職場の女性が、恋愛だとか、デートだとか、青春だとか、幸せそうに話し合っているのです。でも、そういう職場からいったん家に帰れば、恐ろしい父と、子が待っているのです」 山岸はチヨに子どもがいることを知りながら結婚を申し込んだ。その夜、チヨは父親の文雄に結婚の相談をした。相手が22歳の男であること、子どもたちを母親の香代に預けたいこと、などを伝えると、文雄はカッとなって、焼酎をあおって怒鳴った。 「そんなことをしたら、俺の立場はどうなるんだよ。俺をコケにするつもりか。そいつをぶっ殺してやる!」 チヨは恐ろしくなって、「印刷会社を辞めて、毎日、家にいるから」と言って懸命になだめて、やっと収まった。 チヨは家出を決意し、山岸に電話で、駅に行くからきて、と連絡を取り、衣類を持ち出して親しい近所の家で着替えをした。そこへ父親の文雄がチヨを捜しにやってきた。怒った文雄は衣服から下着まで裂いてしまった。チヨは半裸の状態で泣き叫びながら外へ飛び出し、駅へ向かうバスを追ったが、すでに発車したあとだった。 家に連れ戻されたチヨは、それ以来、一歩も外へ出られなくなった。その後、チヨは山岸の自宅や印刷会社へ電話したが、いつも「いないよ」と呼び出しを断られた。 父親の文雄は仕事もせず朝から焼酎をあおり、チヨを監視するようになった。山岸への嫉妬もあって、52歳になる父親がチヨを求める回数が急激に増えていった。 チヨはのちに次のように供述している。 「一晩に3回、少ないときでも2回、セックスしました。不妊手術以来、私は不感症になってしまい、本当に苦痛でした」 事件当日の10月5日の夜も、父親は酒に酔ってチヨと交わってから布団の中で罵声を浴びせた。 「お前が出ていくのなら、3人の子どもは始末してやる!」 チヨはもうだめだと思った。この父親がいる限り、自由もなにもないと思った。チヨは起き上がると、部屋にあった父親の作業用の紐を持ち出し、父親の首に巻きつけて力まかせに絞めた。文雄はそのまま息絶えた。 この事件はベテランの大貫大八弁護士が、無報酬で弁護を引き受けた。チヨの資力からすれば、普通は国選弁護人がつくところだが、国選弁護人だと、地裁から高裁へ控訴すると弁護士も変わり、さらに最高裁へ上告すると、同じように変わるので、一貫した主張ができないと判断した大貫弁護士は3審とも無報酬という形を取ったのである。 宇都宮地裁で大貫弁護士は熱弁をふるった。 「被告人の女としての人生は、父親の強姦から始まっている。実父によって、子としての人権は踏みにじられ、希望のない毎日を送った。その人生の中で恋をし、本来なら祝福してくれるべき父親が、逆に監禁状態にして、被告の肉体を弄んだ。そういう状況での殺害は、やむを得ない行為である。正当防衛、または、緊急避難と解すべきだ。しかも、被告はそのとき、心神耗弱の状況にあった」 この事件は、殺人罪ではなく傷害致死罪である。尊属殺人、または尊属傷害致死を適用すべきではない、という主張である。
10/11/30 21:11:07
うちも実母が私たち3姉妹連れて、私が小5の時に再婚した。養父と仲は悪かったけど、幸い性的なものを含め虐待は一切なかったな。子ども達の事もかわいがってくれてるよ。
10/11/30 21:11:05
栃木実父殺〇事件 1968年(昭和43年)10月5日午後10時ごろ、栃木県矢板市の市営住宅で異様な事件が発生した。 「いま、父親を紐で絞め殺○たんです」 相沢チヨ(当時29歳)が、日頃から親しくしている雑貨商を訪れて、そう言うと、その場に崩れ落ちた。驚いた雑貨商はすぐに所轄署に通報。チヨはその場で尊属殺人の容疑で緊急逮捕された。殺されたのは、チヨの実の父親で、植木職人の相沢文雄(仮名/52歳)だった。 取り調べで、長年に渡る父親と娘の性関係が明らかになり、世間を驚愕させた。しかも子どもも3人いるという、常識では考えられない事実が浮かび上がってきた。 1953年(昭和28年)のある真夜中、チヨが中学2年の14歳のときのことだった。この頃、相沢家では家族9人が狭い2部屋で寝起きしており、両親が茶の間に寝て、長女のチヨを頭に、妹2人、弟4人の7人の子どもたちが、奥の間に折り重なるようにして寝ていたが、父親の文雄が密かにチヨの寝床に入ってきて、いきなり体を求めた。チヨは驚いて声を出そうとしたが、家族を起こしてしまうと思い、唇を噛んで父親を受け入れてしまった。 一度、性関係ができると、文雄は妻の香代(仮名)の目を盗んでは、チヨの体を求めた。1週間に一度くらいの割合で、夜中になると寝床に入って体をまさぐった。多いときは3日に1回、2日連続ということもあった。チヨは朝、父親の顔を見るのが嫌になり、我慢ができなくなって、関係ができてから約1年後に、母親の香代に訴えた。香代は驚き、子どもたちのいないところで、文雄を問い詰めた。 「実の娘にそんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」 文雄は狂ったような目つきで包丁を香代に突きつけた。 「ガタガタぬかすと、殺○ぞ・・・・・・」 夫は人間が変わったと、香代は思った。香代はチヨと次女で中学2年の良江(仮名)の2人を夫のもとに置き去りにして、他の子供たち5人を連れて、北海道へ逃げてしまった。父親の文雄とチヨと良江の3人で暮らすことになり、チヨは主婦の役割を果たすようになる。やがて、良江が中学を卒業して、東京都荒川区の工場に就職した。それ以降、文雄とチヨは夫婦同然の生活をするようになった。 「父とのセックスで、快感がなかったと言えば、ウソになります」と、チヨはのちに供述している。 1956年(昭和31年)春、チヨが17歳のとき、母親の香代と子どもたちが北海道から戻ってきて、実家の敷地に新しく小さな家を建て、再び家族全員で暮らすようになった。母親の香代は父親の文雄の行動を厳しく監視した。文雄は酒に酔ってはチヨの寝床に入って体を求めたが、その度に香代が止めに入って喧嘩になった。そんなゴタゴタを繰り返しているうちに、チヨは妊娠してしまう。17歳のチヨはどうすればいいのか判断がつかず、ただ父親から逃れたい一心で、田植えの手伝いにきていた男(当時28歳)と黒磯市へ駆け落ちした。 だが、それほど遠い所でもなかったこともあって、居場所が文雄にばれてしまった。 「貴様、勝手なことをするんじゃねえ!」 一緒に駆け落ちした男は文雄に一喝されただけでチヨを手放してしまった。チヨを連れ戻した文雄は、県営住宅を借り、チヨと2人きりで暮らすようになった。古びた平屋建て、3軒長屋の1軒である。チヨはここで長女を出産した。子を産んでから、いっそう、父親から逃れられないと諦めが深くなった。文雄は酒を飲むと狂暴になり、色魔に変身し、精力が尽きることがなかった。 チヨはのちに次のように供述している。 「父は私を全裸にするばかりか、エロ写真のような恥ずかしい体位や、ありとあらゆる方法で性行為を要求し、それも毎晩1回だけでは済まないのです」 この長屋で父親と娘は、事件が起きるまで12年間、一緒に暮らすのである。この間に、チヨは5人の子どもを産み、2人は生後まもなく死亡、長女と次女、三女だけが育った。この他に5回、妊娠中絶をし、6回目のとき、医師に体をこわすと忠告され、不妊手術を受けるように勧められている。これには文雄も賛成した。
10/11/30 21:09:06
>>116 養父と良い関係な人を募ってなんの意味があるの? こういう事件があるのは事実なんだから!
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*コメント欄のパトロールでYahoo!ニュースのAIを使用しています
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.167 ぷっ
10/12/01 08:32:44
>>92
細木数子…(笑)
返信
No.166 匿名
10/12/01 08:32:22
養父や母親の彼氏による性的虐待は母親が男作らないだけで予防できるから簡単な話だけど、実父は難しいね。
自分の夫は大丈夫と信じたいけど、ここ見てたら怖いわ~。
返信
No.165 ワカママ
10/12/01 08:18:12
全部読みました。胸が苦しくなりました…。許せない。中絶5回出産5回の末に避妊手術なんて常に妊娠させられてたんですね。どう考えても気持ちが理解できない。子供は性欲を満たす物じゃない。どうか被害が少しでも減りますように。私達母親が子供に目を向け防ぎましょう。守れるのは母親だけです。
返信
No.164 ん
10/12/01 08:06:04
>>157
娘が自分から実父の布団に入るようになったと言う記事なら、数年前に見たことあるよ。
返信
No.163 106
10/12/01 08:03:58
>>106
新生児の見た時に、「凄い…!」と手を口にあてて言っていたのを忘れていました。娘が将来、何で離婚したか聞いてきたらどうしよう。
返信
1件
No.162 匿名
10/12/01 08:03:27
>>142 見ず知らずの人にされたレイプでさえ人に言えずに悩んでる人がいっぱいいるのに養父なら言えたって事はないと思う。性的な事はなかなか言えないよ。
返信
No.161 あ
10/12/01 07:38:27
>>84
同意
返信
No.160 あ
10/12/01 07:34:31
>>106
きもすぎる…
あなたは偉いね!
実父とかきもいけどありえるんだね
返信
No.159 しないよ
10/12/01 07:12:43
>>157
早くこの時間が終わるのをただされるがまま待つだけ。「早く終わって」「いつかコロシタイ」と想いながら。
返信
No.158 匿名
10/12/01 07:09:39
>>153
あなた男?
返信
No.157 あ
10/12/01 07:01:23
やはり、長年されてると喘いだりしちゃうのかな?
返信
2件
No.156 なんだろ…
10/12/01 06:52:32
>>148
他の『私もされてた』には可哀想だと思うがこの人には思えない
少し前の『実父だから言えなかった』に対抗した嘘っぽい
返信
No.155 &#x{12:F379};とぉりン&#x{12:F379};
10/12/01 02:15:52
>>148
辛かったですね…。
あなたも、この10代の女児も、他にも沢山の被害者も…
みんなの心の傷が少しでも癒えますように。
私、祈るよ。
返信
No.154 大家族
10/12/01 01:28:29
青木あざみもこの類だよね?(金もらうための嘘、売名という説もあるけど)
男って本当キモい。この娘さん、沢山きづついただろうね…
返信
No.153 匿名
10/12/01 01:27:44
結局、実父だろうが、養父だろうが男には変わりなく、男は下半身で物事を考えてしまう生き物なのですよ。
母親が息子のチンを心配したりするように、父親も娘のマンを心配したり母親以上に気になってしまう生き物なんですよ。
なので、それに抵抗がある母親は父親に娘のお風呂を任せない方が良いですよ。
赤ちゃんならば何をしても、見たり触ったりしても何も言えないですし、理解できませんからね。
返信
1件
No.152 あらあら
10/12/01 01:23:55
>>148
悲劇の主人公ぶってるの?
返信
No.151 あ
10/12/01 01:22:04
>>148
あっそう……………………
返信
No.150 何を~
10/12/01 01:03:23
>>130
谷原章介も頑張ってるよ!
返信
No.149 あ
10/12/01 00:50:17
>>142養父でも同じみたいですね
返信
No.148 匿名
10/11/30 23:08:54
このトピ見て久しぶりに思い出して泣いてたら何故か旦那が来てしまい問い質されて小6~高1まで悪戯されてた事を話しちゃった…
大丈夫だよ。何も変わらないって言ってくれた。
養父だけど母が悲しむ姿、妹から父を取り上げる事になると思うと言えなかった。そんな過去を知ってるのは従姉妹のお姉ちゃんだけだったのに。
幸せで忘れてたのを思い出しちゃったよ。この先もずっと思い出す度に泣くんだろうな。辛い。
返信
8件
No.147 ぶぅ
10/11/30 22:55:28
>>142
言えなくて我慢してる子達が沢山いそう。
言えないよね…。
返信
No.146 106
10/11/30 22:54:02
ちなみに、宮城県です。知人も宮城県で、実父にされ続けて三回出産している子がいました。男は誰も信用出来ませんね。
返信
No.145 は?
10/11/30 22:52:35
>>88
ラッキー?逆でしょ。
返信
No.144 匿名
10/11/30 22:49:02
実際警察に言っても傷つくのは被害者だけ
検察は当たり前にあなたがそそのかしたんじゃないのとか聞いてくるから。
この子もこれから大変だろうに。
返信
No.143 あ
10/11/30 22:44:32
数年前からってことは小学生のときからか…。
かわいそうだ。
返信
No.142 被害者側から
10/11/30 22:29:53
>>138
考えたらどうだろう?
被害者の30%以上が実父と養父だよ。
そして私もだけど言えなかった。実父だから我慢し続けた。養父なら警察に行って犯罪者にしただろう。
だから明るみに出やすいのは養父で実父なら我慢し続けてしまうと思うな。
統計ですべてはわからないよね
返信
3件
No.141 ええっ…
10/11/30 22:24:45
>>39信じられない…。
辛かったね。
返信
No.140 匿名
10/11/30 22:21:40
本当にありえない!誰も信じられなくなるよね…もし私が同じ立場なら結婚して女の子が生まれたら旦那でさえ信じられなくなりそう
返信
No.139 そうだね
10/11/30 22:21:31
>>136
再婚は…って決め付けるのが良くないよ
性的虐待はレスにもあるように実父と養父、大差ないね
それだけ多くの子の実父が加害者になってる
そこを受けとめなきゃダメなのに。
返信
No.138 タマネギガール(`ε´)一人上手
10/11/30 22:15:32
統計は実父養父まとめて何%ずつじゃなくて、実父家庭で何%養父家庭で何%で出さないと正確な数字は出ないよ。
圧倒的に実父家庭が多いんだから。
返信
1件
No.137 うん
10/11/30 21:48:31
>>135同感
神経疑う
返信
No.136 匿名
10/11/30 21:40:36
>>135
その前に決めつけるようなコメントがあったからでは?
誰でも決めつけられるのって嫌じゃない。
決めつけたい人もいるだろうけど、同じように意見を言いたい人もいるのさ。
返信
1件
No.135 匿名
10/11/30 21:37:31
>>132 いるいる。私は子連れ再婚でも幸せって性的虐待された子供のトピで言える神経がすごいよね。
返信
2件
No.134 匿名
10/11/30 21:36:05
>>132
で?っていう
返信
No.133 匿名
10/11/30 21:33:41
というか性的に変な趣向がある人って問題ありだよね。
性犯罪とかも再犯率が高いっていうし、性的な欲求ってとめられないだろうから。
だから、そういう人を選ばないように、きちんと見極める事が大切。
性欲が強い人も注意だよね。
返信
1件
No.132 匿名
10/11/30 21:31:08
>>128虐待系のトピには必ず1人は幸せアピールする人いるよ。血がつながってなくても大切に育てられたってね
返信
2件
No.131 匿名
10/11/30 21:28:23
>>130
連れ子が男の子と女の子では全然違う
返信
No.130 再婚するなら
10/11/30 21:25:41
船越英一郎みたいな人がいいと思う。自分の子じゃないのにしっかり育てて。
返信
2件
No.129 匿名
10/11/30 21:24:28
実の父親だと母親とかにも言えずにいる人が多いと思う。
私がそうだった。
血が繋がっていない父親なら言えただろうけど、ヤッパリ父親だから母親にも言えなくて。
母親に助けて欲しかった。気づいて欲しかった。
返信
No.128 匿名
10/11/30 21:24:11
なにこのトピきもちわるい。自分の親が子連れ再婚で幸せとか誰も聞いてないし、どうでもいいよ。実父の性的虐待の事件とか関係ないし。
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1件
No.127 ヽ('ω'*)自由人〃
10/11/30 21:20:16
最低すぎる
極刑にしてほしい
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No.126 匿名
10/11/30 21:20:04
>>118
良い養父がいるのも事実。
こんな事件のような養父がいるのも事実。
けど私達女がいなきゃこんな事件は成り立たないんだから、そうならないように私達が意識しながら今まで通り子供達を守りながら笑って生きてけばいいじゃん。1人1人が意識することしか事件は防げないと思う。きりがないよ。こんな話に乗っかって討論してること自体が負の連鎖。
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No.125 あや
10/11/30 21:18:49
>>83
実父と養父で3%しか違わないのにビックリ!
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No.124 匿名
10/11/30 21:18:02
>>111算数がわからない人が多いよね~
何人か指摘してる人いるのにね
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No.123 うん
10/11/30 21:14:44
>>94
よくあるよね。うちの子に限ってって…
父親と風呂なんてほとんど入った事ないかし性的虐待なんて受けた事ないから考えた事も想像もつかないけど、気持ち悪すぎ。本当怖い。
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No.122 匿名
10/11/30 21:12:57
私の周りにも>>87>>116さんと同じ状況の方を2組知ってるよ。血の繋がってない娘と孫を本当に可愛がって今まで育ててくれて、感謝と尊敬してるって言ってるよ。すごい仲良し家族で素敵でした。
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No.121 続き
10/11/30 21:11:48
>>119
1967年(昭和42年)8月、チヨは不妊手術を受けた。
3人の子どもたちは幼稚園から小学校へと進むようになるが、奇妙なのは3人の子どもの戸籍で、民法上、文雄の重婚は認められないし、仮に文雄が香代と離婚したとしても、実の父と娘の婚姻は認められない。だから、子どもの籍はすべて「私生児」扱いになる。父親の欄に文雄と記されているのは、父親が子として認知したことを示している。
1968年(昭和43年)春、29歳になったチヨは印刷会社に就職し、ここで初めて恋をした。相手は7歳も年下の工員の山岸昭男(仮名/当時22歳)だった。
チヨはのちに次のように供述している。
「勤めに出て、普通の女の生活は、こんなに明るく楽しいものか、と思いました。職場の女性が、恋愛だとか、デートだとか、青春だとか、幸せそうに話し合っているのです。でも、そういう職場からいったん家に帰れば、恐ろしい父と、子が待っているのです」
山岸はチヨに子どもがいることを知りながら結婚を申し込んだ。その夜、チヨは父親の文雄に結婚の相談をした。相手が22歳の男であること、子どもたちを母親の香代に預けたいこと、などを伝えると、文雄はカッとなって、焼酎をあおって怒鳴った。
「そんなことをしたら、俺の立場はどうなるんだよ。俺をコケにするつもりか。そいつをぶっ殺してやる!」
チヨは恐ろしくなって、「印刷会社を辞めて、毎日、家にいるから」と言って懸命になだめて、やっと収まった。
チヨは家出を決意し、山岸に電話で、駅に行くからきて、と連絡を取り、衣類を持ち出して親しい近所の家で着替えをした。そこへ父親の文雄がチヨを捜しにやってきた。怒った文雄は衣服から下着まで裂いてしまった。チヨは半裸の状態で泣き叫びながら外へ飛び出し、駅へ向かうバスを追ったが、すでに発車したあとだった。
家に連れ戻されたチヨは、それ以来、一歩も外へ出られなくなった。その後、チヨは山岸の自宅や印刷会社へ電話したが、いつも「いないよ」と呼び出しを断られた。
父親の文雄は仕事もせず朝から焼酎をあおり、チヨを監視するようになった。山岸への嫉妬もあって、52歳になる父親がチヨを求める回数が急激に増えていった。
チヨはのちに次のように供述している。
「一晩に3回、少ないときでも2回、セックスしました。不妊手術以来、私は不感症になってしまい、本当に苦痛でした」
事件当日の10月5日の夜も、父親は酒に酔ってチヨと交わってから布団の中で罵声を浴びせた。
「お前が出ていくのなら、3人の子どもは始末してやる!」
チヨはもうだめだと思った。この父親がいる限り、自由もなにもないと思った。チヨは起き上がると、部屋にあった父親の作業用の紐を持ち出し、父親の首に巻きつけて力まかせに絞めた。文雄はそのまま息絶えた。
この事件はベテランの大貫大八弁護士が、無報酬で弁護を引き受けた。チヨの資力からすれば、普通は国選弁護人がつくところだが、国選弁護人だと、地裁から高裁へ控訴すると弁護士も変わり、さらに最高裁へ上告すると、同じように変わるので、一貫した主張ができないと判断した大貫弁護士は3審とも無報酬という形を取ったのである。
宇都宮地裁で大貫弁護士は熱弁をふるった。
「被告人の女としての人生は、父親の強姦から始まっている。実父によって、子としての人権は踏みにじられ、希望のない毎日を送った。その人生の中で恋をし、本来なら祝福してくれるべき父親が、逆に監禁状態にして、被告の肉体を弄んだ。そういう状況での殺害は、やむを得ない行為である。正当防衛、または、緊急避難と解すべきだ。しかも、被告はそのとき、心神耗弱の状況にあった」
この事件は、殺人罪ではなく傷害致死罪である。尊属殺人、または尊属傷害致死を適用すべきではない、という主張である。
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No.120 あ
10/11/30 21:11:07
うちも実母が私たち3姉妹連れて、私が小5の時に再婚した。養父と仲は悪かったけど、幸い性的なものを含め虐待は一切なかったな。子ども達の事もかわいがってくれてるよ。
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No.119 あ
10/11/30 21:11:05
栃木実父殺〇事件
1968年(昭和43年)10月5日午後10時ごろ、栃木県矢板市の市営住宅で異様な事件が発生した。
「いま、父親を紐で絞め殺○たんです」
相沢チヨ(当時29歳)が、日頃から親しくしている雑貨商を訪れて、そう言うと、その場に崩れ落ちた。驚いた雑貨商はすぐに所轄署に通報。チヨはその場で尊属殺人の容疑で緊急逮捕された。殺されたのは、チヨの実の父親で、植木職人の相沢文雄(仮名/52歳)だった。
取り調べで、長年に渡る父親と娘の性関係が明らかになり、世間を驚愕させた。しかも子どもも3人いるという、常識では考えられない事実が浮かび上がってきた。
1953年(昭和28年)のある真夜中、チヨが中学2年の14歳のときのことだった。この頃、相沢家では家族9人が狭い2部屋で寝起きしており、両親が茶の間に寝て、長女のチヨを頭に、妹2人、弟4人の7人の子どもたちが、奥の間に折り重なるようにして寝ていたが、父親の文雄が密かにチヨの寝床に入ってきて、いきなり体を求めた。チヨは驚いて声を出そうとしたが、家族を起こしてしまうと思い、唇を噛んで父親を受け入れてしまった。
一度、性関係ができると、文雄は妻の香代(仮名)の目を盗んでは、チヨの体を求めた。1週間に一度くらいの割合で、夜中になると寝床に入って体をまさぐった。多いときは3日に1回、2日連続ということもあった。チヨは朝、父親の顔を見るのが嫌になり、我慢ができなくなって、関係ができてから約1年後に、母親の香代に訴えた。香代は驚き、子どもたちのいないところで、文雄を問い詰めた。
「実の娘にそんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」
文雄は狂ったような目つきで包丁を香代に突きつけた。
「ガタガタぬかすと、殺○ぞ・・・・・・」
夫は人間が変わったと、香代は思った。香代はチヨと次女で中学2年の良江(仮名)の2人を夫のもとに置き去りにして、他の子供たち5人を連れて、北海道へ逃げてしまった。父親の文雄とチヨと良江の3人で暮らすことになり、チヨは主婦の役割を果たすようになる。やがて、良江が中学を卒業して、東京都荒川区の工場に就職した。それ以降、文雄とチヨは夫婦同然の生活をするようになった。
「父とのセックスで、快感がなかったと言えば、ウソになります」と、チヨはのちに供述している。
1956年(昭和31年)春、チヨが17歳のとき、母親の香代と子どもたちが北海道から戻ってきて、実家の敷地に新しく小さな家を建て、再び家族全員で暮らすようになった。母親の香代は父親の文雄の行動を厳しく監視した。文雄は酒に酔ってはチヨの寝床に入って体を求めたが、その度に香代が止めに入って喧嘩になった。そんなゴタゴタを繰り返しているうちに、チヨは妊娠してしまう。17歳のチヨはどうすればいいのか判断がつかず、ただ父親から逃れたい一心で、田植えの手伝いにきていた男(当時28歳)と黒磯市へ駆け落ちした。
だが、それほど遠い所でもなかったこともあって、居場所が文雄にばれてしまった。
「貴様、勝手なことをするんじゃねえ!」
一緒に駆け落ちした男は文雄に一喝されただけでチヨを手放してしまった。チヨを連れ戻した文雄は、県営住宅を借り、チヨと2人きりで暮らすようになった。古びた平屋建て、3軒長屋の1軒である。チヨはここで長女を出産した。子を産んでから、いっそう、父親から逃れられないと諦めが深くなった。文雄は酒を飲むと狂暴になり、色魔に変身し、精力が尽きることがなかった。
チヨはのちに次のように供述している。
「父は私を全裸にするばかりか、エロ写真のような恥ずかしい体位や、ありとあらゆる方法で性行為を要求し、それも毎晩1回だけでは済まないのです」
この長屋で父親と娘は、事件が起きるまで12年間、一緒に暮らすのである。この間に、チヨは5人の子どもを産み、2人は生後まもなく死亡、長女と次女、三女だけが育った。この他に5回、妊娠中絶をし、6回目のとき、医師に体をこわすと忠告され、不妊手術を受けるように勧められている。これには文雄も賛成した。
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No.118 匿名
10/11/30 21:09:06
>>116
養父と良い関係な人を募ってなんの意味があるの?
こういう事件があるのは事実なんだから!
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