広島・長崎原爆投下から65年 へのコメント(No.223

  • No.219 匿名

    11/08/14 11:10:52

    長くてごめんね


    朴 鉄柱
    (韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
    「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」
    「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
    それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。
    座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
    それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

    「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
    彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
    ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

  • No.223 ググってきた

    11/08/14 12:12:15

    >>219
    朴 鉄柱
    大正11年 
    韓国 釜山生まれ 
    平成二年一月逝去・六十八歳 、
    韓日文化研究所 昭和四十二年十月

    大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。

    終戦後、韓国に帰国。
    李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。
    (日本の学校を出た者は「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)

    朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。

    研究主題は
    1、日本上代文化の研究
    2、帰化文化の研究
    3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

    その後「日本と韓国」という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。
    著書もすべて没収、焼却されてしまいました。

    この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。

     出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。

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