- 友募・馴れ合い
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店内の入り口付近は、一人客でも気楽な席になっていますが、奥はこんな雰囲気のちょっと古いいい雰囲気のスペース。ゆったり食事できます。
そういう店で最後に客が支払う幾許かのカネは、
料理やサービスへの対価だとか、コストパフォーマンスがどうだとか、今日の出来は今一歩だったとか、そんな資本主義的な(笑)意識はまったくなく、ただ、「ごっそさん」と。「おおきに」と。
それは気軽な、ほんのささやかな、いただいた命への御礼。
バブルとその崩壊後、日本のレストランの多様性と技術は格段の進歩を遂げ、おそらく世界で一番美味しい料理が食べられる国になりましたが、
外食をするということの意味と内実は、特に都会部で劇的に変わりました。
飲食店とは、経営し利益をあげる手段と化し、客はカネの入った財布。
店員は軒並み生活感と人生経験の無いアルバイトになり、勤務時間が終わる時刻を頭の隅で意識しながら、今日の日給を稼ぐだけ。
そうでない店は、シェフがみな腕組みをして写真に写るような、庶民の日常の手の届かない所に去って行きました。
厨房は客から隔離されました。いえ、逆か。
バブルの恩恵を受けなかった地方の飲食店はさらに悲惨で、
よい店は次々と閉店し、残った店で出会うのは眉根に皺を寄せた店主の暗い顔ばかり。
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18/08/17 12:53:06