• No.11 主 答えは分かってたよ

    26/10/12 11:49:45

    >>8
    だから、江戸時代から戦前まで、ずっと千島列島には国後島や択捉島を含むものとして扱われていたのに、どうしてサンフランシスコ平和条約でだけは含まれないという奇妙な解釈が成り立つの?
    戦前の地図にも教科書にも、国後島、択捉島は「千島列島」と書いてあるんだよ?サンフランシスコ平和条約では、その「千島列島」を放棄したんだよ?どうして日本領だといえるの?苦しいよね?

  • No.20 今探すと散らかるから

    26/10/12 12:02:03

    >>11
    戦前って第二次大戦の前ってことだよね。
    1855年にはウルップと択捉の間に国境引かれてたから、その時期に千島列島はウルップ以北と捉えるようになったと考えるのは自然なのではないかと思うんだけど。
    で、その後に樺太と交換で千島列島を貰って、さらにその後樺太の下半分も貰ってる。
    そういう経緯があるから、戦後ロシアから貰った部分はお返ししますって意味で、樺太と千島列島(ウルップ以北)の権利を放棄したんじゃないの?

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  • No.23 主 答えは分かってたよ

    26/10/12 12:28:29

    >>20
    得撫島も択捉島も国後島も「千島国」に所属していて、戦前は「千島地方」とか呼んでいたんだよ。少なくとも、戦前に択捉島と得撫島を境界にして千島列島かどうかを呼び分けていた用法はないよ。

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