これは悲しい物語です。長文

匿名

KDDI-HI34

06/03/01 23:43:01

母親が嫌い。
風呂に一週間入らなくても平気。
小さい頃からそうだった。
下着ももちろん変えない。
私はそれは当たり前の事だと思っていた。
母親は当然子供にも同じようにした。
彼女にとって、不潔という概念はないからだ。
当然私は学校でいじめられた。
母親はよく叩いた。物差しや鞭のような物で。
私は母親に叩かれないように人の顔色を伺うようになった。

お父さんが死んだ。
母親は酒浸りになった。
道端で浮浪者のように寝ているのはしょっちゅうだった。
臭く狭い家の中は足の踏み場もなく、裸足で歩くと真っ黒になったが、靴下はなかった。
収入は父親の残した遺族年金だけだった。

おかずは生卵と醤油だけの日もあった。
ある日調理実習で卵を持って行かなければならなかった。
母親はお金がないとだけ言った。
次の日学校を休んだ。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.4

    KDDI-HI34

    06/03/01 23:48:44

    先生が家に来た。
    先生は土足で家に上がり、私を殴った。
    その日から毎日のように先生に殴られた。
    次第に私は学校に行かなくなった
    学校に行く振りをし、街へ出た。
    お金もなく、ぶらぶらしていた。
    とても可愛いスカートがあり、万引きした。
    すぐに捕まり、母親が迎えに来た。
    シネと言われた。
    お前なんか産むんじゃなかった。

    私は施設に入った。
    自分で希望したのだ。
    母親は何も言わなかった。
    私は初めて人間らしい暮らしをした。
    小学生だった。

  • No.11

    KDDI-HI34

    06/03/01 23:53:32

    施設では、長期の休みには親元に帰ってもいいことになっていた。
    最初の年は母親も迎えに来ていた。
    私も喜んで帰っていた。
    しかし、次の年、小学6年の夏休みだった。
    施設の先生から、母親に子供が出来たから帰省できないと言われた。

    父親は誰か分からない。
    私はそれから高校卒業まで一度も家に帰らなかった。

  • No.29

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:02:42

    私は高校を卒業し、お金を貯め専門学校に行った。
    しばらくは母親の事も忘れて。
    やがて、仕事も軌道に乗り始めた頃、どうやって調べたのか、何年かぶりに母親から連絡があった


    具合が悪いので、面倒をみてくれ


    他にも兄弟はいるのに、なぜ…

    迷ったが結局帰る事にした。まだ小さい妹の事が心配だったから。

    帰ると臭く汚い家はますます汚くなって今にもつぶれそうだった。
    雨漏りもひどく、廃屋のようだった。
    母親は糖尿病だったが、元気だった。
    私はこの家に住むことはとても出来ないと思い、近くにアパートを借りた。
    母親が私を呼び戻した理由は
    弟が18になり、遺族年金が打ち切りになるからだった。
    無一文になり、助けを求めたのだろう。

  • No.39

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:11:21

    私は自分の生活をしながら妹と母親を養っていた。
    久しぶりに見る母親は小さく、涙もろく弱かった。
    母親は私のお金で酒を飲んでいた。


    しかし、しばらく経ったある日
    私と同じように長年実家に戻らなかった兄から連絡があった。
    私は兄とは仲がよく連絡を取り合っていたのだ。
    兄は、就職先のA県に賃貸のマンションを借りてくれたのだ。私達はそこに移り住んだ。

  • No.45

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:20:11

    私と兄は生活費を分担して二人を養っていた。


    半分ずつ出し合いマンションを購入した。

    そうして生活してるうちに旦那に巡り会えた。
    結婚し、二人で賃貸に移り住んだ。
    私はこれで母親の呪縛から逃れられると思った。


    子供が産まれた。
    愛しい息子。

    最初に思ったのは、母親への感謝ではなかった。
    彼女には母性愛というものはなかったんだと改めて気が付いた。

    そして私はその血を引いている

    私もいつか、母と同じようにするのではないか…
    同じように母性愛がないのではないか…
    不安でたまらない日々が続く。
    母親の呪縛はまだ私についているのだ。
    悲しい物語はまだ続いている

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  • No.48

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:21:01

    終わりです。

  • No.54

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:24:05

    いや、あまり長いと皆さんの逆鱗に触れそうで…
    あと、私もそろそろ眠いので。

  • No.60

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:25:51

    物語というか、私の過去です。世の中にはこんな母親もいるんだな、ということで。

  • No.63

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:29:50

    深夜組の皆さん優しいので、頑張って起きてみました。
    いつもは9時には寝てます。
    読んでくれてありがとうございますね

  • No.68

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:34:46

    今は母親とは普通に話すけど、「お母さん」と呼んだことはないです。
    いつも、ねえ、とか、ちょっと、とか呼んでます。他人と親の話をしても「お母さんが…」は出ない。
    お父さんは普通に言えるのにね。

  • No.70

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:36:42

    妹は高校生ですよ。
    今は兄と母親と妹が暮らしてます。
    妹は母親っ子です。

  • No.73

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:38:58

    錦野さんありがとう。
    生活は兄が見てます。お金は少し入れてます。

  • No.79

    KDDI-HI34

    06/03/02 00:44:27

    私もそろそろ眠気のピークです。
    ちなみにこんな私は大人になって誰にでも愛想振りまく、八方美人?になってしまいました。
    では深夜組の皆さんおやすみなさい。

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