• No.74 作っているだけで汗だく

    26/07/10 21:48:20

    工藤隆
    (大東文化大学名誉教授)

    『古事記』『日本書紀』の天皇系譜でも、推古天皇(在位592~628年)など、600年代以後にも女性族長(女性天皇)が珍しくありませんでした。やはり、男系と女系がないまぜになって継承されていた古くからの感覚が600年代以後にも生き続けていて、少なくとも女性天皇は可とする考えははっきりと維持されていたのでしょう」

    701年には日本初の成文法である「大宝律令」が制定されて、その中の「継嗣令(けいしりょう)」には、皇族の世継ぎや婚姻についても規定されていた。

    「《およそ天皇の兄弟と皇子を、皆親王とせよ》としたうえで、《女帝の子もまた同じ》という注がつけてあるのですが、女帝の子の父についての条件は書かれていません。この条文の解釈には諸説がありますが、私は、女帝の夫が男系の皇族ではない人だったとしても、つまり“女系”の子でも、皇位継承権のある親王になれるという共通認識が当時の権力者にあった可能性があると考えています。

    その後、『古事記』や『日本書紀』がまとめられた奈良時代(710年~)には、皇位継承は男系重視に強く傾いていったのですが、それが明文化されることはありませんでした。女性天皇はもちろんのこととして、女系天皇も許容される余地が残されていたのだと思われます」

    「皇位継承の規定を『男系』ばかりか『男子』とまで明文化したのは、明治時代(1868年~)の大日本帝国憲法下で制定された旧皇室典範が初めてなのです」

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