能登地震5カ月、70代夫婦の車庫暮らし「こんな年でこんな目に…」

匿名

父兄コケがち

24/06/01 11:48:47

これ読むと、マンションだと家には帰れるし、
普通に生活は出来るんだよね。
大きな違いだよね。

能登半島地震から6月1日で5カ月となる。小学校の体育館や公民館などの1次避難所で暮らす人の数は、ピーク時の3万4千人超から1623人まで減った。一方で、行政から姿が見えにくく、支援の届きにくい「見えない避難者」の存在に懸念が広がっている。

 元大工の矢敷(やしき)昭八さん(76)はここで、妻のとよ子さん(71)と2人で暮らす。小屋は元日まで、車3台を止める車庫だった。

 内側の壁は断熱材がむき出しになっている。冬の寒さを和らげようと、矢敷さんが元大工の腕を生かして貼り付けたものだ。

 かつて軽ワゴン車を止めていた辺りに、倒壊した家から運び入れた薪ストーブを置いた。煙突も取り付け、板張りの小部屋も作って寝室にした。

 長男夫婦と小学生の孫2人と計6人で同居していた自宅は、元日の能登半島地震で全壊した。

 矢敷さんは前日の大みそかから脳梗塞(こうそく)で入院中だった。残る5人は人があふれているであろう避難所を避け、1週間ほど車中泊を続けた。

 長男ら4人は「みなし仮設住宅」となる石川県南部のアパートに入居した。矢敷さんは1週間ほどで退院し、1月下旬、とよ子さんと一緒に、住むことのできない自宅に戻ってきた。

 「こんな田舎の人間が、都会に行って転がっとれんて。退屈で。ここにおれば、うちのまわりの草刈りでも、何でもできる」

 寒さに脅かされた季節は過ぎ、様子を見に来た看護師に最近、熱中症に注意するように言われた。脳梗塞の影響か、「疲れが早くて、前のようには動かれん」と言いながら、板張りの壁をくりぬいて風が通る窓を作った。

 倒壊した自宅の納屋部分に筋交いを入れ、なんとか住めないかと毎日少しずつ修繕を続ける。

 生活を立て直すまで、せめて近くの仮設住宅に住めればと周囲は心配する。

 だが、地震前に一緒に住んでいた長男たちが「みなし仮設」に入居したため、矢敷さん夫妻は制度上、地元の仮設住宅に申し込むことができない。1軒の倒壊した家に対して入居できる仮設住宅は、1軒だけだからだ。

コメント

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  • No.1 父兄コケがち

    24/06/01 11:51:58

    木造は、新築時はいいけど
    翌年から価値は下がり耐震含めて老朽化ははじまる。
    若い30代で家を建てたとしたら、老後のときには築40年。
    木造の40年はさすがに老朽化してる。
    鉄筋コンクリートは、本来は立て替えは必要ないけど日本は金儲けのために立て替えようとする。
    ヨーロッパは何百年と使ってるから。

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*コメント欄のパトロールでYahoo!ニュースのAIを使用しています

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