- なんでも
- さんさ踊り(岩手)
- 23/08/20 10:33:29
羽生結弦、“母は拒否した”お相手は「仙台の一般人」「周囲が安心できる存在」 億ションで繰り広げられた家族の葛藤
2023.08.19 07:00
《この度、私、羽生結弦は入籍する運びとなりました》
羽生が自身の公式SNSにそう綴ったのは、8月4日の夜だった。一粒万倍日、天赦日、大安の3つの「吉日」が重なる開運日で、「1」並びの午後11時11分の発表だった。
「メッセージには、ファンや周囲への感謝の気持ちや、今後への決意が記されていましたが、入籍までの経緯やお相手の素性には一切触れられていませんでした。ファンの中には、羽生さんをアイドル視していた人もいますし、本人もアイドル的人気を集めていたことを自覚している。入籍が少なからずファン心理に影響することを考慮して、最小限の情報発信に留めたのだと思います」(スケート関係者)
それでも、ショックを受けたファンは多かったようだ。入籍発表の直後から、フリマアプリには羽生関連のグッズが次々出品された。中には、羽生が一面を飾ったスポーツ新聞が10年分以上まとめ売りされているものもあり、入籍を機に“卒業”を決めた長年のファンもいたようだ。
「羽生さんにとって“ファン離れ”は苦しい思いでしょう。昨年7月のプロ転向以降、羽生さんの“ファンファースト”の姿勢はより鮮明になっていましたからね。(略)
■入籍発表後に家族で向かった場所
ファンへの気持ちと同様に貫いたのが、地元・仙台への愛だった。羽生は姉がスケート教室に通い始めたことに影響を受け、4才のときにスケートを始めた。以来、海外に拠点を移した時期を除いて、常に生活の中心は仙台にあった。(略)
日々スケートの研鑽を積むのも、幼少期から変わらず「アイスリンク仙台」だ。入籍発表から1週間以上が過ぎた8月中旬にも、深夜にアイスリンクへ向かう羽生の姿があった。
「アイスリンク仙台は8月いっぱいまで一般営業を中止していますが、それでもアイスホッケーチームといった団体での利用は行われています。ほかの利用者と重ならないよう、深夜にスケートの練習をするという習慣は続いています」(前出・別のスケート関係者)
練習場へ向かう羽生を乗せた車のハンドルを握るのは、決まって羽生の父だ。助手席には姉、後部座席に羽生と母が座る。冒頭に記した「億ション」の2部屋は、1つが両親と姉の、もう1つが羽生と新妻の愛の巣だ。
羽生のスケート人生は、「母子の物語」と言っていい。ジュニア時代、試合の衣装はすべて母の手作りだった。羽生が出場するほぼすべての大会に帯同し、2012年に、羽生がブライアン・オーサーコーチに師事するためカナダ・トロントに移り住んだ際、一緒に異国に赴いたのは母だった。
「ある程度の年齢になると、試合は本人だけっていう選手が多いんですけど、羽生さんの場合は、お母さんがマネジャーであり、コーチであり、トレーナーでもありました。もちろん自分の親ですから、精神的安定を保てる存在だった。ただ、お母さんはスケートに集中させるために、昔は携帯電話を持つことを禁止していました。“目の届くところにいないとダメ”というお母さんの思いを、羽生さん自身は煩わしく感じたこともあったそうです」(フィギュア関係者)
母の干渉は羽生の恋愛にまで及んだ。
「高校時代は、恋愛自体が禁止でした。早稲田大学入学後は交際相手のA子さんもいて、海外遠征が多い羽生さんの事情もあって成田空港の近くでデートをしたこともあったそうです。結婚を約束した相手もいて、お母さんに直談判したこともあったけど、当時は叶わなかった」(羽生の知人)
このたび、羽生とゴールインを果たしたお相手は、そういった強固な“母子の結び付き”の内側に迎え入れられたことになる。
続く
- 0 いいね