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ネタバレではありませんのでご安心ください。
出典:NHK 高知放送局
『らんまん』モデル牧野富太郎博士と妻・壽衛 結婚生活とは?
借金取りの対応まで・・・博士の生活を支えた壽衛さん (2)
『負債ノ額』1895年
高知県立牧野植物園所蔵
借金取りの対応をするのは壽衛さんの役目でした。
「いつだったか寿衛子が何人目かのお産をしてまだ三日目なのにもう起きて遠い路を歩き債権者に断わりに行ってくれたことなどは、その後何度思い出しても私はその度に感謝の念で胸がいっぱいになり、涙さえ出て来て困ることがあります。
実際そんな時でさえ私は奥の部屋でただ好きな植物の標本いじりをやっていることの出来たのは、全く妻の賜であったのです」
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
出産3日後に歩いて債権者との交渉に出向く・・・。
身体への負担は小さくなかったはずです。
その間、博士は研究に没頭していました。
自叙伝には、壽衛さんが「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」と言いながら、自分は古いつぎだらけの着物を着て、芝居などの娯楽も求めずに家計をやりくりし、生活を支えていたことが記されています。
壽衛さんの死
子育て、家計のやりくり、借金取りへの対応など、さまざまな側面から牧野博士を支えていた壽衛さんは、1928年(昭和3年)に55歳で亡くなりました。
牧野博士と壽衛さん
画像提供 高知県立牧野植物園
博士は壽衛さんの闘病中に発見した新種のササを「スエコザサ」と命名し、献身的に研究生活を支えてくれた妻に感謝の気持ちを表しています。
そして、こんな句をささげました。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)
高知県立牧野植物園に生えるスエコザサ
生涯を通して植物の研究を続けた牧野博士。
それができたのは、生活費や研究費が重なる中で家計をやりくりして博士が研究できる環境を整え、献身的に支えてくれた人がいたからこそだったんですね。
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23/09/03 20:03:53