- なんでも
- ヨルダン・ディナール
- 22/12/04 07:04:42
「終わりがない」といわれる教師の仕事。部活動や生徒指導、授業準備など、その気になれば際限なく見つかる。まじめで責任感が強い人ほど過重労働に陥りやすいとされる。
その末に倒れたとしても、「自主的に働き過ぎた」のか、「やらざるを得なかった」のか、過労の立証は困難を極める。愛知県豊橋市立石巻中学校の教師だった鳥居建仁さん(52)はその点をめぐり、地方公務員の労働災害を審査する地方公務員災害補償基金(地公災)と10年以上、争った。
2002年9月に校内で脳内出血で倒れ、脳に障害が残った。直前1カ月の時間外労働は128時間で、脳内出血は過労が原因だったと主張したが、地公災は「職務命令は認められず、自主的な勤務だった」として「公務外」と判断した。審査請求、再審査請求でも結論は変わらなかった。
親族は不服として提訴。名古屋地裁、名古屋高裁とも公務災害と認定し、処分取り消しの判決を言い渡した。判決は、地公災側が「自主的」とした時間外労働について「校長の指揮命令は黙示的なもので足りる」とし、「個別的指揮命令がなくても、社会通念上必要と認められるものである限り、包括的な職務命令と認められる」と認定した。
地公災側は上告した。鳥居さんの叔母で裁判を支える杉林和子さん(71)は、「救済が役割であるはずなのに、10年以上も苦しめられている」と憤る一方、期待もにじませる。これまで「包括的職務命令」を認めた高裁判決はあったが、「幸か不幸か最高裁まで争われたことはなかった」(杉林さん)からだ。「今回、最高裁が追認すれば、もう地公災は『勝手に働きすぎた』とは言えなくなる」
横浜市立中の40代の男性教諭がうなずく。「現場で校長や管理職が、業務命令として時間外労働を指示することは、ほぼない。生徒指導や保護者対応など、自らの判断で動くことがほとんど」。しかもそれが成果物として形にならないため、時間外労働の「物証」が残らない。教師にとって「当然の感覚」も、いざ立証となると非常に高い壁となる。
鳥居さんは脳の障害のため教壇に立つことができなくなり06年、分限免職となった。現在はヘルパーの力を借りながら1人暮らしをしているが、パニック障害を起こしやすく、母親は心労で別居を余儀なくされている。自らの裁判については、「僕の人生はすべて仕事だった。どこまで行っても公務災害なんだ」と話しているという。
杉林さんはこう訴え続けた。「『包括的命令』が最高裁の判例となれば、今後の教師の過労裁判も大きく変わってくるはず。その上で、地公災のあり方も問い直したい」
そして13年近い歳月が経過した15年2月。最高裁が地公災側の上告を棄却する決定を下し、教職現場の「包括的命令」は判例として確立した。心ある教員が過労で倒れても、監督者たる学校や教育委員会側は「本人が勝手に働き過ぎただけ」という“言い逃れ”はできなくなった。
鳥居裁判を支え続けた関係者はこう言う。
「社会通念上は当然の感覚が、最高裁によって認められた。もちろん過労による公務災害がなくなることが一番だが、最低限のセーフティーネットが張られたという意味で、この判決は非常に大きい意味を持つ」
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