秋篠宮さま、大学時代に「7人の恋人」? 眞子さん結婚との「ただの偶然とは思えない」共通点

匿名

北条鉄道北条線

22/01/04 16:07:31

秋篠宮さま、大学時代に「7人の恋人」? 眞子さん結婚との「ただの偶然とは思えない」共通点

2022/01/01 17:00

(略)

堀江宏樹氏(以下、堀江)
そのお父さまである秋篠宮さまは、学習院大学法学部に通っていた当時、佳子さまのタンクトップ通学、へそ出しダンス写真などとは比較にならない位、奔放な行動を連発されていたようですよ。(略)

 1986年の「FOCUS(10月24日号)」の「礼宮文仁親王20歳―――目白のスナックで“青春の横顔”拝見」という記事によると、礼宮さまが約10人ものSPを店の外で立たせたまま、東京・目白の住宅街の「小ぢんまりしたスナック」にて、ビートルズの『イエスタデイ』をギターでつまびく姿が目撃されたとのこと。お酒を酌み交わし、煙草をくゆらせる御学友たちとのお写真がパパラッチされておられます(笑)。

――20歳にしてこの貫禄!

堀江
絶対に十代のうちから……ってかんじですよね(笑)。しかも「隣りのテーブルの客に声をおかけになった」礼宮さまが「一緒に楽しく飲みましょう」と持ちかけたり、大学の同級生の女性を見送るといって店を出ていってから、「30分ほどして店に戻った」りしています。自由なお姿が描かれていますね。

――もしかして、宮様がお見送りしたのが紀子さまだったとか!?

堀江
いや、違うのです(笑)。礼宮さまは女性には積極的で、同86年の「週刊現代(9月13日号)」には「ウワァ~礼宮さまに肩を抱かれた20歳美女の身辺」という、いかにも80年代っぽい軽薄さに満ち溢れたタイトルの記事が掲載されています。(略)

 これに対し、宮内庁は「こちらでは(略)話題にもなっていませんね」とコメントするだけ。随行した東宮侍従の富士亮氏も、「(肩を抱いたことに)特別に感想はない」とクールに答えるだけでした。

――え、チャラくないですか(笑)? 礼宮さまのそうした行動は日常茶飯だったと?

■秋篠宮さま、大学時代はチャラ男として人生を謳歌

堀江
そうでしょうね。礼宮さまをめぐる報道を見ていると、兄宮(現・天皇陛下)とご自分の境遇をお比べになり、皇室のあり方に “反抗”するお姿を報じた記事がある一方、ハッキリ言えば、かなりのチャラ男として人生を楽しんでらっしゃいます(笑)。

――翌87年の「女性自身(5月5日号)」(光文社)には、「僕には7人の恋人がいる!」とタイトルの文字が踊る記事が……。

堀江
礼宮さまの奔放さに、マスコミが食らいついてきている姿がうかがえますよね。21歳当時の礼宮さまのこの発言については「7人というのは、つまり“特定の人はいないよ”という意味」など説明されてはいるのですが。

――しかし、この時からすでに紀子さまと笑顔で並んでいる写真が大きく掲載されていますね。

堀江
そうなんです。皇室記者は紀子さまこそが 宮さまの“本命”と認識していたことがわかりますね。この頃の礼宮様は、特技のギターの弾き語りに磨きをかけておられ、南こうせつの『神田川』や浅川マキの『かもめ』が十八番だったそうです。

――『神田川』って(笑)。風呂なしアパートに暮らし、銭湯の前でふるえながら、同棲中の恋人男性が出てくるのを待つ貧しい女性の気持ちが、殿下に想像できたのでしょうか?

■秋篠宮さま&紀子さま、眞子さん&小室さんのすごい共通点

堀江
浅川マキの『かもめ』も、「港町のあばずれ」なんて歌詞が出てくるんですよね~。(略)

 88年の「週刊現代(3月5日号)」の「次男坊殿下礼宮さま 教授令嬢とのデートの親密度」という記事によると、皇居の敷地で、礼宮様がオレンジ色のフォルクスワーゲンに本命の紀子さまを乗せてドライブ。毎日のようにお二人だけの「ハラハラ、ドキドキの」時間を過ごしていると報じた記事が載せられます。お二人が部屋にこもって3時間も出てこなかったことなどが書かれていますね。

――そして、この頃からすでに「もしかして、兄宮より先にご成婚かも」と囁かれはじめていた? 

堀江
はい。翌89年秋にはその予感は現実となり、イギリスに短期留学した23歳の礼宮さまを、同い年の川嶋紀子さんが「離れていても心は一緒です」と笑顔でお見送りしていますね。(略)

――小室夫妻も2012年、国際基督教大学1年生の時に知り合っており、眞子さんが同年8月にイギリス留学で日本を離れる直前に交際が開始されました。そして13年には小室さんから眞子さんにプロポーズがあったそうですよね。すごい共通性が……。



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コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

  • No.1 北条鉄道北条線

    22/01/04 16:08:13

    堀江
    そうなんです。こうなると、ただの偶然とは思えませんよね。眞子さんはあきらかにご両親を意識して行動というか、そういうふうに振る舞えば、先例があるから自分も許されると判断なさっていたのかも……。

    ■礼宮さまの結婚には反対の声も……完璧な縁談ではなかった?

    堀江
    紀子様のご実家・川嶋家と皇室出身の礼宮様にも、大きな経済格差がありました。学習院大の職員用住宅の3LDKの「アパート」に暮らしていた紀子様を「3LDKのプリンセス」などという陰口もありました。

     「SPA!(89年9月6日号)」(扶桑社)に掲載された川嶋家の暮らす「共同住宅」は、エレベーターもなさそうな古びた公営団地のようです。これが“平成のシンデレラ”のご実家か~、という驚きはありますね。

    ――眞子さんは小室さんとの結婚において、ご両親の結婚までの過程を意識的、あるいは無意識的に踏襲していたのかもしれませんね。

    堀江
    その可能性は多いにあります。ただ、紀子さまには周囲と問題ばかり起こしている小室佳代さんのような困ったご家族はいませんでしたが……。

     礼宮さまと紀子さんのご結婚に反対する声は、実は少なからずありました。そもそもお二人のお話がまとまっていく頃は、昭和天皇の喪中にあたり、礼宮さまの兄の浩宮さま(現・天皇陛下)も、いまだ雅子さまとの結婚が決まらぬまま、30歳をそろそろ迎えようとなさっていました。少なくとも保守的な意味で完璧な縁談ではなかったはずです。(略)

    ■紀子さま、国民的な人気を得て結婚へ

    ――話が飛んでしまいましたが、結局、礼宮さまと紀子さまはどうなったのでしょうか?

    堀江
    紀子さまに国民的な人気が高まったことを追い風に、お二人の関係はトントン拍子で進み、「昭和天皇さまの喪中に……」などと一部の上流層、宮内庁関係者の顔を曇らせたこと以外の大きな障壁はありませんでした。

     逆に昭和天皇の喪中の暗い空気を吹き飛ばすような、皇室の明るいニュースが国民から必要とされ、それがお二人の結婚を逆に早めた、と。

     かくして1990年6月29日、礼宮文仁親王と川嶋紀子さんとの結婚をきっかけに、秋篠宮家が創設されたのです。


     次回は秋篠宮家の子育てを取り上げます。

    https://www.cyzowoman.com/2022/01/post_368376_1.html

  • No.8 木次線

    22/01/04 19:25:36

    ソープも

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