• No.1 北条鉄道北条線

    22/01/04 16:08:13

    堀江
    そうなんです。こうなると、ただの偶然とは思えませんよね。眞子さんはあきらかにご両親を意識して行動というか、そういうふうに振る舞えば、先例があるから自分も許されると判断なさっていたのかも……。

    ■礼宮さまの結婚には反対の声も……完璧な縁談ではなかった?

    堀江
    紀子様のご実家・川嶋家と皇室出身の礼宮様にも、大きな経済格差がありました。学習院大の職員用住宅の3LDKの「アパート」に暮らしていた紀子様を「3LDKのプリンセス」などという陰口もありました。

     「SPA!(89年9月6日号)」(扶桑社)に掲載された川嶋家の暮らす「共同住宅」は、エレベーターもなさそうな古びた公営団地のようです。これが“平成のシンデレラ”のご実家か~、という驚きはありますね。

    ――眞子さんは小室さんとの結婚において、ご両親の結婚までの過程を意識的、あるいは無意識的に踏襲していたのかもしれませんね。

    堀江
    その可能性は多いにあります。ただ、紀子さまには周囲と問題ばかり起こしている小室佳代さんのような困ったご家族はいませんでしたが……。

     礼宮さまと紀子さんのご結婚に反対する声は、実は少なからずありました。そもそもお二人のお話がまとまっていく頃は、昭和天皇の喪中にあたり、礼宮さまの兄の浩宮さま(現・天皇陛下)も、いまだ雅子さまとの結婚が決まらぬまま、30歳をそろそろ迎えようとなさっていました。少なくとも保守的な意味で完璧な縁談ではなかったはずです。(略)

    ■紀子さま、国民的な人気を得て結婚へ

    ――話が飛んでしまいましたが、結局、礼宮さまと紀子さまはどうなったのでしょうか?

    堀江
    紀子さまに国民的な人気が高まったことを追い風に、お二人の関係はトントン拍子で進み、「昭和天皇さまの喪中に……」などと一部の上流層、宮内庁関係者の顔を曇らせたこと以外の大きな障壁はありませんでした。

     逆に昭和天皇の喪中の暗い空気を吹き飛ばすような、皇室の明るいニュースが国民から必要とされ、それがお二人の結婚を逆に早めた、と。

     かくして1990年6月29日、礼宮文仁親王と川嶋紀子さんとの結婚をきっかけに、秋篠宮家が創設されたのです。


     次回は秋篠宮家の子育てを取り上げます。

    https://www.cyzowoman.com/2022/01/post_368376_1.html

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