母親殺害事件の傍聴記録 「憎かったし愛していた」発達障害を抱えた親子の間に何が

  • ニュース全般
  • 竹中半兵衛
  • 21/05/03 00:14:35

「悪人だとしてもできるだけ(母親には)病死してほしかったです。チベット仏教でも殺人を禁止していますので」

チベット仏教を信仰するという被告の男(44歳)は、メモを取るのが追い付かないほどの早口でそう言った。

グレーのスウェットの上着をきっちりとズボンに入れ、かなりやせ型でひょろりとした被告。この細い腕で母親の心臓をめがけて、包丁を突き刺した。

逮捕後、自閉症スペクトラム障害と注意欠如・多動性障害(ADHD)を併存する発達障害と初めて診断を受けた。

鑑定医は、母親も発達障害だった可能性を指摘。ともに強いこだわりを持ち、コミュニケーションをとるのが難しかったとみられる母子に何が…
福島地方裁判所の第203号法廷。全4回の裁判員裁判を福島テレビの記者が傍聴した。

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    • 一条兼定
    • 21/05/03 02:52:40

    子供を長年苦しめるのはだめよね。

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    • 長野業正
    • 21/05/03 02:37:56

    おいこら!見世物じゃねーぞ!!!

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    • 竹中半兵衛
    • 21/05/03 00:18:08

    まだ続くので、読みたい方はこちらへ。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/b8e65bc5fae4a898e10f2686409a7970b13469da

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    • 竹中半兵衛
    • 21/05/03 00:17:20

    ●母にささげた祈り

    包丁で母親を殺害したあとの行動を、弁護人から質問されているときだった。
     
    被告:
    ニンゲンハゼンニンニウマレカワルチベットシシャノショゲルクハバン

    瞬時にその言葉を聞き取ることができなかった。後に分かったことだが「人間は善人に生まれ変わる。チベット死者の書ゲルク派版」。被告はこう言っていた。母親を殺害したあと「人間は善人に生まれ変わる」と祈りの言葉を捧げたという。

    弁護人:
    なぜそういったのですか?

    被告:
    お母さんに善人に生まれ変わってほしいと思ったからです。

    弁護人:
    善人に生まれ変わってほしかったから殺害したのですか?

    被告:
    いいえ悪人だとしてもできるだけ病死してほしかったです。チベット仏教でも殺人を禁止していますので。

    弁護人:
    どうしてお母さんを殺そうと思ったのですか。

    被告:
    わかりません。事件を起こした責任は認めます。すみません。

    このやり取りは公判中、10回以上繰り返された。動機や心情を聞くと被告は、長考した末にこう答え、そのたびに頭を下げた。

    “自決”を決意していた被告は「母を3階の台所から運んでほしい」と警察に宛てたものと、父親には謝罪の言葉を並べた遺書を書いた。自殺を試みたが、失敗。その後、自宅ビルから喫茶店に移り、刃物を持ったまま数時間ほど立てこもったあと、警察に説得され、銃刀法違反の現行犯で逮捕。殺人罪で起訴された。

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    • 竹中半兵衛
    • 21/05/03 00:16:09

    ●体調を崩した母親、叱責は一層厳しく

    2017年2月に母親が肺炎になり体調を崩すと、日常の叱責はより一層厳しさを増した。被告は、高校生のころから母親に怒られるたびに、自殺したい衝動に駆られていた。

    肺炎が治っても、生活能力が一気に衰えた母親。体調が悪いと、さらに叱責が増える母親の介護の負担が被告に重くのしかかり、自殺願望は募っていった。このころには、ほとんど母親の身の回りの世話に付きっきりで、一日16時間もの時間をほぼ2人で過ごしていた。
    事件の2~3日前には1時間以上に渡る説教があった。被告は強いストレスにさらされる中、その日がやってくる。

    ●朝から叱責され続けた殺害当日

    殺害当日の2020年5月1日。被告は両親と朝食をとると、被告と母親は一緒に食器を洗っていた。「食器の戻す位置が違う!」この日、母親からはいつも以上にひどい叱責があったという。その後、被告は新聞を読み、母親に目薬を差してあげるなどして自宅で過ごしていた。

    叱責は昼食の時間になっても続いた。「食器を出す位置が違う。動作が遅い」と大きな声で指導された。昼食後の食器洗いでも、再び同じ内容で何度も叱責を受けた被告は、「平和に暮らすべきだ」「話し合いに応じるべきだ」と言い返したという。それでも続いた母からの叱責。そして被告は、突如決意する。

    被告:
    お母さんを殺して自分も自決しようと思いました

    被告は母親の首を5分ほど両手で絞めたが、母親の「ううう…」とうなり声を聞き、途中ためらったという。しかし、着ていたジャージを脱いで首を絞めると、母は椅子から転げ落ちた。

    その後、台所の流し台にあった刃渡り21㎝の包丁で、母の心臓をめがけて胸に突き刺した。刺し傷は14.5㎝メートルの深さに及んだ。被告は、周りに広がった血液を新聞紙で吸って掃除した。

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    • 竹中半兵衛
    • 21/05/03 00:15:06

    ●日常的に母親からの厳しいしつけ

    被告の男は、福島県福島市の中心部にある母親(当時71)が所有するビルに、両親と3人暮らし。父親は自宅ビルのすぐ隣で、喫茶店を経営していた。テレビでも取り上げられるなど“白カレー”が人気の店だった。被告は店を手伝いながら暮らしていた。
    被告が足の悪い母親の手を引いて、寄り添って歩くなど仲の良い親子の姿も度々目撃されていた。しかし、被告は幼い頃から母親からの厳しいしつけを受けていた。

    弁護人:
    母親はどんな人でしたか?

    被告:
    些細なことで文句をいう、異常に潔癖、言い出したらきかない。

    話すまで10秒ほどの沈黙があり、ぶっきらぼうに早口で言った。
    公判中、被告が質問に答える前には、いつも沈黙があった。被告によると、帰宅すると母の指示する方法で手を洗い、その後は汚れてしまうという理由で外出も制限されていたという。また食器を置く位置が決めてあり、少しでもずれると大きな声で叱責されていた。

    弁護人:
    言い返すことはありましたか?

    被告:
    言い返すと余計に怒るので…我慢して母の言うことを聞くようにしていました。

    弁護人:
    怒られるとどんな気持ちになりましたか?

    被告:
    怒りと悲しみです。

    被告は、地元大学附属の小学校と中学校、そして県内でもトップレベルの県立高校に進んだ。一年予備校に通って浪人したあと、宇都宮の大学に通い、卒業した。

    「友人がいなかったことは認めます」大学時代をこう振り返った被告。
    思い出も特にないという。卒業するとしばらくして、福島市の実家に戻った。

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