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- 落武者
- 21/03/30 10:42:17
「辛ラーメン」開発者死去 あんなに辛いラーメンが売れ続ける韓国の特殊事情とは
https://news.livedoor.com/article/detail/19937475/
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・“男を泣かせる辛いラーメン”
・最初に食べられていたのは「チキンラーメン」だった
・不景気に辛いものが売れる
・風俗店でもお茶代わりに…
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「辛ラーメン」の開発者として知られる、韓国食品大手「農心」創業者の辛春浩氏が、3月27日に死去した(享年90歳)。(略)あの激辛ラーメンはどのようにして、韓国のソウルフードとなったのか。韓国人ジャーナリストに話を聞いた。
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■“男を泣かせる辛いラーメン”
(略)
語るのは、日本文化に詳しい韓国人ジャーナリストのピョ・シュシク氏だ。韓国では500種類ほどの即席麺が売られているが、すべてが「辛ラーメン」のような唐辛子系のものではないという。むしろ、日本でも売られているような味噌味や塩味のほうが多く、赤くて辛いラーメンは2割ほど。中でも、「辛ラーメン」は激辛部類に入るといい、
「CMのキャッチコピーは『男を泣かせる辛いラーメン』。男らしさを体現したようなスポーツマンや俳優が、汗を流し、ふーふー言いながら食べるんです。当然、韓国人もみんな辛いと思いながら食べていますよ」
■最初に食べられていたのは「チキンラーメン」だった
即席麺消費量世界1位と言われる韓国。だが、そもそも即席麺の発祥は日本だ。NHKの連続テレビ小説のモデルにもなった、日清食品の創業者・安藤百福氏が1958年に開発した「チキンラーメン」が元祖と言われる。韓国でも、最初に食べられていた即席麺はチキンラーメンだった。
「当時、朝鮮戦争が終わったばかりの韓国は食糧難の時代で、コメより小麦粉を主食にする政策が取られていました。そんな中、『三養食品』が1963年に国産初の即席麺『三養ラーメン』を開発したのがきっかけで、即席麺は普及していきます。このラーメンも『チャルメラ』で知られる日本の食品メーカー『明星食品』から技術提供を受けて作られた商品で、最初は日本人好みの味でした」
三養食品に遅れること2年。1965年に、菓子メーカー「ロッテ」の創業者一族だった辛春浩氏が設立した会社が、「農心」の前身となる「ロッテ工業株式会社」だった。同社が製造していた即席麺も、当初は日本の商品を模したもので、
「徐々に韓国人好みに合わせてアレンジが加えられていった感じですね。農心が82年に出した、もちっとしたうどんのような食べ応えの『ノグリ』は中辛、83年に出した牛骨スープ味の『安城湯麺(アンソンタンミョン)』もちょい辛でした」
■不景気に辛いものが売れる
そして、ソウルオリンピックを2年後に控えた86年。度肝を抜くような激辛ラーメン「辛ラーメン」が登場したのである。
「いきなり数段階飛び越した感じです。ただ、この痺れるような辛さが韓国人にウケた。韓国では“不景気に辛いものが売れる”とよく言われるんですが、あの頃はまだ貧しかったんですね。80年代は軍事政権の時代で、光州事件などの暴動も起き、政治、経済が混乱していた」
そもそも、韓国人が食べ物に辛さを求めるようになった歴史はまだ浅く、100年も経たないという。
「唐辛子は豊臣秀吉の朝鮮出兵によってもたらされたという説があります。昔はキムチといえば、白い白菜の漬物で、今の赤いキムチになったのは20世紀に入ってからのこと。日本統治時代、その後の朝鮮戦争など、激動の時代の中、庶民は徐々に食べ物に辛さを求めていったんです」
■風俗店でもお茶代わりに……
庶民は辛さに“麻薬”のような刺激を求めてきたと、ピョ氏は語る。
「辛ラーメンの辛さは、“味”というより“痛み”ですよね。汗や鼻水を流しながら、しんどい思いをしてあの辛さに慣れていくと、脳内麻薬と言われるエンドルフィンが出るようになる。中毒みたいになっちゃうわけです。辛ラーメンは、韓国の即席麺市場で30年連続1位の座を守っています」(略)
韓国では生麺の扱いはほとんどなく、大衆食堂でも辛ラーメンが300円ほどで売られているという。中にこんな変わったところでも……。
「高級風俗店では、プレイ終了後にお茶がわりに出てきます。“スッキリした後、風俗で食べる辛ラーメンが一番うまい”と豪語している知人もいます(笑)」(以下略)
デイリー新潮取材班
2021年3月30日 掲載
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