長宗我部元親
何歳の時から、どのくらいの時間留守番してましたか?
私自身、祖父母と同居の田舎の家で育ったので鍵を持たされる事も留守番することもありませんでした。家に帰れば誰かいる、いなくても歩いて5分の所に父親の事業所があったり近所の田んぼや畑に祖父母が農業していた様な環境でした。
実際鍵っ子だった人ってどんな感じですか?寂しい?留守番させていた親を憎んだりとかしますか?
あと留守番体験で実際危ない思いをした事とかあったら教えてほしいです。
古トピの為、これ以上コメントできません
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No.1 真田幸隆
21/03/22 13:52:55
小学校から高校までずっと鍵っ子。
田舎だから正確には鍵もかけていなかったけど笑
1つ上に姉がいたけど帰ってくる時間も違うし、ただいまって言うと飼い猫がニャーって出迎えてくれていた。怖い思いもした事がないし、寂しいって気持ちもなかったよ。
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No.2 高橋紹運
21/03/22 13:56:25
両親仕事中お腹が空いてグリルで何か焼いてたら火柱が上がり消防車呼んだことある。大きいマンションだったから消防車10台くらい来ちゃって結構大騒ぎだった。
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No.3 高橋紹運
21/03/22 13:58:43
>>2 あと鍵をランドセルに入れ忘れていて鍵を開けられず、外で泣いていたら向かいのマンションのおじさんに家に招かれてノコノコついていったことも。幸い本当に私を心配してくれていたいいおじさんだったけど、今思うと怖い。
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No.4 毛利元就
21/03/22 14:00:42
鍵っ子よりもっとひどい
外で待つパターン
思い出すと今でも辛いな…
返信
No.5 織田信忠
21/03/22 14:00:56
私は地震と停電の時めちゃくちゃ怖かった。近所に専業でいつも家にいるお母さんいて何かあるとすぐその人のところに行ってた。
生理になったとき母より先にその人に教えたし助けてもらった。正直今でも母よりその人のほうが大事だし好き。
友達は家に入るとき一緒に知らない男の人が入ろうとして、たまたま近所の人が見かけて助けてくれたけどそれ以来数日は凄く怖がってたし近所の友達に家までついてきてもらってたよ。
返信
No.6 浅井長政
21/03/22 14:01:40
小学校低学年の時から鍵っ子。
シングル家庭で母が看護師で夜勤もしてたから、夜もいない時があった。
危険な目って、、変な電話(変質者)がかかってきて、泣いて母の職場に電話したことあった。犬の散歩中に変質者に声かけられて追いかけられた。くらいかな。
家事とか泥棒とかはなかった。
返信
No.7 甲斐宗運
21/03/22 14:03:46
小1から鍵っ子。隣に祖父母住んでたけど。留守番も小1から普通にしてた。だいたい外に遊びに行ってたから寂しいとかはなかった。危ない思いしたことはない。ただ鍵忘れて家に入れなくて困ったことは何度かある。
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No.8 立花道雪
21/03/22 14:05:16
うちも田舎だったから鍵なんてかかってなかったけど小学校入学前後から留守番してたよ。兄がいたけど毎日友達とサッカーしてたからほとんど1人。3年生くらいのときに帰宅したら知らない女の人が和室にいて、お母さんの友達なの。待たせてもらうねって言われて一緒にトランプとかして遊んでたらラムネくれるって言うから食べようとした時に兄が呼んだ警察の人がちょうどふすまを開けたんだよね。そのラムネはなんかの薬だったみたい。
兄が泣きながら1人にしてごめんって言ってたのが一番覚えてる。それからうちには鍵がかかったし母は専業主婦になった。本当に知らない人だったから何故うちにいたのかはいまだにわからない。
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1件
No.9 柿崎景家
21/03/22 14:06:34
小1から鍵っ子。4つ上に兄がいたけど、帰りも私の方が早いし兄が帰って来ても遊びに行っちゃうしで常に1人だった。寂しかったから、自分の子にはさせたくなくて専業主婦してる。温かい家庭という家で育ってないからメンへラ気味です
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No.10 本願寺顕如
21/03/22 14:12:26
記憶にはないけど幼稚園の頃から鍵っ子。
記憶あるのは小学生になってから。朝学校行く時火の確認して鍵閉めて登校。
昼間学校にいてサイレンの音聞こえると自分の家じゃないかとハラハラしてた。
帰宅したら鍵閉めて遊びに行く。友達の家はお母さんいて羨ましいなっていつも思ってた。
危険な目にあったことはなかったなぁ。
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No.11 石田三成
21/03/22 14:12:31
一年生から高校までずっとだよ。父子家庭。
一人でおやつ食べてそろばんや塾も行ってた。
チョコあ~んパンがいつもあって、今でもそれ見ると思い出す。
とにかく寂しかった。お友達の家に遊びに行くと、玄関開けると電気がついてて、お母さんがいて、おやつとか出してくれて。いいなぁって思ってた
自分の子供には絶対同じ思いさせたくない。
返信
No.12 高坂昌信
21/03/22 14:22:10
母はシングルで私が小一から高校までずっと鍵っ子。姉いたけど部活とかでいなかったし。スーパーでお菓子買って友達の家で遊んだり公園で遊んだりの毎日。宿題、勉強なんてせず、ひたすら頭悪かったわw
お腹空いたら炊飯器のご飯食べたり、大きくなったらカップラーメン食べたりしてた。
母の帰りが遅い時は洗い物して待ってたりしたな。他のお母さんと比べたら寂しかったけど、子供達の為に必死なのは子供の頃から伝わってた。彼氏作ったりされてたらそりゃ軽蔑だったかも。母は男の影ゼロだったから。隠してくれてただけかも知れないけどね。
当時から母の事は全然恨んでないよ。
返信
No.13 毛利隆元
21/03/22 14:24:31
小1から鍵っ子。
そろばん塾の帰りに1人で歩いていたら車に連れ込まれそうになった。家に帰っても誰もいないし、寂しかった。いつも寂しかった記憶があるから、
子供が小学生の頃は、専業主婦がいいなって思ってる。
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No.14 尼子経久
21/03/22 14:26:51
両親が共働きで家には祖母が居たけど祖母は全くの放置だった。学校から帰ってきても祖母が普通に居ない事が多かった、居たとしても祖母は自分の事を優先して孫には無関心だった。今思えば、鍵っ子に近い状態だったかも。でも田舎だから鍵をかける習慣がなかったから私が鍵を持つこともなかった。
周りも両親が共働きの家庭が多かったから、特に淋しいとか思った事がなかったな。
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No.15 宮本武蔵(強い)
21/03/22 14:29:16
三年から。鍵わすれた時親がかえってくるまでずーっと軒先でまってるだけ。7時頃まで外でまつのはつらい。
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1件
No.16 上泉信綱
21/03/22 14:30:08
>>8
めっちゃ怖い
無事で良かったね
返信
No.17 大谷吉継
21/03/22 14:36:10
鍵がなくて玄関前で泣いてたら隣のおばさんが家の中で待たせてくれた。
変な男が後ろからついてきて、ダッシュで家に逃げ込んで、泣きながら親に電話した。
学校で嫌なことがあって帰ってきても誰もいなくて真っ暗なときが辛かった。
意外と覚えてるもんだね。やっぱり母親が家にいてくれる安心感って大きかったよ。
返信
No.18 成田甲斐
21/03/22 14:41:16
小1までは祖母がいたけど祖母が他界して小2から鍵っ子。
平日は下校してから早くて6時遅くて8時までまでひとりだった。夏休みは朝から夜までひとりで留守番だったから淋しいしお母さんが家にいる友達がうらやましかった。
平日はほぼいないのに土曜日の夜に夫婦で飲み歩いて夜中まで留守番させられてた。
そんな母親でも子どもの頃はたまに一緒に買い物に行けるのが嬉しかったんだよね。
当時は本当に素直で純粋だった。
自分が親になってみたらありえない事だらけだったって気づいたけど。
返信
No.19 真田幸村
21/03/22 14:41:28
たぶん学童に3年くらいまでいてそれくらいから本格的に鍵っ子。
鍵無くしてものすごく泣いて叫んでどつきまわされる勢いで怒られた記憶が最初にくるなぁ。
シングルの母が昼間働いて夜も飲み屋で働いていたので夜に母親が家にいた記憶がないです。
夕方ちょっと顔合わせて出前とってもらって母が出かけたら寝るまで一人でした。
留守番について恨む気持ちも何もない必要だから働いていたんだろうし。
ただそうやって顔を合わせる時間が少ないから集金袋渡し忘れたり明日はお弁当が必要だと伝えられなかったり、靴に穴が空いてるの言えなかったり、そういう記憶はある。
留守番で危ない経験はないけど母がいないときに友達のお母さんがうちに入ろうとしてきたり職業など根掘り葉掘り聞いてきたりで、それを母に伝えたらやはりそれも怒られたな。
返信
No.20 ルイス・フロイス
21/03/22 14:42:06
小学生低学年からかぎっ子
朝の登校の時は母はいたけれど、下校時にはいない感じ。
下校中、しボウに繋がる事故を目の前で目撃してしまって
昼間だったとはいえ、とても一人で誰もいない家にいるのが何だか嫌で
その事故からしばらくは、同じマンションの友達の家にいさせてもらってた。
確かにその時や、天気が悪くて昼間から暗かったときは
怖かったり寂しかったりしたけれど、憎むとかはなかった。
でも、自分は子供が帰ってくる時間には家にいれるような時間で働いてる。
返信
No.21 長宗我部盛親
21/03/22 14:45:58
一人っ子で小1から鍵っ子、母の帰りは18時くらいかな?別に寂しくはなかったような…アニメ見たり絵を描いたり本読んだりシルバニアで遊んだり、自由な時間は好きだったと思う。小3からは公文に行きだしたり、友達と遊ぶのに忙しかった。
でも、今は子供が小1になっても鍵を渡すのは抵抗あるなー
返信
No.22 宇喜多秀家
21/03/22 14:46:25
新興住宅地で鍵っ子でした!
かぎを忘れて学校にもどり、学校の電話から母の職場に電話かけたりよくしたよ。
平日は3年生くらいから3時間ほどひとりで留守番だったかな?
土曜日や長期休暇は1日ひとりだったよ~
返信
No.23 真田幸隆
21/03/22 14:51:23
鍵っ子。
自営共働きで母親だけ夕飯準備に夕方いたけどあとは夜中まで帰ってこなかったよ。
お風呂も24時間風呂。
うちは親がいえないと兄が私を殴ったり私の物、借りてきた物を壊すからいやだった。
憎んでないけど、子供産むなよって思ってる。
返信
No.24 前田慶次
21/03/22 15:04:58
>>15
これ。本当孤独。
庭あったからいいけど、雨とか降ってたら最悪だし。
なにより家に帰ってお母さんがいることに憧れてたな…寂しかったんだと思う。
返信
No.25 毛利元就
21/03/22 15:19:10
小1から
姉がいるけど歳が離れてて中学生だったから基本毎日部活でいつも帰宅は父と同じくらい遅かったから
学校から帰って夕方5時くらいに母が仕事終わって帰って来るまでずっと一人みたいな
危ない思いしたり恨んだりはなかったけど専業や時短パートで学校帰宅後に家にお母さんがいる友達が正直羨ましかった
そういうお母さんっておやつ手作りしてる人もいたりしたから余計に
だから我が子にはそういう思いさせたくなかったし実際帰って来た時にいてほしいって言うから
自分は母みたいなフルタイムじゃなくて時短の仕事してる
返信
No.26 古田織部
21/03/22 15:30:16
短いけど小学校一年生の時だけ鍵っ子だった。私が半年入院するほどの交通事故に遭いそれを理由に母は仕事辞めちゃったんだよね。
危ないことじゃないけど、お留守番中にやらかしたことは、お菓子を食べて証拠隠滅の為にトイレに流したら詰まって結果怒られたなぁwwアホな子供だったw
返信
No.27 大谷吉継
21/03/22 15:43:16
小3くらいから鍵っ子。母親の帰りは19時くらい。長期休みも朝から夜まで留守番。
家の前の道路で近所の子とあそんでいて、母親が帰ってきたとき「おかえりー」と声かけても無視。そのまま無言の閉め出しをされてたよ。母親的には家に入っておけ!って思ってたんだろうね。無言はひどいよねー。
私よくグレなかったと思うよ。
返信
No.28 主 長宗我部元親
21/03/22 16:33:52
たくさんのコメントありがとうございます。
春から小3になる男の子と、小5になる女の子がいるのですが、春休みの間8時半~12時半まで私が短時間パートに出る事になり(去年までは長期休みは私も休みを貰えてました)
約4時間2人で留守番することになりました。
普段の平日は14時までのパートなので下校には間に合うのですが、どうしても春休みのこの時間留守番避けられなくて。
2人とも全然平気だと言ってくれていますが、やはり子供心に寂しい思いはありますよね。
火の始末ぐらいしか気を付ける点が思いつかなかったのですが、みなさんのコメントを読んで視野が広がりました。
返信
No.29 明智光秀
21/03/22 16:38:34
小1、小2の時はたまに鍵っ子。
3年から6年までは朝も鍵をして登校する鍵っ子。
中1からは部活の朝練で親より早く出て、部活で遅く帰ってた。
父親は仕事が忙しい、母親は仕事しながら歳の離れた姉に掛かりきりだったから、私は放置だったけど、宿題した後、毎日絵を描いたり、漫画を描いたり読んだり、アイス食べながら夕方のアニメみたり、すごく寛いでた。
学校に残って仲良い子達とずっと喋ったりもしてた。
とにかく1人が大好きで、母と姉が出かけようって行っても自ら留守番してた。
グレてないし、不思議と寂しいって思わなかったな。性格だろうね。
小3の時、気分悪くて玄関に入った瞬間吐いて、玄関で寝てた時が辛かったぐらい。
でも今じゃありえないと思う。
ちなみに、家族全員仲良いよ。
返信
No.30 直江兼続
21/03/22 16:43:05
うちの母親は正社員勤務で、私は学童も入れてもらえず小学1年からずっと鍵っ子だった。
田舎だから怖いことはなかったけど、普段から友達家に呼んじゃダメ、友達の家に行ってもダメで、夏休みは退屈だったな。
他の子が羨ましいのはあった。
だから自分の子は低学年までは夏休みは短時間か休み、下校に合わせて帰れるパートにしてた。
主さんも上の子5年生で春休み午前中の4時間なら大丈夫じゃない?
返信
1件
No.31 主 長宗我部元親
21/03/22 16:51:10
>>30
まさにそんな感じで、留守番中は友達を呼ぶのも遊びに行くのもやめてもらう予定です。
午後からは私が居るので、安心して自由に過ごしてもらえる様に私も努力します。
初めての長時間留守番でドキドキしていましたが、大丈夫と言ってくださって少しほっとしました。ありがとうございます。
危険と思われるものは防止して、あとは子供達を信じるしかないですね。
返信
No.32 武田信繁
21/03/22 16:53:19
小1は学童保育に入ってた。
2年の途中から、近所の子たちともっと遊びたくなって、学童やめて鍵っ子になった。
同年代のママさんいる家庭が近所に何軒かあったから、ランドセル置いて、すぐ誰かと遊んでたよ。
私の時代は、小学生低学年から習い事とかもあんまりなかったし、誰かしらはいたから、そんなに寂しい思いはなかったな。
でも、ただいまって言ったら、おかえりと言ってくれる人は欲しかったな。
帰宅時に家にお母さんがいる所が羨ましかった。
親を憎んだりはしてないけど、お母さんと夕方いる家庭は、羨ましかったし、もうちょっとお母さんと手繋いで歩きたいなっていう気持ちは常にあったな。
それでも今思えば、忙しい中時間見つけては、散歩に連れて行ってくれたり、早く帰れる日は帰ってきてくれたり、長期休暇の時は、家の近所まで昼休み削って来てくれてたけどね。
返信
No.33 織田信忠
21/03/22 16:53:57
鍵っ子だったけど、よく鍵忘れて学校行ってたから親が帰るまで数時間家の前に座ってたっけ。
家の前で変なオジサンが車横付けして「乗る?」と声描けてきたから逃げた事はある。
返信
No.34 滝川一益
21/03/22 17:01:37
鍵っ子どころか、常に玄関あいてて小学校入学から留守番が当たり前だった。
でも寂しかった記憶は一切ないなぁ。
2つ上に兄がいて、だいたい一緒だったし、父の会社の隣にある社宅に住んでて何かあっても「すぐ隣にお父さんがいる」って安心してたし、仕事の合間に時々様子見に来てくれたし、17時ぴったりに帰ってくるって分かってたからのびのび遊んでた。
返信
No.35 長宗我部盛親
21/03/22 17:14:24
小一から鍵っ子。
今みたいに学童が当たり前ではなかったから田舎出身の母親が知らなかっただけかも?
鍵もよく失くしてよく家の裏で待ってた。
母親が鍵にヒモ通してランドセルに付けてくれてたら失くさないし外で待つこともなかったのになぁ。
寂しいより怖くて早く帰ってきて欲しかった。
友達の家は、いつも母さんがいて手作りおやつがあって…ドラマみたいで別世界に見えて「自分もこんなお母さんになりたい!」と思ってた。
今は念願かなって理想の母親やってるよ。
返信
No.36 三好長慶
21/03/22 17:15:17
小2でリアルに首から毛糸につけた鍵ぶら下げてた気がする。
返信
No.37 斎藤朝信
21/03/31 11:23:41
長文ごめん
小学校から鍵っ子だった
当時としては(40年位前)珍しい女性管理職で
母の帰宅が22時を過ぎることもあったかなあ
夕食はお弁当を作ってくれていた
私はそのお弁当を電子レンジで温めて食べてた
朝の忙しい時間に、家族の朝食と子供の夕食用弁当を用意するのは大変だったと思う
母が働きに出ていることはそんなものだと思って成長したから
特に不満はなかったし、怒りも恨みも覚えたことはないかな
ただ私自身は専業主婦になるってそのころから決めてた
あんな風には頑張れない、頑張りたくない、みたいな笑
友だちとは当時私が住んでた地域では外で遊ぶことが普通で
家にお邪魔するなんてことは中学生にならないとないことだったから
それも特に困ったことはないね
中学生にもなると母親が子供の友人をもてなすっていうのもなかった
そして高校生になればもう家でなんか遊ばないっていうね
鍵をなくしたり忘れたりして家に入れないとかはなかったなあ
母も父も私の登校より早くに出勤してたから戸締りは私の係だった
一度鍵をかけ忘れたかもしれないと思って泣きそうになったんだけど
担任の先生に相談したら一緒に下校して安全を確認してくれた
ちゃんと戸締りできてたけど
「戸締りできてない家に入り込んで悪さする人もいるかもしれないから」と
母に電話で連絡して入室の許可をとって安全確保をしてくれた
あのときは本当に怖かったから、担任の先生がもう神様に見えたね
でもその大騒ぎがあったから
戸締りのチェックと鍵の確保はその後は絶対に忘れなかった
大げさなくらいしっかり対応してくれた先生のおかげで
「戸締りを忘れるとやばい」が身に着いたように思う
返信
No.38 真田昌幸
21/03/31 11:41:34
小学生から。妹もいたし兄弟多いから寂しいと思ったことは1回もない。むしろ1人の時間が欲しかったくらいだよ。
返信
No.39 上杉謙信
21/03/31 12:08:27
小3か小4の頃から高校生になるまで
ど田舎で公園とかもなかったから近所の子と川とか田んぼとか友達の家の牛舎で遊んでた
父親が6時過ぎ、母親が8時過ぎに帰ってくるまでは1人だった
まわりは農家や酪農やっててうちだけ両親が会社勤めだったから親が居るのは羨ましかった
小学生の頃にちょっと強めの地震があって怖くて親が帰ってくるまでずっと外で待ってたのを今でも覚えてる
高校の時はどうしても家からは通えないから祖父母の家から通ってたんだけどその時もちょっと寂しかった
返信