「日本人=被害者、韓国人=加害者」と描かれた小説が米国でベストセラーに 韓国の団体が抗議

匿名

細川幽斎

21/03/10 18:45:23

「日本人=被害者、韓国人=加害者」と描かれた小説が米国でベストセラーに?韓国の団体が抗議

Record China
2021年3月8日(月) 14時20分

4日、韓国・オーマイニュースは「『日本人=被害者、韓国人=加害者』とする日本の小説が米国でベストセラー?」と題する記事を掲載した。

2021年3月4日、韓国・オーマイニュースは「『日本人=被害者、韓国人=加害者』とする日本の小説が米国でベストセラー?」と題する記事を掲載した。

記事によると、同書のタイトルは「So Far from the Bamboo Grove(邦題:竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記)」。2005年に韓国でも翻訳・出版されたが、「被害者である韓国人を加害者、加害者である日本人を無念の被害者と表現した」として批判が殺到したという。

同書は「戦争の惨状を生々しく描写し文学上優れている」との理由から、米国の学校で反戦教材として使われていたが、2007年に在米韓国人を中心に抗議運動が行われ、カリフォルニア政府など一部の州では学校教材としての使用が中止されたという。

しかし米アマゾンのサイトでは現在、児童書・暴力部門でベストセラー110位、児童書・軍隊小説部門で331位、児童書・アジア部門で364位にランクインしている。これを受け韓国のサイバー外交使節団・VANKは、アマゾンに対し同書の問題点を紹介するよう抗議する予定だという。また、問題点を指摘する韓国語と英語の動画を制作してアマゾン側に配信するなど、販売中止に向けたグローバルキャンペーンに着手することも明らかにしているという。

これを見た韓国のネットユーザーからは「こんな本を出すなんて日本人には良心のかけらもないの?」「戦争を起こしておいて何を…」「これまで日本政府だけを批判してたけど、今回の件で日本人全体の問題になってしまった」など厳しい声が相次いで上がっている。

VANKに対しては「VANKの運動を応援する」「VANKこそ敵と戦う真の愛国闘士であり独立運動家」「むしろ韓国の外交部」という称賛コメントが寄せられ、「これは国民みんなで署名活動を行なうべき」「韓国政府はアマゾン相手に名誉棄損で訴えよう」「反対するのではなく、矛盾点が何なのか説明することが大切」などの声も見られた。(翻訳・編集/松村)

https://www.recordchina.co.jp/b873035-s25-c30-d0194.html

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  • No.1 wikipediaより抜粋

    21/03/10 18:45:54

    『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』 (たけばやしはるかとおく-にほんじんしょうじょヨーコのせんそうたいけんき、So Far from the Bamboo Grove) は、日系米国人作家のヨーコ・カワシマ・ワトキンズによる自伝的小説。1986年 (昭和61年) にアメリカで出版された。

    作者のヨーコ自身が11歳だった第二次世界大戦の終戦時に体験した朝鮮半島北部の羅南(らなん)から京城(けいじょう)、釜山(ふざん)を経て日本へ帰国する際の、朝鮮半島を縦断する決死の体験や、引揚後の苦労が描かれている。戦争の悲惨さを訴える資料として、また、中学校用の副教材として多くの学校で使用されている。

    ■あらすじ
    川嶋一家5人は朝鮮半島東北部の町・羅南(らなん)で、戦時下ではあるが、それなりに平和に暮らしていた。1945年(昭和20年) のある日 (4月以降)、擁子(ようこ)と好(こう)は慰問に訪れた軍病院で、負傷兵松村(まつむら)伍長と知り合う。数週間後、松村伍長は川嶋家をお礼に訪れ、その後もたびたび訪れ、川嶋一家と親密となる。この頃、朝鮮半島北部にもB-29が爆撃に時々現れ、また、日本敗北の気配を読み取って、半島内に反日朝鮮人、共産主義同盟、朝鮮共産党軍が組織されつつあった。

    1945年7月29日深夜、松村伍長がソ連軍が侵攻してくることを一家に伝え、すぐに町を脱出することを勧める。父と淑世(ひでよ)は不在だったが、ソ連軍は既に近くに迫っており、2人に連絡する時間はもはやなく、書置きを残して、母と擁子と好の三人は最低限の荷物と財産を持って、松村伍長の勧めどおり赤十字列車に乗って羅南を脱出した。列車はその後京城(けいじょう)まで70キロの地点で爆撃に遭い、機関車が破壊されたので、三人は列車を降り、徒歩にて京城を目指す。しかし半島内は既に、ソ連軍と呼応した、朝鮮共産党軍の兵士によって、北から南へ逃走中の日本人は片っ端から殺害され、日本人の遺体は金歯を引き抜かれ身ぐるみ剥がされ、日本人の土地家屋財産などが奪われ、日本人の若い女を見つけると草むらや路地裏に引きずってでも強姦されていた。しかし、彼らを怒らせたら他の日本人が集まる避難所を攻撃されるとされ、周囲にいた日本人難民は反撃できないで、悲鳴を聞いても黙って耐えるという地獄絵図と化していた。

    擁子達三人は、釜山(ふざん)まで列車で移動し、衣食住は極貧であったが、赤十字病院やアメリカ軍の残した残飯を漁ったり、髪を切り男装したりと知恵を絞り、何とか無事に生き残り、秋に連絡船で福岡に帰国する。 ところが、帰国後も彼女たちを待ち受けたのは、夢に見た美しい祖国ではなかった。 唯一、空襲を受けずに済んだ京都へ出向くが、期待していた父母両方の祖父母が、青森で空襲で死亡したことが分かり、京都駅で母が病死する。 孤児となった擁子と好は、必死で残飯をあさり、駅で野宿して生き延びる。 母の願いで、学校にだけは通いつづけるが、そこでは貧しい擁子に心無い言葉を浴びせる裕福な子供達が待ち受けていた。

    しかし、親切な増田(ますだ)夫妻と、再会した松村伍長の支えで、姉妹で働きながら何とか生活基盤を整えて行った。父と兄が生きていることだけを信じて、毎週末舞鶴港で、朝鮮からの避難民の中から兄を探した。松村伍長の計らいで、ラジオで探し人として、父と兄の名前が呼ばれた。 そんなある春の日、朝鮮風の格好をした男性が、彼女達の家をたずねて来た…。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記

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