- ニュース全般
- 前田慶次
- 21/01/17 19:39:22
「ここで恵介のことを待っていた」「このフルーツ店はずっとある」
昨年12月28日昼、兵庫県西宮市のJR甲子園口駅に、お笑いトリオ「安田大サーカス」団長の安田裕己さん(46)の姿があった。記憶をたどりながら、1995年1月17日早朝のことを少しずつ思い出していた。
駅前の崩壊したビルの前で、ただ、ぼう然と立ち尽くした。親友の山口恵介さん(当時20歳)が、生き埋めになっていた。当日の読売新聞夕刊の写真にその様子が写っている。
「おーい、恵介。寝るなよ」。いてつく寒さの中、同級生と声をかけ続けた。2日前に一緒に成人式を迎えた親友。5日後、遺体となって体育館で対面した。
お笑い芸人になる夢を捨てきれず、でも、踏ん切りがつかないまま、いたずらに日々を過ごしていた。翌年、タレント養成所に入ったのは、幼稚園からの「腐れ縁」という恵介さんの言葉が背中を押したからだ。
冗談を言うと、よく笑い、「おまえ、芸人になれや」と突っ込んでくれた。「たとえ売れなくて苦労しようが、やりたいことやったる」。亡き友にそう誓った。
2004年1月、若手の登竜門「ABCお笑い新人グランプリ」の特別賞を取った後、友人らとあのビルの跡地を訪れ、盾を見せて恵介さんに報告した。毎年1月には仲間で恵介さんの実家に集まることもある。
一方、お笑い芸人として売れた後も、震災については語る気になれず、取材や講演の大半を断ってきた。
ある日、事務所が講演依頼を受け、高校生の前に立った。親友を失ったことを思い出すと、やっぱり言葉に詰まった。「あかん、しゃべられへん」。全然違う話をして、ごまかした。
11年3月11日の東日本大震災では、東京の公園でロケ中、大きな揺れを経験した。つらい記憶がよみがえり、ニュースから目を背けた。そんな話を先輩芸人にすると、「今やから、自分の経験を伝えるんが、大事ちゃう」と言われ、ハッとした。
20歳で経験した阪神大震災は、人間の弱く、汚い部分がたくさん見えた。「近所の女の子が車に引きずり込まれそうになった」「水を入れるタンクを法外な値段で売りつけられた」――。
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