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泰葉のYouTubeで見て聞いた津軽海峡冬景色とルビーの指輪感想。
まず、泰葉の声は清水ミチコが動物を集めるために使う声、ホーミーのような歌声が核になっている感じで耳障りでした。
叩きつけるピアノは耳障り通り越して不快。
さらに歌詞に共感してないから見苦しくもありました。
例えば「そうね誕生石ならルビーなの」と言う歌詞は幻に誓った愛を振り返る歌詞なのに、泰葉はルビーの指輪くれ、みたいにニヤッと気持ち悪いシナをつくる。
それとか、津軽海峡ふ、ゆーげしきと、勝手なクセをつけるところはセンスが悪い上に、曲を台無しにしている感じがしました。
それから寺尾聰は1965年代から曲をつくり歌手と俳優をしてましたが、泰葉が小学生、中学生の頃は下記のように別の曲を作曲してました。
ルビーの指輪は1981年、泰葉20歳の時に発表された曲で、泰葉が小学生の時に聴いてるわけがありません。
年齢が合わないだけではなくウィキペディアにも書いてあるし、当時のインタビューで私も聞いた事がありますが、寺尾聰がルビーの指輪を発表するかどうか石原プロで初めて曲を聴いてもらった時に石原軍団は、そんな曲お経みたいで売れるはずないと言われたという逸話があります。
はっきり石原プロではじめて1980年前後に初めて披露したと明らかになっているルビーの指輪なのに、当時20歳になる泰葉が小学生なわけがありません。
こういう知っている人も多い話しを無知なばかりにすぐ嘘をつく、しかもこんなことでおかしな選民意識を勘違いでもっている泰葉だからか、言ってる事も歌も演奏も表情も私には浅ましく愚かしく品がなく醜く感じました。
寺尾聰 泰葉が小学5年くらいから20歳までの作曲活動
◉1970年 ママに内緒の子守唄 寺尾聰
何処かへ 寺尾聰
◉1977年 16の夏 寺尾聰
◉1980年8月5日 SHADOW CITY 有川正沙寺尾聰 井上鑑
B 予期せぬ出来事
◉1980年 出航 SASURAI有川正沙子 寺尾聰
◉1981年2月5日 ルビーの指環 寺尾聰- 30
21/01/25 07:04:00