火垂るの墓 へのコメント(No.51

  • No.51 高坂昌信

    20/08/14 20:42:05

    すみません、太平洋戦争中、海軍にいた曾祖父が言いたいことがあるそうです。
    以下、祖父の言葉を書き起こした文章です。

    『火垂るの墓』がテレビ放送されなくなった理由を小生は寡聞にして知らない。しかし、それは喜ばしいことである。なぜなら、この作品には、我々帝国軍人として戦った者にとって許しがたい重大な誤りが認められるからだ。
    『火垂るの墓』の清太と節子の父は、連合艦隊の重巡「摩耶」の艦長であり、海軍大佐という設定になっている(野坂昭如氏の原作では大尉であったが、映画で大佐と改めたのは賢明であろう。いくら大戦末期とは言え、大尉では艦長はつとまらない。せいぜい砲術長である)。
    この艦が架空のものであれば、問題はなかった。しかし、重巡「摩耶」は実在した艦であり、当然のことながら実際の艦長がいた。大江覧治海軍大佐(海兵47期)である。
    映画でも触れられているが、重巡「摩耶」は昭和19年10月23日、戦艦「武蔵」を主力艦とする第四戦隊(通称、栗田艦隊)の一員としてレイテ湾突入を目指した。しかしながら、パラワン水道において米潜水艦の襲撃に遭い、魚雷4発を受けて轟沈。一部の乗員は武蔵に移乗したが、大江艦長は艦と運命を共にした。乗員の戦死者は336名である。
    大江艦長は護国の盾となって亡くなった方であり、軍神である。靖国神社に祀られるその御霊を安んじるために、海軍は何としてでもご遺族の生活を護らなければならない。
    その軍神のご子息ご令嬢に当たるのが『火垂るの墓』の清太と節子である。2人は艦長の未亡人が空襲で他界された後、西宮の叔母の家に身を寄せる。そこでの粗雑な扱いに不満を抱き、自ら孤児となって防空壕をねぐらとし、やせ衰えていく。
    あってはならないことである。もし実際に戦死した海軍大佐のご遺族がかような境遇に陥っているのであれば、海軍は何としても彼らを探し出し、手厚く保護したであろう。西宮の叔母という人が、軍神のご遺族をただの厄介者のように扱うこともあり得ない。
    作中において、清太と節子は国からも海軍からもまったく見放された存在となり、火事場泥棒なども働きながら、乞食となって死亡する。これ以上はない侮辱である。
    これが架空の戦争、架空のご遺族の物語であれば、問題はなかった。しかし繰り返すが、重巡「摩耶」は実在する艦であり、その艦長もご遺族も実在するのである(なぜ実在する艦名にこだわったのであろう。高畑氏の反戦思想が反映されているように思われる)。
    『火垂るの墓』が繰り返しテレビ放送されることを我々が快く思っていなかった理由をわずかでもご理解いただければ幸いである。

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