• No.3 長禄

    20/06/27 11:15:46

    (続き)

    安倍 はい。そう悟るまでは、「子どもがいないんだから、空いた時間を世の中のために使わなくては」と焦っていたんです。子育てをしている友だちを見ても、キャリアを積んでいる友だちを見ても、自分はどっちつかずに思えて「この先の人生、どうしよう」と、もがいてばかりいました。けれどそれも含めて、ある時期から「神様に託そう」と思うようになりました。そうすると自分ができそうなことや、出会いたい方たちと縁ができるようになっていったんです。

    酒井 具体的にいうと、どのような出会いがあったのでしょうか?

    安倍 たとえば現在、二つの児童養護施設の後援をやらせていただいているんですね。一つは、主人の地元である下関の「なかべ学院」、もう一つは東京・広尾にある「福田会」です。「福田会」は十年以上前に、片岡鶴太郎さんの展覧会の後にうかがった懇親会で、目の前に座っていた方が福田会の当時の理事長さんだったんです。「一度、見学させてください」と言って施設にうかがって以来、ずっと携わらせていただいています。今は理事長さんも変わり、施設も建て替えられたのですが、残っている子どもたちは「昭恵さん、昭恵さん」と懐いてくれて、本当にかわいいです。公邸にその子たちを招いてバーベキューをしたこともありました。

    酒井 私も三十代後半ぐらいになってから、子どもがいない代わりに、「誰かの役に立てたらいいな」とか、「他者の力になれたら」という気持ちが強くなってきました。本の中にも書いているのですが、無理せず、自分にできる支援を続けていけたらと思っています。

    安倍 そうですね。無理しないで続けていくことが大切ですよね。自分の縁があるところで何かをやっていくというのがいいのかもしれません。私はミャンマーに学校を建てるなど教育支援をしているのですが、どの国を支援するか考えていたときに主人が「ミャンマーにしたら?」と言ってくれた言葉がきっかけになりました。決めた途端、ミャンマーに関係する方々が、どんどん集まってきてくださって、いろいろなことが一気に動き始めたんです。

    酒井 それこそ、昭恵さんの運命であり、使命だったのかもしれませんね。

    取材・文|高倉優子 撮影|鈴木愛子
    https://www.bookbang.jp/review/article/509688

    安倍昭恵(あべ・あきえ)
    1962年東京都生まれ。聖心女子専門学校英語科卒業。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修了。電通を経て、87年、安倍晋三氏と結婚。2006年および12年、安倍氏の第90代、第96代内閣総理大臣就任に伴い、ファーストレディーに。近著に『「私」を生きる』などがある。

    酒井順子(さかい・じゅんこ)
    1966年東京都生まれ。高校在学中より雑誌にコラムを執筆。立教大学社会学部を卒業後、広告代理店に就職。その後執筆業に専念。2004年、『負け犬の遠吠え』で第4回婦人公論文芸賞および第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。著書に『甘党ぶらぶら地図』『ほのエロ記』『下に見る人』など多数。

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