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      16/07/15 22:05:55

    No.954 東アジアのトラブルメーカー
    2016/06/05 06:45
     内部抗争を繰り返し、周辺諸国を戦争に巻き込んできた韓民族の特異な歴史。
    ■転送歓迎■ H28.06.05 ■

    ■1.『韓民族こそ歴史の加害者である』

     石平氏の最新著『韓民族こそ歴史の加害者である』が面白い。

    タイトルこそセンセーショナルだが、冷静な筆致で史実を丹念に辿り、その上で、このタイトル通りの結論を引き出している。

    「目から鱗(うろこ)」

    という使い古された表現があるが、この本はまさに、今まで我々の目を覆っていた「韓民族は日本帝国主義の被害者だった」という鱗を取り除き、韓民族の真の姿をはっきりと見せつけてくれる。

    今後、この本を読まずして、北朝鮮や韓国に関する歴史も外交も議論できない事になるだろう。

     前置きが長くなったが、本書は、韓民族が内部抗争に勝つために周辺諸国を戦争に引きずり込んだ、というパターンが、7世紀初頭の高句麗・百済・新羅の三国統一戦争から、20世紀の朝鮮戦争まで繰り返されたという史実を克明に描いている。

     その中で、日本が巻き込まれたのが、
    西暦661年の白村江の戦い、
    1274(文永11)年、
    1281(弘安4)年の元寇、
    そして近代の日清戦争、日露戦争である。

    特に元寇では、高麗国王が自らの生き残りのために、日本征伐をフビライに提案する経緯が生々しく描かれていて、「そうだったのか」と思わせる。

     本稿では、このうちの近代における日清、日露、朝鮮戦争の部分のさわりを紹介して、同書への誘(いざな)いとしたい。

    ■2.政府側とクーデター側がそれぞれが外国軍を引き込んだ

     日清戦争の発端は、朝鮮王朝の第26代国王・高宗の実父・大院君と、王妃・閔妃(びんひ)一派の抗争だった。

    閔妃一派は、1873年に大院君を失脚させ、日本と日朝修好条約を結んで、近代化路線をとった。

    その一環として、日本から軍事教官を招いて、軍の近代化を図った。

     これに不満を抱いた旧式軍の軍人たちが、1882年、閔妃一族の高官の屋敷を襲った後、大院君の許に逃げ込んで、助けを求めた。

    大院君は、これを権力奪回のチャンスと見て、閔妃一族の殺害、日本公使館と日本人教官の襲撃を命じた。

    彼等はその指示通り、日本人13人を虐殺した。

    続く

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