• No.1 文中

    19/12/16 15:57:43

     反対の声のもうひとつは、「兄宮より先にご結婚するのは好ましくない」というものだった。もちろん、皇室には兄より先に弟が結婚してはならないという決まりはない。現に、高円宮さまも兄宮の桂宮さまより早くご結婚されている。しかし、現実を見れば、昭和天皇が崩御されたばかりの喪中とあっては、「なにもそこ まで急がれなくても」という声が強かったという。

     礼宮さまは、おそらく悩みに悩んだ。そして、やはり、すべての反対を押し切る道を選んだのである。

     礼宮さまが英国留学に旅立たれてからというもの、紀子さんも元気をなくしていた。キャンパスの道を1人でぼんやりと歩きながら、はるか英国の礼宮さまを思えば、将来への不安が胸をよぎる。紀子さんは、すでに大学も最終学年になっていた。

    「私、このまま大学院へ進もうと思っているの」

     と卒業後のことを聞いた同級生に、この頃、紀子さんは答えていた。

    (皇室の伝統的考え方よりも、愛を)と、礼宮さまは決意した。おそらく最も常識的かつ最善の結論を出されたのである。

     こうして、『皇室離脱』発言は起こった。

     礼宮さまは、当初反対された人々に向かって、

    「結婚できないのなら皇室を離れます。紀子を連れていってイギリスで一緒に暮らす」

     とまで言ったという。

     日本の皇室は、イギリスの王家を手本にしているといわれるが、そのイギリスにもこんな例がある。王位継承権を持っていたウィンザー公が、突如としてアメリカの2度の離婚歴のある女性、シンプソン夫人と結婚したのは、約50年 前。イギリス国民は最初驚き、「なぜウィンザー公は王位を捨てるのか」と批判した。しかし、ウィンザー公はすべての声を無視し、王位を捨てた。一途な愛を 貫くことの方が王位より価値のあることと、ウィンザー公は考えたのである。その考え方がわかったとき、イギリス国民は、今度は喝采を送ってウィンザー公を 賛えたのだった。

     礼宮さまも、この道を選ぼうとしたのであろう。

    「礼宮さまの態度は一種の賭けといってもいいでしょう。しかし、その情熱は陛下と皇后さまを動かした。両陛下は、伝統的な考えより、むしろこれ以上交際が長びいて破談にならない方がよい、とご判断されたようです」

     と、宮内庁関係者。

     まさに“皇室離脱を賭けた恋”は、こうして成就することになる。

     平成1年8月25日午後4時すぎ、紀子さんの父、川嶋辰彦氏と和代夫人は目白の官舎を正装して出た。茶色のスーツ姿の辰彦氏と水色のスーツ姿の和代さんの緊張をほぐすように、4階のベランダから紀子さんの声が響いた。

    「行ってらっしゃいませ」

     両親が向かうのは、赤坂御所。とうとう両陛下から正式にお招きをうけたのである。

     両陛下はこう決断されていた。

    「納采(結納)は喪明けでなければいけないが、婚約を決める皇室会議は喪中でもいいのではないか」

     キャンパスで芽生えた恋は、こうして、4年の月日を経て実を結んだのだった。

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